蓮の留守中に……
あれから一週間。蓮は父親を捜して飛び回っている。ある時はラスベガス、またあるときはキャンベラ。そして昨日はモスクワにいると言っていた。
ケイがお見舞いに来てくれて、あの女の人とは何もないと分かってから蓮にしたことを謝りたかったけれど、こう時間が経ってしまった今、謝るタイミングを逃してしまったというか、今更謝れないというか……
毎日一応掛かってくる蓮からの短い電話で、何事もなかったかのように話す蓮に、まあこのままでもいいかと思うようになってきた。
「今日も雨宮くんは休み?」
委員長は自分の机の上でお弁当を広げると、ミートボールで頬を膨らませながらそう言った。
「うん……そうみたい」
結菜は後ろを振り返って委員長に素っ気なく言うとまたすぐに前を向く。
謝るとか謝らないとか、そんなことよりももっと重要なことがある。それは蓮の父親について。このまま見付からなければ雨宮グループはどうなるのだろう。会社は?これまで築き上げた地位は?そして……たった一人の家族は?
蓮はどうなるのだろう―――
自分が心配することではないのかもしれないけれど、蓮の哀しい顔は見たくない。もう二度と……
「ねえ。最近、上条さんと雨宮くんのことが噂になってるけど。あなたたちって上手くいってるのよね?」
「それって、どういう意味?」
「だって、雨宮くんが学園に来なくなる前の日に、女の人と二人で消えたって……それに、上条さんだって、紫苑くんと二人で仲良さそうに歩いてたっていう目撃者が何人もいるって聞いたから、どうなってるのかなと思って……もしかして別れちゃったとか?」
「…………」
委員長にどう返答してらいいのか迷うところだ。蓮が女の人と消えたというのも、紫苑と一緒に帰ったのも本当のことだけれど、ここで言い訳をするべきかそれとも……
『暫くの間、蓮から離れる方が結菜を守れるんじゃないのかって、そうオレは考えたんだけど』
ケイの言った言葉が蘇ってくると、結局委員長にも何も言うことが出来なかった。
もし、蓮と別れるフリ計画を実行しなければいけないのなら、このまま二人の関係が上手く行っていないように周囲に見せておくのもいいのかもしれない。そんな必要が無くなればいつでも撤回できそうな気がするし……
掛けているメガネを人差し指で上げながら、委員長は何かをまた言いたそうにしていたけれど、結菜は話しかけられないようにまたすぐに前を向いた。
噂と言うのは広がるのが早いようで、疑いたくはないけれど、おそらく教室での委員長とのやり取りを聞いていたクラスメイトが発端だと思われるわけで……
目の前にいる見慣れない女子の集団は、どこかまだ制服が身体に馴染んでいないというか、初々しさが残っているように見える。
放課後、帰ろうとしていた結菜はその女子集団に捕まり、校舎から少し離れた人気のない美術室の裏に連れてこられた。
何人もの女子達にぐるりと周りを囲まれると迫力がある。見たところ、一年生のようだが、中には自分よりも背が高く眼の周りの化粧も濃い人が何人かいる。その子達がこの集団の中心らしい。後の可愛らしい1年生は、たぶん人数を集めるために連れて来られたといったところだろう。
「な〜んだ。雨宮先輩と付き合ってるっていうから、どんな美人かと思ったら……これじゃ、里沙の方が断然可愛いよ」
「だから、振られたんじゃない?てゆ〜うか、飽きられたとか?」
「いえる〜。だって、この女に何の魅力も感じないもん」
言いた放題言いながら、キャハハハと大きな口を開けて化粧の濃い軍団が笑っている。
どうでもいいけど、早く家に帰して欲しい。そう思いながら、結菜はボーッと女子達の会話を聞いていた。
「この女、もしかしてビビってんの?うける〜」
「黙ってないで何とか言いなさいよ」
そう言われながらドンと突き飛ばされると後ろにいる女の子にぶつかった。
「足がふらついてるよ。美佳、この女が動かないように後ろから押さえて」
命令口調で大人しそうな女生徒に指示を出すと、美佳という女の子が結菜を後ろから羽交い締めにした。大した力でもないこんなものは、解こうと思えばいつだって解ける。
でも、この子たちがどうして自分にこんなことをするのか目的がよく分からない。結菜は何の抵抗もせず暫く様子を見てみようと思っていた。
「あんたさあ。雨宮先輩と別れたって聞かれて、何も言わなかったんだって?ホントに別れたの?」
「…………」
「何も言わないのはそうだって言ってるからよね?」
さっき仲間に命令した女生徒が、腰に手を当て挑発的な態度で結菜に近づいてきた。
「……あなたたちはいったい何がしたいの?」
