仕返し
「次、どこ見る?」
何もなかったように蓮は廊下を歩き出した。
その背中もなんだか寂しそうに見えてくる。
「蓮くん」
結菜は蓮の傍に駆け寄ると、蓮の手を取り、ギュッと握った―――
蓮の寂しそうな顔を見ると、自分が幾ら楽しい気分でいようと、急に不安になってしまう……
蓮は時々こんな顔を覗かせる。
教室で純平がくだらないジョークを披露し、みんなが笑っているときも、蓮は一人窓の外を眺めて何かを考えているような遠い目をしていることがある。
それは、二年も会わない父親のことを思っているのか……それとも亡くなった母親のことを思い出しているのか……
そうかと思えば、蓮に見つめられてドキッとしていると、何か言いたそうな素振りをするが、結局は何も無かったかのように話しを逸らしたり……
そんな時は、ドキドキしているのは自分だけかと落ち込んだりもしたけれど、何度かそんなことがあると、本当は何か私に言いたいことがあるんじゃないのかって思うようになった。
こうして一緒にいる時は、その何かを言う機会を窺っているんじゃないのかって、勘ぐったりして。
もしその勘が当たっていたら、何だろう?私に言いたいことって?
聞きたいけれど聞けない。
私の悪い癖だって分かっているけれど。
恐くて聞けない―――
『同棲はどんな感じ?』
「同棲って……」
結菜はベッドに寝転ぶと携帯電話を当て直した。
マユの父親が以前勤めていた雨宮グループの関連会社に再職をしたとマユ自身から連絡があった。
しかも、『部長』という肩書までもらったと―――
マユの父親は複雑な心境だったが、それでも背に腹は代えられないと、自分をリストラした会社にプライドを捨て出勤して行ったと、マユは誇らしげに語った。
良かったねという暇もなく、マユは今の蓮とのことについて、興味津々に聞いてきた。
『一緒の家に男と女が暮らしてるんだから、同棲でしょ?
いいな〜ユイは。雨宮蓮とずっと一緒にいられて』
「マユも一緒にいたい人がいるんだ?」
『なっ。私のことはどうでもいいのよ。
それより、ユイ。気をつけなよ。あの志摩子って言うおばさん。ホント何を仕掛けてくるかわかんないよ』
「私は大丈夫。進藤さんたちが守ってくれてるから。でもマユ達は平気?もし何かあったらすぐに知らせてよ」
蓮はみんなにも護衛を付けると言った。だから安心だとは思うけれど、でもやっぱり何かあったらと思うと気が気ではない。
『ユイはユイたちのことだけ考えてればいいんだよ。
今、雨宮蓮は何してるの?』
「さあ。部屋で勉強でもしてんじゃない?」
一応、コウナン学園は進学校だ。
昨日も大人しく夜は部屋にいたことを思うと、勉強をしていると考えるのが正しいだろう。
『へえ。勉強ね。ユイが同じ屋根の下にいるって言うのに……勉強って』
男としてどうなの?と後に付け足して、話しもそこそこにマユはさっさと電話を切ってしまった。
そんなことを言われれば気になるではないか。
蓮は部屋で何をしているのか―――
それと同時にあの、寂しそうな蓮の笑顔が脳裏に浮かんだ。
よし。とベッドから起きあがると、結菜はさっそく蓮の所へ偵察に行くために廊下へひょこりと顔を出した。
すると、がっちり体型の高倉がドアの外に直立して立っていた。
「何処へ行かれますか?」
昨日はひょろ高い徳田が朝まで同じ場所にいて、今日は高倉。交代で部屋の前の見張りをしてくれているらしい。
誰かからの襲撃から身を守ってくれていると言うよりは、この家にいる人……つまりは、蓮から身を守られていると感じるのは気のせいだろうか。
「あの。ちょっと勉強で分からないところがあって、蓮くんに聞きに行こうかと……」
高倉の眉がピクリと上がった。
「いけません。私が怒られますから」
鍛えられた立派な体型には似合わない慌て振りと言葉を発してる高倉に、結菜は思わず笑いそうになってしまった。しかも、今朝の徳田と同じセリフを言っている。
「怒られる?どうして?
進藤さんは、私の部屋には入るなって何度も言ってたけど、蓮くんの部屋に入るなとは、一度も言ってないのに?」
「そ、それは……」
「じゃ。行ってきます」
屁理屈だとは思うけれど、そうでも言わないと部屋の外にも出してもらえないような、そんな気がした。
蓮の部屋の前に行き振り返ると、自分の部屋の前では小さく見える高倉が行かないでと言っているように手をこちらへと伸ばしているのが目に入ってしまった。
ごめんなさいと高倉に心の中で呟くと、躊躇うことなくドアをノックした。
「…………」
何度ドアを叩いてみても、中にいるはずの蓮からの反応はない。
もしかして居ないのかもと思いながらも、高倉の様子を気にしながら、ドアノブをそろりと下ろすと簡単にドアが開いた。
「おじゃまします」
小声でそう言うと、結菜は足音を立てないようにゆっくりと中へと入っていった。
ドキドキしている。
勝手に部屋へ入ったこともそうだが、もし蓮が中にいれば、何をしているのかをこっそりと覗くという行為が、気持ちを高潮させていた。
二メートルほどの通路を通ると、壁の上部分が逆L字型にくり抜かれている部分がある。明かりが点いているから部屋にはいるらしい。
そっと、くり抜かれた壁から中の様子を探ってみた。
−いた!
