イヤな俺
「雨宮……蓮?」
視線が合っていたのは、ほんの少しの間だったのかもしれない。
ソファーに座っている男は、自分に向かって軽く頭を下げると目を逸らした。
『ヒカルちゃん?説明しろって言われてもねえ。蓮くんはそこにいるんでしょ?
話しをしても、怒ったりケンカをしたりしないでよ。月曜には撮影が入っているんだから。もしも顔を腫らして行くようなことが……』
「分かってる」
ヒカルは広海にそれだけ言うと携帯電話をパタリと閉じた。
存在感のあるその風貌。
男の自分ですら眼があっただけで、瞬間的に動悸が激しくなったほどだ。
あそこにいるのが雨宮蓮……
あいつが、結菜の好きな奴―――
結菜の……
胸の奥がジリジリとした感情でざわついていた。
男三人、ホテルのスイートルームで向かい合っているのも、なんだか可笑しな気がする。
「オレはケイ。こいつの従兄弟だ。結菜の兄貴。よろしく」
にこやかで軽快なケイという奴の挨拶から始まった。
「結菜の兄貴か……ヒカルでいい」
「じゃ。ヒカル」
ケイは綺麗な二重の目尻を垂らして、人懐っこく笑うと、隣に座っている蓮を見た。
「俺は……」
「雨宮蓮。だろ?」
「そして、結菜のカ・レ・シ」
横から茶々を入れてくるケイをヒカルは迷わず睨むと、睨まれたケイは「黙ってるよ」と舌を出して横を向いた。
ケイのことは無視を決め込み、隣にいる雨宮蓮を凝視した。
蓮という男を最初に見たとき、結菜と同じように感じたからかどうかは分からないが、蓮から語られる話しは、どんな内容でも怒らず黙って聞こうと決めた。
広海に言われたからではなく、大人しく話しを聞こうと思ったのは、結菜の好きな奴だから。
雨宮蓮は色々と噂のある奴だった。お互いが中学生だった頃からその噂はヒカルの耳にも入ってきていた。
ある時はケンカの話。またある時は女の話。
それは決していい噂ではなかった。
それでも結菜が好きになった奴だから悪い男ではないだろう。結菜の大事な人だから、自分もいい加減な気持ちで向き合ってはいけないと、自分にとっては不条理な思いで座っていた。
蓮が口を開き、話し始めた。
結菜の周りで起こった様々なこと―――
この一週間で起こったとは思えないほどのいろんな出来事を、蓮は顔色一つ変えずにヒカルに語った。
途中で何度も大声を上げて驚いたり叫んだりとしそうになりながらも、ヒカルは最後まで、「大人で落ち着いた結菜の兄貴」を演じきった。
ホント自分で自分を褒めてやりたい……
しかし、自分の居ない間に……
婚約って――
きっと居ない間を狙ってのことだろうけど。
−広海の奴!後で覚えてろよ!!
怒りの矛先を広海に切り替えながらも、向かいに座っている蓮に、どうしても聞いておかないといけないことがある。
結菜の兄として……
「こうして俺をここに連れてきて、そんな話をしてるってことは、お前は結菜のことを本気で好きだってそう思ってもいいってことか?」
ヒカルは蓮を真剣に見つめた。
「ああ。本気だ」
蓮もヒカルを真っ直ぐに見つめ、真剣にそう答えた。
「簡単に言うんだな」
こいつに結菜の何が分かる。
知り合ってまだ数ヶ月。たかが数ヶ月。
だってそうだろ?
