真夜中の電話
省吾の大学合格の知らせを、純平経由で知った。
直接「おめでとう」と言いたかったけれど、その時一緒にいた蓮が、直ぐさま省吾に電話をし、自分が話した後、素っ気なくその携帯電話を渡してきた。
それは蓮の優しさだって痛いほど分かっている。卒業式の日にだって、省吾が抱きついてきたとき、蓮は知らん顔をしていた。そんな蓮のぶっきらぼうな優しさも嫌いじゃない。
いや。
大好きである。
一緒にいると、喧嘩をすることもたまにはあるけれど、でも、その度に良いところも増えていく。それがどんどん重なって、好きって言葉だけじゃ足りなくて。幾ら抱きしめても切りがないほどに、その想いは膨らんで……
蓮と離れるなんて考えられなくなっていた。
でも。
ある日……
事件は起きた。
起きてしまった―――
それは省吾が大学生になり、結菜たちは二年生に進級した矢先のことだった。
静かな丑三つ時。
眠る前に蓮とお休みを言い合った後、そのまま枕元に転がっていた携帯電話が静寂な空気を打ち破るように耳元で鳴り響いた。もう身体全体が夢の中に落ちていて、結菜は半分寝ぼけて携帯電話を開いた。
「ごめん遅くに。そっちにマユが行ってない?」
「ん〜?」
「ユイ?マユがね。家に帰ってないって。さっきマユのお母さんから電話があって……こんなこと初めてだから心配だって言って……ねえ。ユイ。聞いてる!?」
「マユが?えっと……アッキー?」
「もう寝ぼけてないで、お・き・て!!マユが大変なんだってば!」
−マユが……?
頭の中にさっきアッキーが言ったことがもう一度再生された。
再生が終わると、携帯電話を持ったまま、結菜はベッドから飛び起きた。
「マユが帰ってないって!?」
「やっと起きたの?何処探したっていないのよ。もしかしてユイのとこに行ってるかもって思ったけど、いないのか……」
落胆したアッキーの声が電話の向こうから聞こえた。
「純平くんは?純平くんには聞いてみたの?」
「塚原純平には聞きづらいよ。ユイは知らないの?マユが塚原純平をふったこと」
「…………」
「ユイ?」
「え〜〜〜〜っ!!」
自分の叫びに、完全に目が覚めた。
初耳だった。っていうか、そんなこと全然知らなかったし。
マユが純平を……ねえ。
あ。
あの時の、塚原家と橋の所での口論はそう言うことだったの?
「マユが純平くんをふったなんて、なんか信じられないよ」
「でしょ?あたしは、てっきりマユは塚原純平のことが好きだって踏んでたんだけどな」
「アッキーもそう思ってた?実は私もそう思ってたよ」
そう感じる部分も多々あったのに、違ってたんだ……
「そんなことよりも、マユの行方だよ」
「そうだよね。分かった。私から純平くんと、蓮くんに聞いてみるから、アッキーはマユのお母さんから何か連絡があったら教えて。また連絡する」
結菜はアッキーとの電話を切ると、すぐに純平に連絡をした。
純平はまだ起きていたらしく、結菜とは違い話しを理解するのも早く、心当たりを探してみると電話はすぐに切れた。
次は蓮に電話をした。
何度も鳴るコールに、もう完全に眠っていることを告げられる。
蓮への電話を一度切ると、今度は念のためとマユに電話をしてみた。
蓮の時と同じように、繰り返し何度も鳴る呼び出し音に、諦め掛け切ろうとすると、画面に『通話』という文字が出ていて、慌てて受話器を耳に戻した。
「マユ?」
問いかけても、電話の向こうは静かなままで、もう一度画面を確認すると、やはり『通話』と表示されていた。
「マユ?どうしたの。何かあった?」
「…………」
「マユ……話してくれないと分からないよ」
どうしたらいいんだろう。
いったい、マユに何があったのだろう……
