どうにでもなれ!
やっと日本に帰ってきた。
長かった一週間。それでも、忙しくて瞬く間に過ぎていった一週間。
マネージャーの早見が荷物を受け取るために離れると、ヒカルは携帯電話を取り出し、発信履歴から『結菜』の名前を探した。
呼び出し音が繰り返される度に、もどかしさが募っていく。
『ヒカル?早かったんだね』
久しぶりに聞いた電話越しの結菜の声は、いつもより少し低くい。それでも単純に嬉しかった。
「結菜?今空港に着いたんだ。あ〜早くタキさんのメシが食いたい」
それもそうだが、一番は早く元気な結菜の顔が見たい。
フッと吹いた結菜の息が電話越しに聞こえた。
この一週間はいい機会だった。日本を発つ前に結菜と話したことを、ゆっくりと考えることが出来た。そして自分の気持ちも整理出来た気がする。
自分にとって結菜は妹で、結菜にとって自分は兄貴で……
それでも結菜の声を聞くと、一秒でも早く家へ帰ろうと、ヒカルは早見を待たずに出口に向かった。
自他共に許すシスコン振りだなと、歩きながら苦笑する。
急いで向かった空港の出口付近には、カメラやマイクを片手に持った報道陣の集団が見えた。
『一週間お疲れ様。ヒカル……』
「お。誰か大物芸能人でも通るのか?カメラや記者がすげぇいる」
キョロキョロと辺りを見回した。
なんかのスクープか?結婚か?離婚か?
疲れている身体でも、そういうことに敏感に反応している自分が笑えた。
『ヒカル。たぶんそれって……』
結菜の声が途中で聞こえなくなった。それは報道陣たちが自分めがけて駆け寄ってきたから――
しかも、凄い勢いで。
−は?なんだ?
勢い余ってカメラが頭にぶつかったり、マイクが頬に食い込んだりとそれはもう、大騒ぎだ。これは笑えない……
「この度、結菜さんが―――」
自分に向かって、一斉にマイクが向けられた。
「あんだよ。あ?結菜?ちょ、押すなよ」
結菜がどうとか言っているが、いろんな奴らが一気に質問をぶつけてくるから上手く聞き取ることができない。
それよりも、今はここから脱出することが先決だと、ヒカルは早見を探す為に人混みの中でなんとか辺りを見回すと、ふわりと身体が宙に浮いた。
足下を見るとばたばたと交互に足が動く。確かに浮いている。
−なんでだ?
後ろを振り返ると見知らぬ巨漢の男が自分を持ち上げているのが見えた。その大男の後ろでは、早見が青い顔をして焦っている姿がある。
そして床から足がまた遠ざかった。
軽々しく自分を持ち上げている大男の力に、すごい恐怖が沸き上がる。
「な。お前、誰だよ!触んなよ!ハヤミ!どうなってんだよ!わああああっ。ハヤミーィ!!」
その大男がヒカルを肩に担ぐように持ち上げると、報道陣をかき分けて歩き出した。
「離せよ!下ろせ!!」
−どこに連れて行く気だよ!
足や手をばたばたさせて抵抗してみるが、がっしりと腰の部分に回っている腕は緩みそうにもなかった。
人々の注目を浴びながら、ヒカルはその大男に空港の屋外まで担がれたまま運ばれると、車の中に乱暴に放り込まれた。
「痛てぇんだよ!」
放り込まれる前。大男が屈んだ時に、車の入り口の上で後頭部を思い切り殴打した。
本気で痛い。
時差ボケで、只でさえふらついている頭に、追い打ちを掛けるように脳が揺れている。
「ごくろうさん。高倉」
運転席にいる男が、車の窓を開けると、後部のドアを閉めた大男に声を掛けた。
ヒカルは後ろ頭をさすりながら、運転席の男を睨んだ。
「なんだよ。てめぇは誰だ?」
後ろからちらりと見えた男の横顔と発した声は、自分の知らない奴だ。
「結菜の兄貴は威勢がいいな」
「…………」
−ゆ…いな!?
てっきり、広海が事務所の誰かを迎えにとよこしたのかと思っていた。それにしては扱いが雑だと、広海に文句の一つでも言ってやらないと、と思っていたところだったのに……
今、確かに結菜って言った……よな?
