女にはわからない?
怒りに任せ、蓮を自分の部屋に入れたものの、どう話を切り出そうかなんて考えていなかった。
蓮は部屋の中を探るようにじろじろと見ている。そして、部屋に入って開口一番にこう言った。
「で?ヒカルの部屋はどこだ?」
「お前。なめてんのかっ」
部屋の中を見回すと、確かにマックスの散らかりようかもしれないなと、落ちてある雑誌や服を部屋の端に寄せてみた。
海外ロケから帰って初めて会った蓮の印象は、あまり良いものじゃなかったけど、人の噂で創り上げられていた自分が想像していた人物像よりは、全然人間らしかった。
もっと冷酷で、人のことなんかどうでもいい傍若無人な奴かと思っていた。でもそうじゃない。強い眼をしている割には弱い部分もある。弱い部分もあるけど、意志が強いところもある……
そう言うところも結菜とよく似ている。
こうだと決めたら梃子でも動かないって感じ。
「話しって上条のこと?」
何も言わないのに蓮はベッドの上に勝手に座ると、その強い眼で下から見上げられた。
「それ以外、何がある」
ヒカルは蓮に挑発的な眼をした。
いつもこうだ。蓮を見るときはいつも睨んでしまう。
「相変わらずだな。俺が上条と付き合ってるのがそんなに気に入らないのか?さっきも邪魔してくれたしな」
蓮はそう言って、フッと一瞬笑った。
その笑いが自分の逆鱗に触れた。
夜中に結菜がどこかに出掛けてから一睡もできなかった。
その間、いろんなことを考えていた。
蓮と結菜のこと、それから自分の気持ちについて……
複雑に絡み合った自分の感情を少しずつ解きながら、幼い頃の自分を思い出していた。
母親に捨てられるように上条家に連れてこられた日のことから始まり、これまで結菜と一緒に過ごしてきた日々を順番に回想してみた。
幼い頃の結菜は『ヒカル。ヒカル』といつも自分の後ろにくっついてきては、大きくて茶色い眼をクルクルさせ、可愛い笑顔を見せてくれた。その笑顔は、絶対この子を守るんだという正義感を芽生えさせ同時に結菜に対しての執着心も大きくなっていった。
自分にとって結菜は特別な存在。どう考えてもそれは変わらない。そして、気づいてしまった。いや。それは奇しくも蓮によって気付かされてしまった。あの時、蓮に指摘されなかったら、自分の気持ちに自分で誤解をしていたのかもしれない……
そんなことを一晩中考えていた。
そのうち、なかなか帰ってこない結菜のことが心配になり部屋の中でウロウロしたり、階段を上ったり下りたり。玄関も何度も開けては閉めて……
そんな気持ちでいたことも全く知らず、結菜は玄関の前で蓮と……
あの光景を思い出すと体中の血が一気に上ってきた。
「結菜を夜中に呼び出して、あいつに何かあったらどうするんだ」
「ふ〜ん。それってヤキモチ?ってやつ?」
「は?ふざけるな!これ以上、あいつのことを振り回すな!!」
「まあ、俺としてはこのままずっと隠し通してほしいとこだけど」
頭の中で何かがプチっと切れた。
今はそう言うことを言っているんじゃない。
そう思うと同時に、ベッドに座っている蓮の頬に拳を振り下ろしていた。
「ってぇ……なにすんだよ!」
蓮は血が滲んでいる口許を拭い立ち上がると、今度は蓮がヒカルに殴りかかった。
ドカッと言う音がし、見事に拳が自分の顔にめり込むと、立っていた身体が蹌踉けた。
「この分からず屋!」
「は?意味わかんねえ!」
止まらなくなった二人は、それから狭い部屋でドタバタと賑やかな取っ組み合いの喧嘩へと発展した。
ヒカルが蓮の腹に蹴りを入れると、蓮はヒカルのトレーナーの首もとを掴み、そのまま壁に押しつけ同じように腹に蹴りを入れる。
殴れば殴られ、蹴られれば蹴り返し、お互いが体力の限界まで向かっていった。
もう、どれだけ殴ったか分からなくなった頃、ボロボロになった蓮が最後の力を込めてヒカルに拳をぶつけると、ヒカルはそのまま後ろ向きにベッドに倒れた。蓮もヒカルを殴った勢いで床に倒れていった。
顔はもう痛さも分からないほどで、何度も殴られたところが腫れているのか、熱い。
身体も、指先を動かすことが重労働と思えるほど、疲労困憊していた。
今までに、自分のパンチをまともに受けて平然と立っていられた奴はいない。
しかも、手加減無しで何発も。
あいつは化け物か……
ヒカルは訳もなく可笑しくなり、白い壁紙の天井を見ながら声をあげて笑った。
「……いてっ」
腹が上下する度に、鳩尾に激痛が走る。
「まだ……はぁ……そんな余裕が……あんのかよ」
床に倒れて視界にいない蓮が、ハアハアと息を漏らしながらも、憎まれ口をたたいている。
「蓮こそ……くっ。まだ、喋る余裕……あんじゃん」
「ヒカルって……ばけもんか」
「それはこっちの……セリフだよ」
どちらからでもなく、くくくと二人に笑いが漏れる。
「あ〜〜。久々に体中が痛てぇ」
「俺だって同じだ」
「結菜。よく止めに来なかったな」