そこへは机に向かっている蓮の背中が見えた。
机の上にノートパソコンを広げカチャカチャと何かを打ち込んでいる。
それもかなり早さで。
ブラインドタッチと言うのだろうか。手元を見ないで打っている。
なんだ、パソコンか……と結菜は面白くなさそうに呟いた。
何を打ち込んでいるのか気になるところだが、そこまで覗いてはいけないと、今更ながらだが、良心がそう言っている。
「蓮くん?」
一度目は小さな声で言ってみた。でもやっぱり反応がない。
「蓮くん」
少し声を張ってみるが、やはり気付いてはもえなかった。
どうして分からないのかと少し近づくと、蓮の両耳から線が下に延びているのが見える。
耳を澄ますと、キーボードの音と一緒にイヤホンから漏れているリズミカルな音楽が聞こえていた。
だから、いくら大きな声を出しても聞こえないわけだと納得し、蓮の真後ろに立つと結菜はニヤリと笑った。
そうだ。
今朝のお返しをしてあげよう!
今度は悪心がそう囁く。
どう仕返しをするのか?
「わっ」と背中を押して驚かす。それはびっくりするだろうけど定番すぎて面白くない。
では、何か物を動かして帰る。これは驚くというか怖がるだろう。知らないうちに物が動いているのだから……
……だめだ。それだと、自分がその場にいないから蓮の驚く顔が見られない。
それじゃ、後ろから目隠しをする?「だ〜れだ」って言ったら……
って、そんなの私しかいないじゃん!
どうやって脅かそう……
う〜ん。困った。あまり考えている時間もない。
よし。ここは定番でいって、とにかく蓮の驚く顔を見ることにしよう。
あの蓮が、どんな顔をするか楽しみだ。
長い一人審議の末、結局は後ろから驚かすというシンプルな案に決定した。
結菜はくくくっと笑いを堪えると、蓮を驚かす為に手を上げた。
「お前。人の背後で何やってんだ?」
結菜が両手を肩の辺りまで上げ近づいていくと、蓮が片耳のイヤホンを外して後ろを振り向いた。
「わっ!!!」
結菜の方が驚いて慌てて後ろに下がると、自分の足が絡まってお尻から転んでしまった。
「だ、大丈夫か?」
「いたっ……」
やり返すつもりが、また蓮にやられてしまっている。
心が挫けてすぐには起きられずにいると蓮が「ほれ」と手を指し出してくれた。
「たく。なにやってんだか」
呆れたように蓮が言うけれど、仕返しをしようとしたとは口が裂けても言えない。
「それ。何見てるの?」
ここはこれ以上勘ぐられないように、蓮の手を取り素直に起こしてもらうと、結菜はパソコンの画面を指さした。
「調べもの。もう少しだから、ちょっと待ってろ」
蓮はそう言うと、もう片方のイヤホンも外し、自分が聴いていたiPodを結菜に手渡すとまたパソコンに向かってしまった。
結菜は仕方なく後ろのベッドに腰を掛けると、蓮から受け取ったイヤホンを耳に付けてみた。耳に引っかけ、耳に被せるようになっているイヤホンはイヤーラックスのように温かい。
軽快な音楽が流れ、さっきまで静かだった部屋は何も変わってはいないのに、雰囲気が違うように感じた。
蓮の後ろ姿を眺めてみても、暫くは相手にして貰えそうにもない。
結菜は仰ぐように天井を眺めた。
−あれ?
昨日、蓮がここに寝転んだ時、天井をずっと見ていたことを思い出した。
なんだろう。
天井に模様のようなものが付いている。それは目をこらさないと分からないような模様。
しかも、その模様は天井一帯、不規則に描かれている。
結菜も、昨日蓮が見ていたように寝そべってそれを見てみた。
でも。何かは分からない。
「なんだろう……」
両手を天井に伸ばしながら、結菜は知らないうちに呟いていた。
ピッという音と共に、部屋の中が一瞬で暗くなった。
「え?ちょっと、蓮くん?」
結菜は慌てて起きあがると、蓮はパソコンを閉じ、隣に座った。
「さっきみたいに寝てみたら、何か分かるかもな」
蓮はそう言ってベッドに仰向けに転んだ。訳が分からないまま、結菜も蓮の隣で同じように仰向けになった。
さっきしていたように天井を見るが、真っ暗で何も見えない。
「ねえ?これが何?」
「いいから。じっと見てろ」
不満を言いたいところを堪え、蓮に言われた通り、また天井を眺めた。