なかなか回転してくれない脳と格闘していると、大男と、呆然と突っ立っている早見に見送られながら、ヒカルを乗せた車は勢いよく発進してしまった。
その勢いで、開いたまま握っていた携帯電話を座席の下に落としてしまい、拾おうと手を伸ばすが、左右に大きく揺れ拾うことが出来ない。
後部座席にいるヒカルは、荒々しい運転にすぐにでも酔いそうになりながら、自分の揺れる身体をなんとか支えていた。
車が直進を走行している間に落ちた携帯電話を拾うと、すぐに繋がっているのか確認してみた。しかし、さっきまで結菜と話していた電話は、何の反応もしておらず、ガックリと肩を落とした。
「ケイ。運転が荒すぎだ」
車はちょうどカーブを勢いよく曲がり、ヒカルは再び身体が飛ばされそうになり慌てたが、そう冷静に言い運転席を見る助手席に乗っている男。
後ろからは、二人の顔はまともに見えないが、完全に知らない奴らであることは間違いない。
「お前達は、いったい誰なんだ?」
そして、俺をどこに連れて行く気だ?
後ろから見ていると、何だか楽しそうに運転している男に、その横で静かに座っている男。
今この二人に何を聞いても無駄なような気がした。
車は高く聳える建物の前に到着すると、きっちりとした制服を着込んだホテルマンが車の扉を開け、ここから降りるように促した。
右へ左へと揺られた身体は、車から離れてもまだ走り続けているようだった。
寝不足の身体にはきつく、胃がムカムカして気分が悪い。
いつもなら絶対ついてなど行かないだろう。っていうか、完全にキレてる。
いきなり拉致され、その上、何の説明もなく、誘拐同然に連れてこられたのだから。
でも。どうしてだろう。
不思議と従順に従ってしまっている。
これは時差ボケとこの気分の悪さの所為だ。それとも、なるようになれという諦めか?
そう無理矢理に理由付け、二人に続き、ヒカルはホテルの中へと入っていった。
『お帰りなさい。ヒカルちゃん』
そう広海から電話が掛かってきたのは、ホテルの最上階にあるスイートルームに入った時だった。
ホテルマンに連れられて、専用のエレベーターを降り扉が開くとすぐに部屋へと通じていた。部屋の数は分からないが、きっと相当に広いと想像できるような目に前に見えるリビングの壮大さ。
慣れたように入って行くこいつらは何者なんだと、改めて思っていたところだった。
「広海。俺は今どこにいると思う?」
知らない男二人にホテルまで連れられてきたと聞けば、さすがの広海も慌てるだろう。
『あら。プリンセスホテルでしょ?もう着いたの?』
当然のように言う広海にヒカルの方が驚いた。
「なんで……」
知ってるんだ?
『ちゃんと話しを聞きなさいよ。結菜ちゃんのことなんだから。怒らず冷静に聞くのよ』
ヒカルちゃんは怒りっぽいんだからと広海は、電話越しにブツブツと言っている。
「結菜のこと?」
『そうよ……まさかもう手を上げたんじゃないでしょうね?』
「は?何のことかさっぱり分かんねえ。俺に分かるように説明しろ」
広海は見当違いなことばかり言っている気がする。
それとも自分が分かっていないだけなのか?
ヒカルは携帯電話を耳に当てたまま部屋の中を見回してみた。
今、自分の前に広がる一面がガラス張りのリビングで、車を荒々しく運転していた男は、子供のようにその広大なガラスにへばり付き、外の様子を眺めていた。
そして、助手席に乗っていた男は、クリーム色のソファーに長い足を組んで座り、背もたれに腕をかけ、こっちを見ると……
目が合った。
ゾクリとするような視線―――
逸らしたくても目が離せない。
−こいつ……
今までに、いろんな奴を見てきた。
芸能界という特殊な環境の中にいたからか、一般的に可愛いと言われる子やイケメンと言われる奴らでも、そんなに特別だとは感じたことはなかったのに……
−こいつ。結菜と同じだ。
その場の空気が変わるような錯覚―――
自分にはそんな特別な能力があるとは到底思えないが、何故だかはっきりと分かる。
分かってしまう……
目の前にいるこの男は……
「雨宮……蓮?」