俺は結菜を3歳の頃から知っている。
それからずっと一緒に過ごしてきた。嬉しいときも、悲しいときも。共に笑ったり泣いたり、時には慰めたり慰められたり。
そうやって生きてきた。
結菜がいたからそうやって生きてこられた……
結菜は掛け替えのない、俺の―――
「簡単に言ってるんじゃないと思うぜ」
ヒカルに睨まれてから、今まで黙って聞いていたケイが徐に口を開く。
「部外者は黙ってろ」
ヒカルはケイに、強い口調でそう言い捨てた。
ケイに怒っている訳ではない。けれど、やっぱり結菜のことになると感情のコントロールが利かなくなる。
ケイはやれやれというように手を上にあげ「オレの役目は終わったから」と蓮の肩に手を置き「じゃ。ヒカル、またな」と笑顔を見せると、部屋から出て行った。
ケイが出て行き、蓮と二人きりになると、気まずく、静まり返った部屋。そこへ沈黙を打ち破るように、携帯電話が鳴った。
ヒカルは、すぐに結菜からだと分かり、電源を切るとポケットの中にしまい込んだ。
さすがに今、この状況で話しなんか出来ない。
ヒカルが結菜からの電話を切ると、すぐに今度は蓮の電話が鳴った。
蓮は自分の携帯電話を取り出し、画面を見るとヒカルと、同じように電源を切った。
「もしかして、結菜から?」
「そっちも?」
そう言った後の蓮の顔を見て、ヒカルは思わず言葉に詰まった。
今まで表情ひとつ変えず、冷酷そうにも見えた蓮の顔が、緩んだ気がしたから。
「結菜とは上手くいってるのか?」
自分でも驚くほどスラスラと、まるで兄貴が妹の彼氏に言うような言葉が口をついて出て来た。
いやいや。自分は結菜の兄貴で、蓮は妹の彼氏だったと自分の中で苦笑する。
「…………」
黙って俯き、言いにくそうにしている蓮を見ると、やっぱり自分より年下だな。とか、ちょっと可愛いところもあるじゃん。とか優越感に浸ったりして……
さっきまで、蓮にむかついていたことをどこか遠くに置いておいて、結菜とのことを根掘り葉掘り聞いてやろう。それで、また腹が立てば、今度は本当に殴ってやろうという小狡い考えに切り替えていた。
こんな機会はもうないかもしれない。雨宮蓮という男がどんな奴なのか知るチャンス。
あの噂が本当かどうか自分で見極めてやる。
蓮を油断させておいて、本当は結菜のことをどう思っているのか聞き出し、結菜の彼氏として、婚約者として相応しいかどうか判断させてもらう。
それくらいのこといいだろ?
そう見えない誰かに断りを入れると、ヒカルは黙ったままの蓮に話しかけた。
「分かった。お互いざっくばらんにいこうぜ。俺のこと、結菜の兄貴だと思わなくてもいい。別に怒ったりしねぇし」
相手の心を開くには、まずは自分から心を開く。これは大人の世界で仕事をしていて培った術。
それでも蓮は簡単に結菜とのことを話したがらない。
それは、当たり前だろう。
蓮のように、人見知りの激しそうな奴に「ハイ。話しなさい」と言ってもそうそう心を開くわけがない。
まずは学校の様子から聞いて少しずつ歩み寄っていった。
その甲斐あってか、蓮の固かった表情も解れてきた気がする。
なんで、自分が蓮にここまで気を遣わなくてはいけないのかと少々腑に落ちなかったりもするが、ここは結菜のために、我慢。我慢。と自分を押し殺していた。
「上条は気にしてた……俺と上条の兄貴が会えば、喧嘩をするんじゃないかって」
暫くして蓮はやっと結菜のことを少しずつ話し始めた。
「そう?」
「あなたが怒っていないのを知ったら上条はきっと喜ぶ……でも」
蓮の表情が曇った。
「でも?もしかして上手く行ってない……とか?」
それなら、そのほうがいい。
俺ってつくづく嫌な奴だなと、歪んだ蓮の顔を見ながら、自分に呆れていた。
「上条は子供で……でも、俺はもっと子供で……」
ポツリポツリと何かを堪えながら話しているような蓮。
ヒカルは黙ってそれを聞いていた。
「こんなこと、あなたに話すべきじゃないと思う……
でも、どうしたらいいのか分からなくなる。
上条と一緒にいると、自分が自分じゃなくなるみたいに、止まらなくなる―――」
「…………」
蓮の言いたいことは痛いほどよく分かる……
自分自身がそうだから。
でもそれは自分が結菜と本気で向き合っているからだといいように解釈していた。
蓮も、雨宮蓮も結菜と本気で向き合っているから?だからそう思うのか?
蓮がまるで自分のように思えた―――