自分と蓮がもしも別れたとすれば、この子達に何の関係があるのだろうか。
「何がしたい?ははっ。決まってんじゃん。あんたが目障りだから、これ以上好き勝手させないように、こうしてあたし達が一肌脱いでやってんじゃん。
上条先輩って、塚原先輩にまで手を出してたんだって?それで今度は紫苑?ホント。よくやるよね〜。それじゃ雨宮先輩に愛想尽かされるわけだ」
「…………」
「ホントのことだから何も言えないよね〜?」
黙って女の子の顔をジッと見ていた。
女の嫉妬ほど恐いものはないと聞いたことがある。嫉妬?そうだろうか。ただ私のことが気に入らないだけのような気がする。
ケンカをふっかけてくるなら早く仕掛けてきてほしい。それで、すぐにここから解放されるなら……
向こうから仕掛けてこなければ、こっちから仕掛けるまで……
「濃い……」
「は?」
結菜は女に向かってニヤリと笑った。
「化粧が濃いなと思って、それじゃお化け……きゃ」
思惑通り前に立っている女が結菜の頬を思いっきり叩いた。
思ったより痛くて、口の中に血の味が広がる。
「こんな状態でよくそんな口が利けるよね?いいわ。分からせてあげる」
女がそう言うと周囲を囲んでいた女子達の間から、男子が三人結菜の前に現れた。スリッパをズズズっと引きずりながら、ポケットの中に手を入れて怠そうに歩いてくる茶髪の男の子達は、高校生になって、ちょっと背伸びをしてみた男子達という風な感じがした。
女子の集団も厄介だけれど、それに男子が絡んでくればもっと厄介だ。
この状況はちょっと予測出来なかった……
「美佳たちは、誰も来ないように見張って。あんたたち、この女とヤリたいって言ってたよね?どうぞ思う存分ヤッちゃって」
「でもさ。この人、あの雨宮蓮と付き合ってんじゃねえの?俺たちあの人を敵に回したくねえよ」
「何言ってんのよ!この女と雨宮先輩はもう別れたのよ」
「元カノだってヤラれたとなれば、何されるかわかんねえよ」
「あんたたち、それでも男なの!?」
「そんなこと言われてもな……」
渋る男子達に女は煽るように嗾ける。
「じゃ。これでどう?雨宮先輩の耳にあなた達のことが何か入れば、あたしたちが弁護してあげる。一年の女子の殆どが違うって言えば、雨宮先輩だってこの女よりこっちを信じるでしょ?どう?」
「まあ。それなら……」
半分押し切られたように男の子達はその話しに賛同してしまった。
誰もいない美術室に三人の男子と一緒に押し込められると、女子達は周りを見張るためにそれぞれ散っていった。
校舎から離れたところに建てられている美術室は、放課後となると余計にシンと静まり返っている。
「あなたに恨みはないけど……」
一人の男子が近づいてくるのを避けるように結菜は後退りした。
並んでいる机を避けるように男子に視線を向けたまま、少しずつ後ろに下がっていく。
「ホントにヤッていいの?マジで雨宮蓮に何もされない?」
「今更何言ってんだよ。こうなったらヤルしかないだろ。それに、こんなチャンスは二度とない……」
どことなく怯えていた男子達の目つきが変わった。
やばいと感じた瞬間、自分めがけて一斉に男達が飛びかかってきた。
前に向き直し、教室中を逃げ回っても、狭い教室で一対三の鬼ごっこなんて結果は見えている。しかも鬼が三匹なのだから絶対に勝ち目はない。
あっという間に追いつかれると、一人の男子に腕を掴まれ机の上に押し倒された。
固い机や椅子に足をぶつけてしまって膝が痛いし、強引に押さえつけられた腕も痛い。
「じっとしてれば痛くないようにするから。声も出すなよ」
男はそう言うとハンカチを出して結菜の口にそれを押し込んだ。
なんだろう……身体が思うように動かない。いつもなら『男の三人ぐらい』って立ち向かっていけるのに。
おかしい―――
最近の運動不足か、はたまた幸せボケで身体が戦うことを忘れてしまったのか……
身体が強ばって動いてくれない。
腕を一人の男に押さえつけられ、もう一人に足を押さえつけられ、そしてもう一人は上から結菜を覗くとさっき女に殴られた頬を手で覆ってきた。
「恐いか?でももう後戻りは出来ないんだ……」
男の顔が一瞬笑った気がした。
自分の手や身体が小刻みに震えている。
恐い……そう。恐怖で身体が動かない―――
男が結菜の制服のブラウスに手をかけると一気に引き裂いた。
外れたボタンが床にパラパラと落ちる音が聞こえる。
「ん――――」
ハンカチで塞がれた口からくぐもった声が漏れた。
もがいても、三人の男の力には敵わない。恐怖と、言うことを聞いてくれない自分の身体と、こんなことをしている男への怒りでどうにかなってしまいそうだった。