予想外と想定外
進藤は席を外し、蓮はこのまま残ると言い、結局は三人でこの場所にとどまった。
「広海さん……」
「志摩子と会ったって本当?」
「あ……うん。でも。何もされてないし、そんな命の危険があるってことはないと思うけど」
志摩子は、口は悪いしお金にも汚いが、仮にも祖父義郎の妹。広海からすれば、歳はたいして変わらなくても叔母である。まさか私の命を狙うなんてことはないと思うが……
「志摩子は何か言ってた?」
広海にそう言われ、改めて志摩子が言ったことを思い出してみる。
『あなたが大事に想っている人が傷つくことになるのよ』
これはまだ何も知らないときに志摩子がホテルで言った言葉。
『これ以上詮索すると、結菜さんの周りの人たちが傷つくわよ。今すぐに、雨宮蓮と別れなさい』
昨日マユを呼び出した時に志摩子が私に向かって言った言葉。そして―――
『あなたたちは知らなくてもいいのよ。知れば命の保証だってないかもしれないわ』
マユとアッキーと私に言った言葉……
命の保証はない。
確かに志摩子自身からそう聞いている。
「何か言われたのね?」
総合してみれば、自分だけではなく周りの人がすべて対象と言うことになる。
「私だけ守ってもらっても意味ないよ」
顔が強ばる。
そんな現実離れした話し。とアッキーのように笑い飛ばしたいけれど上手く笑えない。
「あいつらのことなら心配いらない。これ以上深入りはさせないし、暫くは護衛をつける。でも。一番狙われるのはお前だ。分かってるのか」
「違う。狙われるのは蓮くん……あなただよ」
志摩子はあえて言わなかったけれど『大事な人が傷つく』とはそう言うことだろう。
「起こるかどうかのことを議論してたって切りがないわね。結菜ちゃん。あなたはどうしたいの?」
「え?」
「ここに残るのか。一緒に帰るのか。あなたはどうするべきだと思うの?」
その選択を聞くために広海は二人で話しがしたいと言った。
まあ、何故か蓮も一緒にいるのだが……
どちらか選べ?
残るか?帰るか?
そんなこと決まっている。私の答えは『今すぐ家に帰る』だ。
家に帰って、すぐにお風呂に入って、そして自分の部屋のベッドに寝転びたい。
「上条。よく考えろ。もし本当にお前の命が狙われているとしたら、今帰れば家にいる人にだって危険が及ぶかもしれない。狙われるってそういうことだろ?」
「そんな……広海さん、そうなの?」
広海は少し戸惑った顔をすると寂しそうに目を伏せた。
「そうね。はっきり言って私的には今は帰るべきではないって思うのよ。この婚約のことでも騒ぎになって事務所に問い合わせも来てるし、菜穂のこともあるしで、今事務所は大忙しなのよね。だから、早く帰ってあげられないのよ。もしかすると暫くはホテル暮らしになるかもしれないし……」
「え?どうして?」
「ほら。今ヒカルちゃんが海外に行ってるでしょ?帰ってきたらこの状況では家には帰られないと思うのよね。私もマスコミの前に出る気はさらさらないし。実はタキさんも急に息子さんの家に行くことになって暫く留守にするってさっき連絡があったばかりなのよ」
それって、家に帰っても誰もいないってこと?
だったら最初から聞かなければいい。どうするべきかなんて……
「広海さん。私にここに居ろって?」
結菜は睨むような目をして広海を見た。
「そうした方がいいとは思うけど……違う意味で危険じゃないのかなって思うのよね」
広海はそう言い、ちらりと蓮に視線を移した。
「ご心配には及びません」
そこへ、タイミングよく進藤が部屋に入ってきた。
「雨宮グループの事業の一つにセキュリティー会社があります。こちらの会社は、企業の警備から個人の身辺警護などのボディガードや危機管理なども手がけています。その中でも選りすぐった『人命を守る』ということに関してはプロ中のプロを配置して24時間体制で結菜さんをお守りします。ですから、ご心配いりません」
淡々と進藤が説明した。
24時間体制?
それはつまり、今まではこそこそと私たちの身辺を探っていたものを『これからは堂々と監視します』と言うことだろうか。
進藤の説明を聞きながら、「それでもねぇ」とか「やっぱりうちは女の子だし」とか広海は納得がいかない様子だった。
誰もいない家には一人では居させられないけれど、雨宮家に居させるのも心配だと言ったところだろう。
「そんなに心配なら、報告書でも書いてもらえば?進藤はそういうの得意だろ?」
結菜は報告書と聞いて蓮が進藤に皮肉を言っているのだとはっきりと分かった。
私が志摩子から渡された報告書はきっと進藤が作成したもので、それを上条家に渡していたのはマユの話しからも決定的だ。
「報告書?」
「そうですね。ご心配でしょうし、こちらで定期的に報告をするということでどうでしょうか?」
進藤は蓮の言葉にも動じることなく職務を遂行している。
上条結菜を雨宮家で保護するという職務。
「命の危険があるって言われれば、そうした方が得策だとは思うけど……」
「まだ何か?」
広海が今度は結菜の方を見た。
「私は大丈夫だよ。ちょっとの間だけでしょ?一生会えないわけじゃないんだから」
ははっと広海に笑って見せた。
ここで嫌だ嫌だと言っていても広海を心配させるだけだし、それにこの家に居られるのは監視の目があるにしても蓮と一緒にいられる時間が増えるということ。
それって、考えてみれば……
嬉しいことなんじゃない?
