素直に正直に
男達に監禁されていたホテルの部屋を出たマユと結菜は、比較的人が通る大きな道路に面した歩道に出ると、迎えに来てくれるという蓮と純平を待っていた。
車の往来があまりないからか、勢いよく走っている車がやたらと目に付く。
始めに姿が見えたのは純平だった。反対側の横断歩道から結菜たちを見付けると、街灯の下で安心したように笑っていた。
「マユ……結菜ちゃん。無事で良かった」
駆け寄ると息を切らしながらそう言い、純平はマユに近づくとマユの頭に手を乗せ、髪をくしゅっと撫でた。
「純平……」
「いなくなったって聞いて、心配した」
優しく笑う純平を見上げたマユの瞳からは涙が溢れている。
純平は泣いているマユをそっと抱きしめると、マユがそれに答えるように純平の背中に腕を回した。
「純平……私……」
「いいんだ。今だけでいいから……」
純平がマユの首もとに顔を埋めるようにし、抱きしめている腕に力を入れたのが分かった。
マユは安心しきった表情で、純平の腕の中にいる。
どこをどう見ても恋人同士のふたり。
どこをどう考えても、マユは純平のことが好きなのに……
そう思うと黙ってはいられない。
「あの〜おじゃまかもしれないけど」
自分が居ないかのように、目の前で繰り広げられる二人のそんな光景を、本当はそっと見守っていたかったけれど、今、正に言わなければいけないことがある。
結菜の声に、抱き合っていた二人の距離が離れた。
「あ。ユイ。いたの」
「ホント。ごめんね。じゃまして」
涙を溜ながらも、しらっと言うマユに、結菜は奥歯を噛み締めながら口の中でモゴモゴと謝罪した。
「いいよ。別に」
マユはさっきとは全く違う表情で純平の傍から離れた。
「素直じゃないな」
「な、なによ」
「マユ。ホントは純平くんのこと好きなんでしょ?マユがそんなに素直じゃないなんて思わなかったよ」
「ユイが何言ってるのかさっぱり分からないよ」
そう言い、マユは結菜から視線を外した。
「マユが素直になれないのは、きっと私の所為だよね……」
「はあ?どうしてそれが、ユイの所為になるのよ」
「だって……
マユは心配なんでしょ?純平くんが。自分が計画を実行しなければ相手は何を仕掛けてくるのか分からない。もし、純平くんと付き合えば、純平くんが狙われるかもしれない。だから、断ったんでしょ?」
「…………」
「……そうなのか?」
純平の問いに顔を上げたマユの頬には涙が伝わっていた。
「マユ。ごめんね。マユに辛い思いをさせて……マユだけじゃない。純平くんにも……私の所為でふたりにこんな思いをさせてたのに。私は何も知らずに蓮くんと幸せに過ごしてた。ホントにごめん」
結菜は二人に向け頭を下げた。
こんなことで許してくれるなんて思ってない。でも、今の自分に出来るのは二人に謝ること以外、何もない。
「結菜ちゃん。顔を上げてよ。
オレは結菜ちゃんや蓮の所為だなんて思わないよ。たとえ、それが二人絡みでも、悪いのはこんなことを仕掛けている奴らだ。結菜ちゃん達じゃない。マユのことは、これからはオレが守るから、心配しないで蓮と一緒にいろ」
「純平くん……」
「それに……結菜ちゃんは、自分のことを考えた方が良さそうだよ」
「え……?」
「蓮がスゴイ顔で、こっち見てるけど?」
ほら。と純平は横を向いた。
「あ……」
さっき純平がいた横断歩道の向こう側に、肩で息をしている蓮が立っていた。それも、凄く恐い顔をして……
「オレ。マユのこと送って帰るから、これで」
「ユイ。ガンバレ」
去り際にマユにトントンと肩を叩かれた。
「ちょ。純平くん!マユ!」
−ウソでしょ!?
純平とマユがいなくなり、結菜と蓮の間を通っている道に、冷たい風が吹き抜けていった。
蓮が徐々に近づいてくる。
薄暗くても迫力のある蓮の形相に、結菜は蓮を見ながら後退りした。
怒るのは尤もだと思う。また暴走して、自分勝手なことをしたのだから。あのストーカー男がホテルの部屋に入って助けてくれなければ、今頃蓮の顔も見られなかった。
まあ。怒った顔だけど……
「どうして。逃げる」
「えっと……だって。蓮くんが怒ってる……から?」
少しずつ距離が縮まる。
「上条……」
蓮の振り上げた手に、一瞬、殴られると思い、反射的に顔を背け、固く眼を閉じると歯を食い縛った。
「ひゃ……」
−あ……れ?