「ホントだな……」
見えないけど、蓮も天井を見て喋っているのだろう。疲労と睡眠不足からか、それとも満足感からか、ベッドの上にいるとこのまま眠ってしまいそうになる。
こうしてじっと天井を見ていると、白い壁が迫ってくるような感覚がした。
「蓮……俺。考えてみたんだけどさ。やっぱ。結菜は俺にとって妹なんだよな」
「またそれかよ」
「蓮はなんか誤解してるみてぇだけど、妹以上には想えない自分がいるっていうか……」
「…………」
「蓮は結菜と……その……キスってできるだろ?でも、俺は出来ない。
結菜ともしもそうなったらって想像してみた。でも、ダメなんだ。この思いは、きっとそんな恋愛の感情じゃないんだろうな。安心した?」
「…………」
蓮は何も答えなかった。もしかすると、まだ信じていないのかもしれない。
「まあ。無理ないよな。こんなステキなお兄様だから、蓮がヤキモチ妬くのも分かるよ」
「どこにその『ステキなお兄様』ってのがいるんだ!?」
蓮がそう言って起きあがる気配がした。
結菜は妹……
そんな簡単な答えを出すのにグチグチと悩んでいたなんて。そんな自分が馬鹿みたいに思えて笑えてくる。
血が繋がっていなくても、結菜は俺の妹だ。それ以上でも以下でもない。
「蓮……結菜を頼む。あいつは、ああ見えて弱いとこだらけだからな。昔から泣き虫だし、頑固だし。あいつの相手は大変だろうけど、お前になら任せられる。俺は、結菜が幸せになれば、それでいい。それが俺の幸せだから……ってカッコイイだろ?」
ヒカルもベッドから起きあがると、蓮が血だらけの口許を上げて自分を見ていた。
結菜が選んだ奴は、悔しいけど、やっぱりいい男で。
この数ヶ月の間に、それが分かってしまったというか……
でも、やっぱり一番は結菜が変わったことが大きい。料理なんて食べる以外興味ないって奴が、蓮の為だとか言って、必死でタキに教わっている姿を見ると、いつまでも意地を張って反対するのが馬鹿らしくなってきたっていうのもある。
もちろん、自分の気持ちがきっちりと整理できたって言うのも要因の一つだけど。
これだけ殴られても憎しみの欠片も無い。今はすっきりとした爽快感だけだった。
なんとか身体が動くようになると、二人はリビングに下りていった。階段を下りるのも一苦労で、やっとリビングに辿り着くと、案の定、結菜が泣きそうな顔で待っていた。
「ヒドイ顔……」
そう言うと、結菜は用意していた救急箱の中から消毒液を取りだした。
「いて」
「こんなに腫れてるんだもん。痛いよ!」
怒っているのか、少々乱暴に脱脂綿を押しつけられた。
蓮とヒカルはソファーに座り、交互に結菜に手当をして貰うと、今度は朝食を食べるためにダイニングに移動させられた。
悠長に新聞を読んでいた広海も同じように座ると、二人の顔を見て笑っている。
「朝から運動したからお腹空いたでしょ?もう。蓮くんもヒカルちゃんもわんぱくなんだから〜」
「わんぱくどころじゃないって、家が壊れるかと思ったよ」
結菜が怒ったようにそう言うと、蓮もヒカルもシュンと下を向いた。
「で?暴れてみてどうだったの?お互いスッキリしたんじゃない?」
「ま、まあな」
広海の言葉に、蓮と目が合いお互いが笑うと、顔全体が引きつったように痛い。蓮も同じように痛そうな顔をしていた。
「なにがスッキリしたよ!」
まったく。と結菜はみそ汁とご飯の入った器を乱暴に置いた。
「まあね。残念だけど、女の子には分からないところよね」
いつも呑気な広海は、怒っている結菜の空気も読めずそう言うと、結菜の頬が更にぷっと膨れた。
−あ〜あ。また怒らせた。
こうなると、ちょっとやそっとでは機嫌は直らない。
「どうせ、私は男心が分からないわよ。男だけじゃなくって、友達の気持ちにも気づかなかったんだから……」
「上条。それは俺も同じだ。裏でそんなことになっているとは思ってなかった。もしかして、もうなにも起こらないんじゃないかって、油断してた……」
「なんの話しだ?」
結菜に夜中に起こった出来事を説明され、あえて口には出さないけど、また志摩子が絡んでいるのかもしれないと読み取れた。
「これってきっと、脅しの脅しなんだよ。広海さんもそう思わない?このままで終わるはずがないって……そう思うでしょ!?」
「そうかもしれないけど……ねえ?」
興奮して言う結菜に、これだと思える返しが出来ないからか、広海はヒカルを見ると、眼で助けを求めてきた。
助けろと言われても、自分にだっていい考えなんて持ち合わせていない。何もするなとも言えず、かといって、やり返せとも言えない。
微妙な空気が流れると、結菜からとんでもない言葉が発せられた。
それは、一晩……いや。もっと前からずっと考えていたことの決着がやっと付いた矢先。
気持ちが固まったばかりに、無理矢理ぐらつかされるような発言だった……
「私。蓮くんと別れようと思うの――――」