笑顔のちから
入学してから、あっという間に二週間が過ぎようとしていた。
結菜や、蓮のことを恐れていたクラスメイトたちは、徐々にだけれど、普通に接してくれだしていた。
やはり、純平の言ったことは正しかった。
−『大丈夫だよ』
あれ以来、仲良くなった?純平たちと、お弁当を一緒に食べることも、もう当たり前になっていた。
ただ、蓮は相変わらず不機嫌を顔に貼り付けているけれど……
そして、綾は蓮のいないところで純平に聞いたらしい。
みんなが蓮を怖がっている理由を。
蓮の中学時代――――
それはもう酷く荒れていた。事あるごとに喧嘩をし、警察に何度も補導されていた。
そして……女関係も凄かった。来る者拒まず、去る者追わずで、純平が見るたびに違う女を連れていた。
その大半が年上の女性。年上といっても、一つや二つではない。
そのうち、やばい人の女に手を出してしまい、いや、出されてしまい、そのやばい人と対決をして蓮が勝利し、なぜかその組の組長に気に入られ、中学生にして、その道へ足を踏み入れた……
と、こんな感じだけど、途中からは純平の胡散臭い作り話に決まっている。
結菜は、タキが作ってくれたお弁当の玉子焼きを頬張ると、目の前の蓮を見た。
整った顔だけど、鋭く冷たそうな目……
まるで、蓮の周りには誰もいないような錯覚に陥るほどの孤独感を感じる。
半分は作り話にしても、荒れていたことは本当だろう。
いったい彼にどんなことがあったのだろうか。
そうしなければいけない何かがきっとあった筈。
こうしている今、蓮は何を考え、何を思っているのか、表情ひとつ変えない顔からは、なにも読み取ることが出来ない。
結菜は蓮の笑った顔を見たことがない。結菜だけではない、きっと、ここにいるみんなも同じだ。
純平はどうだろう。知っているのか?中学生の彼は笑えていたのだろうか。
黙って黙々とおかずを口に運んでいる蓮を、更に見つめた。
こう、眉間のシワをなくして、少しでも笑ってくれたら……だめ。想像できない。
そうだ、笑ってもらおう。……でも、どうやって?『笑ってください』とでも言おうか?
いやいや、そんなことで、笑ってくれたら苦労はしない。一発殴られるのがオチだ。
じゃあ、どうやって?
「お前。大丈夫か?」
結菜が頭を抱えて一人問答していると、蓮が怪訝そうな顔で見ていた。
−もしかして、恥ずかしいところを見られた?
恥ずかしさで、カーッと火照る顔を見られまいと側にあったお弁当袋で顔を隠した。
蓮の隣にいる純平が声を押し殺して笑っているのを感じて、お弁当袋を少しずらすと、蓮に見えないように、結菜は純平に向かって舌をだした。
「はははははっ結菜ちゃん面白すぎ。百面相してんのかと思ったよ」
「もう。純平くんを笑わせるつもりはなかったのに」
お腹を抱えて笑い出した純平に、結菜は頬を膨らませて怒った。
−きっと、蓮くん、呆れてるよね。
笑わすどころか自分が笑われて、更に恥ずかしさが増した。
「結菜……」
隣で涼しげにお弁当を食べていた綾が結菜にしか見えないように、机の下で蓮の方を指さしている。
恐る恐る顔からお弁当袋をずらしていった。
少しずつ蓮の顔が見えてくる。
もっと眉間のシワが深くなっているのだろうと想像する。
蓮の顔が全て見える頃には、その表情に釘付けになってしまった―――
−蓮くんが笑ってる……
すぐに、その顔からは笑みは消えたけれど、確かに笑っていた。
ただ一度笑った顔を見ただけなのに、結菜は心臓が飛び上がるほど嬉しかった。
笑顔って不思議な力があるのかもしれない。人を幸せにしてくれる力が……
「あっ、いたいた。純平。これ友達に貸すって言ってたCD、
返ってきたから持ってきた」
「おう。サンキュー。家でも良かったのに」
「早いほうが良いと思って……」
「……省吾さん?」
「綾ちゃん、久しぶりだね。純平から聞いたよ、同じクラスだって?蓮くんも同じクラスなんだね。いいな。楽しそうで」
そう言って、はにかんだ笑顔を見せる好青年に、クラス中の女子が熱い視線を送っていた。
「綾ちゃん、誰?」
嬉しそうに話している綾の袖を引っ張り、自分も仲間に入れてほしいとばかりに目で訴えた。
「純平の兄貴だよ」
−純平くんのお兄さん?
「省吾さん。結菜、上条結菜。あたしの親友」
「ああ、君が結菜ちゃん?結菜ちゃんのことも純平から聞いてるよ。
かわいい、かわいいって五月蠅いくらいに……」
「兄貴!結菜ちゃん、違うから。兄貴余計なこと言うなよ!」
省吾と結菜を交互に見ながら焦る純平。
「分かってるよ。『かわいい』じゃなくて、『おもしろい』でしょ?」
さっき言われたことを嫌みっぽく言ってやる。
「弟のことを宜しくね」
省吾はクスッと笑った後にそう言うと、爽やかな笑顔を落とし、結菜に手を差し出した。
結菜は、気後れながらもその手に答えて握手をし、負けじと自分で思う背一杯の爽やかな笑みを返した。