プライバシーの侵害
部屋で着替え終わると、ドアをノックする音が聞こえた。
また『暇だ〜』と蓮でも来たのかと思い「何!?」と少々不満げにドアを開けた。
昨日はあんなに傍にいて欲しいと思っていたのに、自分でも信じられない。
「ちょっと、よろしいですか?」
予想は外れ、ドアの向こうにはサングラスを掛けていない強面顔の進藤が立っていた。
それはそれで、がっかりする自分に呆れてしまう。
「あの。何か?」
進藤は部屋に入ると、フローリングの上に正座した。それを見て結菜は慌ててクッションを差し出すと、自分もテーブルの対面に行儀良く腰を下ろした。
「私がなぜここへ来たのか分かりませんか?」
無表情でのいきなりの問いかけに戸惑っていたが、すぐに昨日のことが浮かんだ。
「さ……あ?何故でしょう?」
きっと目が泳いでいる。それを悟られないよう首を傾けながら進藤から目を逸らした。
「誤魔化しても無駄です。高倉と徳田にとって、蓮さん達より私の命令の方が絶対ですから。私が留守にしている間に……」
複雑な表情を結菜に向けると進藤は息を吐いた。
言いたいことは、はっきりと分かりすぎる程に分かってしまう。
早朝、蓮のところから自分の部屋に帰るとき、部屋の前にはゲッソリとした高倉が昨日と同じ場所に立っていた。
『絶対に進藤さんには言わないで』とあれほど頼んだのに……
「高倉さんのおしゃべり!」
結菜は呟くと横を向いてチッと舌打ちをした。
「結菜さんがお話にならなくても、今日の蓮さんの顔と、車内での会話から、大体のところは想像がつきますが」
「…………」
やっぱり、聞かれてたんじゃない!
結菜はまた横を向くと今度は「蓮くんのバカ!」と呟いた。
「もうすぐ、ヒカルさんが日本へ帰って来られますよね。このことが知れれば蓮さんとどうなるか……」
「だから?だから私にどうしろと?」
「見かけによらず、勘が鋭いようですね」
小馬鹿にするように、フッと笑った進藤に、結菜はむかつきを覚えた。
「実は昨日、志摩子様にお会いしてきました」
「…………」
「やはり、私の読み通りだったようです」
進藤が志摩子に会ってきた―――
驚く話しだが、何を聞いても顔に出さまいと、結菜は黙ってジッと進藤を睨んでいた。
進藤はそんな結菜には構わず、淡々と話し始めた。
進藤が志摩子から聞いたという話しはこうだ。
志摩子の目的は上条財閥を自分のものにすること。
だから、次期当主である結菜の命を狙っていた。
しかし、裏で派手に動きすぎた志摩子は、結菜の命を狙っているということを兄の義郎に知られてしまい手出しが出来なくなってしまう。そこで、志摩子は仕方なく違う方法に移行した。
その計画には蓮の存在が邪魔であり、結婚する前に二人を別れさせるか、蓮のことを消すか、どちらかだと志摩子は進藤に言った。
派手に動きすぎたって……今まで命を狙われた覚えは一切ない。
なんだか胡散臭い話しだ。
「それって本当のこと?もし本当のことだとしても、どうしておばさまが進藤さんにそこまで話すのか私には分からない」
進藤は雨宮側の人間であり、いわゆる志摩子の敵である。その敵の進藤に、自分の手の内を簡単に見せるとは思えない。
「先程言いましたよね。私の読み通りだったと……志摩子様は始めから結菜さんを狙ってはいなかった。それを知っていた私は、どうしてこの家にあなたを連れてきたと思いますか?」
たしか、進藤は広海に「結菜さんの命の危険があるから守ります」とか言ってここに住まわせた。
「え……と。蓮くんのお父さんの命令……とか?」
「いいえ。会長に命令されたのは、お二人を婚約させろとのことだけです。このことに関しては私の独断でさせていただきました」
「じゃ。どうして?」
「結菜さんが蓮さんの近くにいれば、志摩子様も易々とは蓮さんを狙うことはできない。二人を婚約させろという会長の命令にも背かなくてすむ……私にとってあなたがここに居るというのは都合が良かった。
でも、結局はそう長くは続かない」
「私が蓮くんと別れない限り、蓮くんはおばさまに狙われ続けるってこと?でも、ここには命を守るプロが沢山いるんじゃないの?それに、おばさまでもプロを雇って証拠が残らないようにすれば、私を狙ってもおかしくないって思うけど……」
「もしも結菜さんが、志摩子様ではなく、他の誰かに命を狙われるようなことがあったとしても、一番に疑われるのは志摩子様です。義郎氏によって上条財閥から排除されてしまうかもしれない。ですから志摩子様はあなたの命は狙えないのです。蓮さんが狙われた場合は、例え疑わしくとも、確たる証拠さえなければ上条財閥の中にいる志摩子様までは誰も辿り着けないでしょう。
そのことを志摩子様はよく存じています」
「だからって、どうして私がここにいることは、長くは続かないの?」
「それは……私もこの婚約に反対だからです」
「…………」
「今の雨宮グループにとって、上条財閥は必要ない。ですが会長は同情で、結菜さん、あなたを上条財閥から引き離そうとしている」
「どういう……こと」
「きっと義郎氏に頼まれたのでしょう。結菜さんを守ってほしいと。義郎氏は今の志摩子様の企みをご存じない。今でも志摩子様があなたの命を狙っていると思っている。ですからあなたのご両親の旧友であった会長に結菜さんを託そうとされたのだと思います」
え!?
