似たもの親子
外の冷たい風が、部屋の窓をガタガタと打ち鳴らしている。
省吾の瞳は結菜を捉えたまま動かず、結菜もまた省吾を見つめたまま、視線を逸らすことも出来なかった。
やはり、自分が妄想した時のように上手くはいかない。この場を笑って誤魔化せたとしても、どんなに適した言葉を発したとしても、今の省吾には、何をしても全て無意味な気がした。
そう。覚悟を決めてここへ来た筈だ。
誤魔化すのではなく、言葉で取り繕うのではなく、省吾ときちんと向き合おうと……
「先輩。私ね。蓮くんと付き合ってるの」
唐突過ぎる言葉だが、どうしても言わなければいけないと思っていた言葉。
「……うん」
自分を見つめたまま、省吾はそう答えた。
「別に。だから何だって、省吾先輩は思うかも知れないけど、でも。ちゃんと顔を見て報告したかったから」
「……すごく大変そうだよね。婚約だって?」
「それは、私も蓮くんも驚いたんだけどね。婚約だ、結婚だって言っても、ピンとこないって言うか。他人事みたいな感じがして……おかしいよね。自分のことなのに」
ははっと笑うと、省吾は潤んだ瞳を細め、結菜に優しく微笑み返した。
「なんだか、結菜ちゃんが遠くへ行ったような気がしたけど……」
「先輩?」
何の違和感もないほどに……それは当然のことのように、省吾の手が伸びてきて、自分の頬を包んだ。
「何も変わってない」
自分を見る瞳があまりにも優しくて、省吾の掌があまりにも温かくて、心臓が大きく音を鳴らし始めた―――
『押すなよ』
『だって、よく聞こえないんだもん』
ガタガタ、バッタン。
ドアが勢いよく開くと、そこへ純平と純平の母親が、将棋倒しのように崩れながら倒れ込んできた。
「純平くん」
「母さん」
頬に当てられていた省吾の手と、近づいていた二人の距離は一瞬のうちに離れ、結菜と省吾の顔は真っ赤になっていた。
「気にしないで、続きをどうぞ」
「お母さん達のことは、空気だと思っていいから」
悪びれもせず、ニコニコと笑っている二人を見ていると、顔ももちろんのこと、似たもの親子だなと得心がいく。
どこまで聞いていたのかは定かではないが、聞かれてまずいことは何も話してはいないと思う……たぶん。
でも。乱入してきた場面が場面だけに、気まずい空気が流れていた。
「母さんが押すからだろ?いいところだったのに」
「あら?お母さんだけが悪いんじゃないわよ」
「あっ。ホント。オレたちのことは気にしないで」
「そうよ。お母さんとお父さんがキスしてるところ見まくりだから、純くんだって、慣れてるもの。キスぐらい平気よね?」
「頼むから、母さんたちは子供の前では、いい加減やめてくれ」
「あら。仲が悪いよりいいじゃない?」
ねえ?とこっちに話しを振ってくるが答えようがない。
それに、キスなどしていないと訂正したいところだけれど、それも言い出せない二人の息のあった掛け合いに、省吾と結菜は、お互いに顔を見合わせると、同時に笑いを吹き出した。
「ホント。明るいお母さんだね」
友達親子ってこういうお母さんを言うのだろうか?自分も蓮のところも母親がいないからか、いまいち母親のポジションってよく分からない。
「こんなんだから、子供が苦労するよ」
「なに贅沢なこと言ってるのよ。それとも、照れ隠し?」
ニヤッと笑って省吾を見ると、参ったなと省吾はまた笑った。
「省くんが笑ってるところ、久しぶりに見たわ」
省吾の母は、大きな眼に涙を潤ませながら、嬉しそうに笑っている。
「最近じゃ、学園の制服かパジャマ姿しか見てなかったし、何かに取り憑かれたみたいに、暗い顔しかしてなかったもんな」
「女の子がひとり居るだけでも、家の中が明るくなったみたいで、いいわぁ〜
お母さん。今からでもお父さんと頑張っちゃおうかしら」
「それは、ホントに勘弁してください!」
純平と母親のやり取りが可笑しくて、結菜は我慢することなく笑っていた。隣では省吾が困ったように、苦笑していた。
二人には一頻り笑わせてもらい、空気も和んだところで、塚原ママにリビングに来るようにと誘われ、純平と省吾に続き、結菜も一階へ移動した。
「私も手伝います」
キッチンの奥で、お皿を出したり紅茶を淹れたりと、準備をしている塚原ママの隣に並び、結菜も一緒に用意を手伝っていた。
「結菜ちゃんは、省くんと……その……付き合っているの?」
塚原ママの唐突な質問に、ティーポットから淹れていた紅茶がカップから溢れ出た。