マユが家族に心配させるようなことをするなんて、余ほどのことが無い限り、考えられない。
「マユ。純平くんと何かあったの?」
電話の向こうに人のいる気配はする。何も言わないマユをもどかしく感じながら、それでもじっと答えを待った。
「上条……結菜……」
それは低く、男のような声―――
「え……なんで……だれ?」
その声は、明らかにマユのものではなかった。
携帯電話を右手に握り、結菜は寝静まった街の中を走っていた。
大通りに出てもこんな時に限ってタクシーも拾えず、それでも足を止めることは出来ない。なかなか見えてこない目的地に焦りを感じながら、切れている息を整える時間も惜しいほどに、ただただ足を前に出して飛ぶように走っていた。
電話の男に指定されたホテルの前に到着すると、結菜は崩れるようにその場に蹲った。
どのくらい走っただろう。息が上がり、呼吸が苦しい。口の中がカラカラで空気も吸い込めないほどに喉が細くなっているような感覚。心臓も自分のものではないみたいに、バクバクと尋常ではないほどの音が体中に鳴っていた。
結菜は自分の胸に手を当て、静まれと大きく息を吸い込むと、重い身体を引きずるように再び動かし、自動ドアの前に立った。
握っている携帯電話のバイブの振動が何度も右手から伝わってくる。
それはきっと、蓮からだと思う。家を出る前に、アッキーにだけ連絡をした。
マユの居場所が分かった。必ず私が連れて帰るから待ってて、と。
本当は蓮にも電話をしたかったけれど、それは出来なかった。マユの電話に出た男に、マユを返して欲しければ、私が一人で行くことと言う条件を出されていたから。
−蓮くんにはきっとまた怒られるだろうな……
告げられたホテルの部屋に着くと、結菜は深呼吸し、ベルを鳴らした。
覚悟は出来ている。自分がしなければいけないことは、マユを無事に家に帰すこと―――
カチャリと乾いた音がして、ドアが開くと出てきた男に中に入るように指示をされた。
「マユはいるの?」
「いいから入れ」
男は警戒しながら廊下を左右確認すると、結菜の腕を掴み、乱暴に中へと引きずり込んだ。
片手には刃渡り15センチほどのサバイバルナイフを握り、Tシャツにジーパンという軽装。
結菜が部屋に入ると、男は後ろに回り込み奥に行けと背中を押した。
背後からナイフを突きつけられても、不思議と恐怖はなかった。いざとなればよけられるという過信もあるかもしれないが、それだけではない。自分が傷つけられることよりも、マユが無事かどうか、この目で確かめることの方が重要なことに思えたから。
部屋の奥にはもう一つ扉があり、そのドアを開くと、タバコの煙が充満したリビングに、男達が3人、ソファーに座ったり、床に胡座を掻いたりと思い思いの格好で結菜を待ち構えていた。
「マユはどこ?」
肝心のマユの姿がない。
20代前半と見られる男達の一人が、ソファーから立ち上がると、腰にぶら下がっているチェーンがジャラリと鳴った。
「お友達はあの部屋にいるよ」
男の指さした方に扉がある。結菜は男達を警戒しながら移動し、その扉を開いた。
「マユ!」
ベッドに横たわっているマユの足と手はロープで巻かれ、口も騒がないようにガムテープで塞がれていた。
「ん―――っ」
「すぐに解いてあげるから」
固く結ばれたロープを外すと、マユがガムテープを自分で剥がし、結菜に抱きついてきた。 余ほど恐かったのだろう。マユの身体が震えている。
「マユ。大丈夫だよ」
「ユイ〜っ」
いったいどうして。誰がこんなことを……
「劇的な再会は堪能できた?」
部屋にいた男達全員がぞろぞろと入ってきた。
「あなた達の目的は何?」
結菜は男達の方を振り返り、マユを守るように自分の後ろにやった。