旧友?
「蓮くんのお父さんとパパとママが……?」
ちょっと待って。頭の中が整理出来ない。
「そうです。神楠学園の同級生でした。ですから会長は同情されて雨宮家に結菜さんを匿う形で蓮さんと婚約させようと思ったのです。そんなことで蓮さんの結婚相手を決めるなんて……そんなことをなさるから蓮さんの命まで危険にさらすことになるのです。
ですから私は志摩子様に言いました。
必ず二人を別れさせるから、蓮さんのことは傷つけないでほしいと。
結菜さんも私と同じ気持ちだと思っています。そう感じたのであなたに全てをお話したのです」
「昨日のことは言わない代わりに蓮くんと別れろ……と?」
「すぐにとは言いません。志摩子様とも話し合って、来年の秋まで待っいただくことになっています。それまでは手出しはしないと約束していただきました。蓮さんにはこれからのこともありますし、秋頃からはアメリカ留学に行っていただく予定です」
「え……っと。留学って?アメリカって……」
そんな……
「それに、ヒカルさんが本当のお兄様でないと分かれば蓮さんはどう思われるでしょう。それよりも、蓮さんとのことをヒカルさんが嫉妬されるとか……何れにしろ、昨日のことが知られれば、皆さんがお困りかと」
口許を上げて笑う進藤を結菜は睨み付けた。
無性に腹が立ってきた。
上条家の内々のことで蓮を巻き込んでいることは申し訳なく思う。
でもだからって、別れろと言われても「はいそうします」とはとてもじゃないけれど簡単に言えるわけがない。
結菜はテーブルを両手で勢いよく叩くと立ち上がった。
「どうぞ。言いたければ言えばいいでしょ!私は別に構わないから!」
進藤に向かって、威勢良く啖呵を切った。テーブルを叩いた掌がジリジリと痛んでいる。
睨んだ先の進藤は、片方の口許を上げて笑うと「そうですか……それは残念です」と静かに立ち上がり、また嫌な笑いを結菜に向けた。
「ま、まだなにか?」
今度こそ何か言い返されると、余裕の進藤に少々怯み、声を発した。
「今日から廊下の見張りはありません。その代わり……」
そう言って進藤は天井の角を見た。結菜もつられて同じように見上げた。
そこには昨日までは無かった黒い物体が天井からぶら下がっている。そしてこっちを向いたレンズがキラリと光った。
「ビデオ……カメラ?」
「バスルームとトイレ以外、全ての部屋に取り付けています。こっそりと蓮さんの部屋に行かれても全て映っていますからご注意を」
フッと鼻で笑って進藤は部屋から出て行った。
結菜は暫く放心状態でその場に座りビデオカメラを見つめていた。
何だったのか?