「わっ。ごめんなさい」
慌てふためく結菜に、塚原ママは微笑みながら、布巾を差し出す。
「そうだったらいいなって思っただけだから、気にしないでね」
そう言って省吾と同じように、優しく笑う塚原ママに何も言い返せない。
やっぱり、言った方が良かっただろうか……自分は蓮と付き合っていると……
大概の人は知っていると思っていた。新聞の一面に載ったのは昨日のこと。だから、わざわざこっちから言わなくても、分かっているとそう都合良く思っていた。
でも……
省吾の部屋で見られたことを考えれば、塚原ママは知らなくて良かったのかもしれない。
それもまた、ズルイ考えだけれど……
「じゃ。改めて、誕生日おめでとう!!」
ケーキの上に立ってある18本のロウソクの炎を、省吾は勢いよく吹き消した。
「ありがとう」
今日は仕事で帰りが遅くなるという塚原パパのことはさておき、結菜の居るうちにと、塚原ママは、四人でケーキを食べることにしたらしい。
塚原ママは、省吾と純平の小さい頃のことをいろいろと話してくれた。省吾はいつも女の子と間違われ、男の子にからかわれてよく泣いていたとか。反対に純平は女の子をよく泣かせていたとか。母の日には二人が競ってお手伝いをしてくれたとか……
そんな可愛かった二人が、最近は全く相手にしてくれないなど、最後には結菜に向けて愚痴るところも、塚原ママはかわいい。
しかし、幾ら弟の純平にお呼ばれしたからと言っても、まるで家族の一員のように、誕生日ケーキを囲んで、そのケーキを頬張っている自分を客観的に見ると、図々しいにも程があると今更ながらに反省した。
省吾の方はどうだか分からないが、自分は言いたかったことも言えた。今の省吾の笑っている顔を見ると、もう大丈夫そうにも思えるし……
塚原ママに、また変なことを聞かれないうちに、帰ろう。
そう思い立ったところで、タイミング良く玄関のインターホンが鳴った。
「あ。オレが出るよ」
純平がスッと立って玄関へ向かう。
「じゃ。私もそろそろ」
そう言って結菜は食べ終わったお皿を重ね、キッチンに運び、片付けも手伝ってから帰ろうと蛇口を捻った。
「結菜ちゃん。また遊びに来てね。省くんのことは関係なく」
可愛い笑顔を見せ、塚原ママは結菜に向かってウインクをして見せている。
「はい。でも……」
いいのだろうか?
もちろん塚原ママのことは好きだ。会ったばかりだけれど、こんな母親に自分もなりたいとさえ思ったぐらい。
明るくて可愛くて、お茶目だけれど寂しがり屋な、塚原ママが大好きだ。
けど、だからといって、省吾のいるこの家に、何の用事もないのに出入りすることはやはり出来ない。
笑っている蓮の顔が浮かんだ。
省吾と何も無いけれど、蓮を不安にさせるようなことは、なるべくしない方がいい。
それって考えすぎだろうか……?
塚原ママと目が合うと、首を傾け微笑んでくれた。
−い、いえない……
蓮と付き合っているということも、その蓮に誤解されたくないから、もうここへは来られないということも言えるはずもなく、結菜は顔を引きつらせながら、なんとか笑顔を返した。
「ちょっと、待てよ」
「嫌よ!」
「ちゃんと説明しろよ」
「だから、何度も言ってるでしょ!」
突然、玄関先から聞こえてきた、純平と女の子のただならぬ声に、傍にいた塚原ママと眼を合わせた。
「今度は何かしら」
心配していると言うよりは、興味津々という感じで塚原ママは、玄関に近いドアに張り付き、耳を澄ませると、今度は手招きをして結菜を呼んだ。
「母さん。いい加減にしないと、本気で純平に怒られるよ」
呆れている省吾を尻目に、結菜も塚原ママと一緒に息を潜め、少し開いたドアの隙間から純平がいる玄関の方を覗いてみた。
立っている純平の後ろ姿が見える。こちらを向いているであろう女の子の顔は立っている純平が邪魔で見ることができない。
−誰だろう……
塚原ママが誰?と小声で聞いてくるが、結菜は首を傾げ、分からないと身振りで答えた。
純平の交友関係なんてよく知らない。もちろん彼女がいるのかどうかということも。
「何度も言ってるけど、私は……」
「ちょっと、外に出よう」
純平はリビングの方、つまりはこちらを気にするように振り返ると、彼女と一緒に玄関から出て行ってしまった。
「危なかったわね」
慌てて引っ込めた顔を見合わせ、見付からなくてよかったと、塚原ママと一緒に安堵の息を吐いた。