ふわりと身体が包み込まれると、蓮の臭いが鼻を擽った。温もりが伝わってくると、蓮の口から安堵の息が漏れる。
「たく。冷や冷やさせやがって……」
背中に回っていた蓮の手が、後頭部に移動し、何度も頭を撫でられた。
「……ごめん」
「ホントに……俺の寿命が縮まった。どうして……くれるんだよ」
撫でていた蓮の手の指が、髪の中にするりと入り込むと、ぎゅっと更に強く抱きしめられた。蓮の身体が細かく震えている。
「蓮くん?」
いつもとは様子の違う蓮に戸惑っていた。
抱きしめられていた腕が緩み、蓮の顔を見上げると、結菜はハッと息を飲み込んだ。
気がつくと、意志に反して、蓮の頬に伝わる涙を、掌を当て拭っている。
蓮は結菜を見下ろすと、フッと笑い、その手を掴んだ。
初めて見た蓮の涙―――
こんなに心配をさせてしまったのだと、改めて自分を罵倒した。
あの時、一言だけでも蓮と話しをすればよかったのに。自分本位の行動で、結局はみんなに迷惑を掛けている……
「ごめんね……蓮くん」
蓮の胸に顔を付けると、蓮の腕が自分の身体を包んでくれた。
「バ〜カ。お前が泣くな」
そう言って、蓮はまた結菜の頭を撫でた。
辺りはすっかり明るくなり、雀が屋根の上や電線で賑やかに鳴いている。
蓮に家の前まで送ってもらい、玄関先の塀の横で二人は立ち止まった。
「今から朝ご飯作るから、蓮くんも食べていってよ」
「少しは寝ろ」
「いいよ。一日ぐらいの徹夜なんて、大丈夫だよ。それに……
それに、ヒカルと広海さんにも、このことを話しておかないといけないなって思って」
そうだな。と蓮も頷き、結菜は先に玄関に入ろうと扉に手を掛けた。
すると、その手を蓮に掴まれ、『何?』と後ろを振り向くと、そのまま玄関の横の壁に身体を押しつけられた。
「家に入る前に……」
そう言った蓮の顔が徐々に近づいてくる。
結菜は辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、それに答えるように、瞼を閉じた。
カチャリ―――
後もう少しで蓮の唇が辿り着くところで、二人以外が発した音がすぐ横から聞こえ、そのままの状態で瞼だけ開いた。
蓮越しに見える玄関の扉が開いていて、その向こうには、口を半開きに開けたまま、固まっているヒカルが立っている。
ヒカルと目が合うと、ハッと眼を大きく開き、生気を取り戻したかのようにヒカルが動いた。
「こ、こんな所で何してんだ……」
ヒカルの声に、蓮は結菜の肩に乗せていた手を下ろし、振り返ってヒカルを見ると、あからさまに嫌な顔をした。
この状態は非常にマズイ。
「えっと。ヒカル。これはね」
とにかく、誤魔化そう。
そう思い結菜はお得意の口から出任せ作戦を決行すべく口を開いた。
「結菜。お前は黙ってろ」
「上条。邪魔するな」
「邪魔って……」
蓮とヒカルはお互いが凄んだ顔で睨み合っていて、恐くてそれ以上は発言できない。
二人の間には、バチバチと火花が見えるんじゃないのかと思うぐらいの眼だけの闘争振りに腰が引けてしまう。
間近で見ていて、迫力がありすぎる……
結菜は結局、誤魔化すことも、眼での闘争を止めることも出来ず、その場に立ちつくしていた。
「今日という今日は……蓮。俺の部屋へ来い」
「ああ。望むところだ」
え?
あの?
ちょっと……?
今にも殴り合いそうな二人は、結菜なんて眼中にないといった感じに、さっさと二階へ上がっていってしまった。
結菜はその背中を、開けっ放しの玄関の外から、呆然と見ていた。
ヒカルの部屋のドアが、バタンという大きな音を立てながら閉まると、結菜は我に返り慌てて玄関に入った。
靴を脱ごうとするが、こんな時に限って、紐が結ばれたスニーカーが簡単に足から離れてくれない。
その場でもたもたしていると、二人が上がった階段を、今度は広海が下りてきていた。
「あら。結菜ちゃん。今日は早いのね」
呑気にそんなことを言っている。
「違うの。えっと。違わないけど。そうじゃなくって、二階にね。えっと」
必死に説明をしようとするが、慌てているのと、靴が脱げないのとで、上手く喋れない。
「なあに?」
「ヒカルとね。蓮くんが、ヒカルの部屋に二人で入って行ったの!」
大変でしょ?もし殴り合いになれば広海さんだって放っておけないでしょ?という意味も込め、そんな自分の気持ちに同意を求めるように広海を見た。
一人では止められないかもしれないけれど、広海が間に入ればすぐにでも喧嘩は収まるだろう。結菜はホッと肩の力を緩めると、再び靴の紐を緩めた。
「あら。いいんじゃない?」
「でしょ。ケンカになったら広海さんだって困るでしょ?」
やっと靴が脱げると、裸足で廊下に上がり、二階へ上がるために足を階段の1段目に乗せ振り返った。
「え?広海さん、今何て言ったの?」
何かを聞き間違えたような気がした。
「だから、いいんじゃないのって言ったのよ。あの二人は一度、きっちりと話しをした方がいいのよ。結菜ちゃんも男同士のケンカに口を挟むのはやめなさい」
広海からそんな言葉が返ってくるなんて、思ってもみなかった。
「だって。撮影は?広海さんがいつも言ってるでしょ?」
顔は役者の命よ!とか?
「あ。そのことなら、ノープロブレム。ヒカルちゃんは今オフだから、思いっきりケンカしまくっても楽勝よ」
「…………」