狙われるとか。計画がどうのとか。蓮の父親と同級生とか……留学がどうのとか……
「あああああっ!分かんない!!」
結菜は進藤が出て行ったドアに向かって思い切りクッションを投げつけた。
「いで!」
投げつけたクッションは、ちょうどドアを開けた蓮にジャストフィットしたようだ。
蓮は顔を押さえながら下に落ちたクッションを拾った。
「もう。なに!?」
何でこんな時にそこにいるの。と、自分でも訳が分からない苛つきを蓮にぶつけてしまった。
「こっちが聞きたいよ。ったく」
そう言い、蓮は普通に部屋へと入って来るとクッションを結菜の足下に置いた。その脇にはノートパソコンを抱えている。
「入ってこない方がいいよ。ほらあそこにビデオカメラがあるでしょ?」
だから一秒でも早く、この部屋から出て行って欲しい。
今は一人でじっくりと頭の中を整理したかった。
「知ってる。俺の部屋にもあったからな」
「じゃ。すぐに進藤さんが怒りに来るんじゃない?」
「大丈夫。手は打ってきたから」
「……?」
蓮はニッと笑いながら、グリーンの壁側に備え付けてある真っ白な机の上にパソコンを置き、それを開いた。
結菜も立ち上がって机の傍に行き、開いたパソコンを蓮の後ろから覗いてみた。
そこにはこの机に向かっている自分が一人映っている。もう一つの画面の中でも蓮が自分の部屋で椅子に座り勉強しているシーンが映っていた。
今、進藤側に映っている映像はこのパソコンの中の映像らしい。
「これっていつの映像?」
「まあ。細かいことは気にするな」
「…………」
「上条?」
「もう……わけが分からないよ……」
泣きたくなってくる。
進藤の言ったことは本当かどうかも分からない。味方か敵かさえ分からないのだ。
別れろと言うことはやっぱり味方ではないようだけど……
「ごちゃごちゃ思ってないで、頭の中を真っ白にしろ。そんで何も考えるな」
俯いた頭の上で聞こえる蓮の声は懸念を含んでいる。
それはそうだろう。いきなりクッションをぶつけられたと思ったら、わけが分からないと泣きそうになっている女が目の前にいるのだから……
蓮に両腕を掴まれると、ベッドの上に座らされた。
何も考えるなと言われても、いろんな事が頭の中を駆けめぐっている。
蓮が自分を見ていると分かっていても蓮に構っている余裕が自分の中には無かった。
進藤との話しを蓮が知ればどう思うんだろう。
進藤も自分たちを別れさせようと思っていると分かれば、蓮はなんて思うだろう。
一番近くにいる人がそんなことを考えていると知れば、蓮だって少なからず傷つくかも知れない。
それに、ヒカルと血の繋がらない兄妹だって知れば、やっぱりいい気はしないと思うし、昨日のことをヒカルが知れば間違いなく何か事が起きそうな気がする……
ダメだ。
何も考えるなって、無理。
「ごめん。一人になりたい……」
「だから、何も考えるなって」
蓮はそう言って顔を近づけてくるけれど、結菜は横を向いてそれをかわした。
「そんな気分になれない」
「進藤の言うことなんか気にするな。脅しなんかかけやがって……」
「……え?」
「心配するな。アメリカ留学なんかしないから」
「え!?な、なんで知ってるの?あ……もしかして、ビデオカメラ?」
このカメラには音声も聞こえるのかもしれない。
「違うよ。進藤のおっさんも俺を見くびったもんだな。
あのカメラは映像だけ、音声はここ」
蓮はそう言い、白い机の下に手を伸ばすと、黒く小さな物を取り出した。
「なにこれ?」
「盗聴器」
顔の前で盗聴器を揺らしながら、蓮は悪びれもせず笑っていた。
部屋の中には堂々とカメラがぶら下がってるし、盗聴器まで仕掛けてある……
「この家はプライバシーも何もないじゃない……」
気力が失せ、怒る気にもなれず結菜は溜息を付いた。
「だから大丈夫だ。何も心配ないだろ?」
蓮は全てを聞いていて、それで心配して来てくれたのだろうか。
全てを聞いていた……
それでもいつもとは変わらない蓮に、結菜の中で安堵感がじわりと沸いてきた。
でも……
何が大丈夫なのか。何が心配ないのか……
「わからないよ……」
「え?」
「あなたが今何をしてるのか」
「何って。愛を確かめる行為?違うな。育む行為?」
「あのね……」
いつの間にかベッドに倒され、上からは蓮が満面の笑顔で覗いている。
「なんか今日って一日が長くね?」
「どうでもいいけど、そこから退いてくれない?」
「なんで?」
「なんでって?……できるわけないでしょ!」
「ああ……そっか、痛いんだ。頭。結構ぶつけてたもんな」
「頭がですかっ」
確かに昨日は痛さのあまりに上へ上へと逃げ、ベッドヘッドに何度も頭をぶつけてしまった。
だから頭には、触れば痛い、たんこぶが出来てますけど?
「大丈夫。痛くないように優しくするから」
言葉通りの完璧な優しい蓮の顔に流されそうになってしまうが……
違う!
ムリ。
「ありえない!」
そう言って結菜は蓮を押しのけ起きあがると、パソコンを蓮の胸に押しつけた。
心配して来てくれたんだと思った私がバカだった。
「なんだよ」
「今日はホントにダメ!上も下も痛いから、しばらくはムリ!!以上」
結菜は文句を言っている蓮の背中を押しながら、ドアの向こうへと放り出した。