翌日。目覚めるといつもとは違う天井が目に映った。
ああ、ここは蓮の家だったとボッーっとした頭でそう思いながら、ゴソッともう一度布団の中に潜り込んだ。
「ちょっといけません。蓮様。私が怒られますから」
ドアの外で何か揉み合っている声が聞こえたかと思うと、今度はカチャリと扉が開く音が聞こえた。
朝から何だろう。と布団の隙間から部屋の様子を伺うと二本の脚がこっちに向かって歩いてきている。
「なんだ。まだ寝てるのか」
二本脚の上の方で呟くような声がすると、やがてその脚は少し遠ざかりその場で折れ曲がると全身が布団の間から見え、思わず布団の隙間を塞いだ。
今、目が合った気がした……
どうして?と思う片隅で昨夜のことを思い出していた。
なんとなく納得した広海が帰った後、進藤からこの家での生活についての簡単な説明と、これから身辺の警備にあたってくれるという二人の男を紹介された。
一人は高倉と言い、鍛えているガタイのいい身体つきは、如何にもボディガードという職種に似合いそうで、顔も太い眉毛が凛々しく精悍な感じがした。
そして、もう一人は、え?と思わず首を捻ってしまいそうな、見た目もか細く、ひょろりと背が高い徳田という男。
見るからに、対照的な二人だった。
さっきドアの向こうで聞こえたのはきっと徳田の声だろう。
結菜は熱の籠もった布団の中で、息苦しさを感じながら相手の出方を窺っていた。
昨日進藤が蓮に言っていた。
『結菜さんの部屋には入らないように』と……
よそ様の大事なお嬢様を預かっているとか、けじめはつけないといけないだとか、蓮には懇々と言って聞かせていた。
その諭しも虚しく、昨日の今日で進藤の言いつけを破ってここにいる蓮を結菜は、どうしてここにいるの?と恨めしく思っていた。
昨夜、本当にこれで良かったのかと疑問の残るまま、これから暮らすという部屋へ案内されると、一番に目に入ったのがベッドヘッドの向こう側の壁。
作りつけの真っ白い机の上に取り付けられている棚のある壁は薄いグリーンで明るい照明が組み込まれていた。
手前にあるベッドもベッドカバーも、中に何も陳列していない棚も、全て真っ白で、そのグリーンがより際だっていた。
「かわいい」と思わず独り言を言ってしまったほど。
暫し、がらんとした部屋を眺めてからベッドの上に転がってみた。
じっとしていると寂しいと口から零れてきそうになり、それを打ち消すように慌てて起きあがるとすぐにお風呂に入った。
何も考えず、温まった身体をふわふわのタオルで拭いていたとき、着替えが無いのに気がついた。
自分の着ていたのは学園の制服で、あるのはその日に行われた授業分の教科書と筆記用具だけ……
何を着て眠ればいいのか?下着は?と裸の状態で今更ながらに焦ってしまった。
タオルを身体に巻き付けて、脱衣所のいろんな棚を開けてみてもそれらしいものは用意されてはいない。
溜息を付きながら、ふとタオルがあった場所に目をやると、そこにパジャマらしき物が丁寧に畳まれて置いてあった。
なんだあるじゃない。とホッとしたのもつかの間で、パジャマらしき物を持ち上げてみるとそれは一枚の布のような……向こうが透けているんじゃないかって思うほどの薄い生地のネグリジェだった。
おまけにフリルの付いた下着までセットで置かれている。
これは嫌がらせか?と疑いたくなるほどのオンパレード。
いや違う。
きっと、私が突然ここに居候をすることになって、それで何も用意をする時間が無くて……
で、これ?
ありえなくない?
裸の状態でもうあれこれと考えるのが面倒になり、どうせ誰かに見られる訳じゃないのだから。とか、裸よりはいいだろう。とか薄く考え、それを身に纏い、眠ってしまった……
髪も乾かさずに寝たから、頭もきっと大変なことになっているはず。
いやいや。髪の事よりも首から下のこと。
スケスケのネグリジェにフリフリの下着が……透けている。
これは……
誰にも見せられない!
「上条?お前、起きてるだろ」
そう。ここに蓮が来るなんて、自分の中では想定外なことだった。