不意打ち
蓮の元カノばかり思っていたのに、男の人って―――
そう言われても目の前にいる綺麗な女のケイを、すぐには頭の中で男だと切り替えることが出来ずにいた。
「ったく。遅せんだよ!何を話して……」
「あ……やばい」
蓮の声が聞こえたかと思うとこっちに走ってくる足音が聞こえ、そして上にいたケイがいなくなり視界が開けた。
一瞬の出来事にそのまま何度か瞬きをしてみる。
「ざけんなよ!」
「ちょっと待て。蓮」
その声に我に返った結菜は、ソファーから起きあがると揉み合っている二人を見た。
蓮はケイの胸倉を掴んで今にも殴りそうな勢いだ。
それはどう見ても蓮が女の人を襲っている構図で、止めなければと、自然と身体が動く。
「蓮くん。止めてよ。女の人に手をあげちゃダメだよ」
「は?ケイお前まだ言ってなかったのかよ。ホントいい加減にしろよ!」
「言ったさ。でも信じないんだからしょうがないだろ」
「だからって……」
結菜は二人が言い合っている間に入って蓮の手をケイから引き離した。
「いいか。上条。あいつは男だ。それから、ケイはオレの従兄弟だ」
蓮は結菜の隣に座り何故か子供に言い聞かすようにゆっくりと口を動かして喋った。
「従兄弟?ふうん。そうなんだ。そうならそうって言ってくれればいいのに」
ケイは化粧を落とすためと着替えのためにパウダールームに入っている。
「ケイが言ったって信じなかったのに俺が言ったところでお前は余計信じなかっただろ」
まあ。確かにそうだけど……
「でも。言ってほしかった」
いろいろと嫌なことを想像してしまった。それに、流した涙はなんだったのか。
「女装癖のある従兄弟がいるなんて……言えるかよ」
恥ずかしそうに横を向く蓮を見て結菜はクスッと笑った。
ケイに初めて会ったあの日。蓮にさっきの人たちは誰かと聞いたときに誤魔化したのはこのことを言いたくなかったからだと分かると可笑しくなった。
「そんなことぐらいじゃ驚かないよ」
うちにはもっと強烈な人がいる。
「上条がそうでも。俺がイヤなの」
子供っぽく拗ねる蓮を見ていると可笑しくて結菜はまた笑った。
「へえ。仲いいんだな」
ついでにシャワーも浴びてきたとケイが部屋に入ってきた。
「う……ホントに男の人だったんだ」
長い髪はウイッグだったらしく、ケイの本当の髪は裾が肩にかかる程度で黒く少しウエーブが掛かっている。ジーンズをはき、タータンチェックのシャツの上にフード付きのダウンベストを着ていた。
目の印象が違うぐらいで顔はそんなに変わっていないけれど、化粧をせずそんなラフな服装をしているとやっぱりそれは男の人だった。
「お前まだ信じてなかったのかよ」
「いやあ。はは。綺麗な男の人だね」
呆れる蓮に結菜は誤魔化すように笑って見せた。
「いい女避けになるんだぜ。蓮もすればいいのに」
「冗談!絶対にイヤだ」
こうして二人が並ぶと従兄弟だけあってか感じが似ている。
さっき同じ空気を感じたのも従兄弟だから……?
深い関係ってケイが言ったのも、従兄弟だから……?
確かに血が繋がっているわけだから深い関係ではある。
「なんだ!泣いて損した」
一気に肩の力が抜けていった。
三人は床に座るとテーブルの上に用意された飲み物やケーキを食べながら、ケイからいろんな話しを聞いた。
何故女装をしているのか。
それはこの前ホテルで一緒にいた友達に頼まれて、パートナー同伴のパーティーに行っていたから。女の人に頼むと何かと面倒らしい。そういうときによく駆り出されると言っていた。
始めは嫌々していた女装も最近は慣れてきたのか自分が本当は女ではないのかと思うぐらいだとケイは笑った。
それから蓮の子供の頃の話しになると蓮がケイに喋らせまいと暴れたりして結局はあまり聞けなくてその話は自然に流れてしまった。
蓮はどんな子供だったのか興味はある。
それを察したのかケイが耳元で「蓮が居ないときに教えてあげるよ」と囁いてきて、それを見た蓮がケイとまた喧嘩をしそうになり、結菜はじゃれている二人を笑って見ていた。
少しの間、この空間で世の中で騒がれている現実を忘れて楽しい時を過ごしていた。
「蓮と結菜の婚約のことだけど……伯父さんも何を考えてるのか分かんないよな。
やっぱ。この不況で雨宮グループも業績が悪化してるせいか?」
ケイの言葉に、蓮と結菜の緩んでいた顔が真剣なものに変わった。
「そうじゃないと思う。不況になったのって最近だろ?この話を最初に聞いたのって高校入ってすぐだぜ」
「だから。決まっていたけど、この不況で早めたとか?
どっちにしろ、16で結婚相手を決めるって時代錯誤もいいとこ。
結菜も考えた方がいいぞ。もっといろんな男を知ってから結婚しろよ。
なんならオレがいろいろと教えてやってもいいけど?」
ケイはニヤリと笑いそう言うと、結菜の肩に手を置いた。
「私も分からない。どうして私と蓮くんを結婚させたがっているのか……」
「オレの言ったことは無視かよ」
ケイが拗ねるようにそう言い蓮はまた睨んでいた。
結菜はそれを見て苦笑しながらも話しを続けた。
「蓮くんは、この話しを聞いたのは高校生になってからって言ってたけど、
結婚の話しって実はもっと前から決まってたみたい」
「どういうことだ?」
蓮の目が鋭くなった。
「私の両親が亡くなってから広海さんが引き取ってくれたんだけど、お爺さま。上条義郎は私たちを引き取る上での条件を出したって……」
「それが雨宮蓮との結婚ってわけか……」
「そう。私が18歳になったときに婚約させるつもりだったみたい。それを広海さんが手伝うってことが条件だったの」
「二年も早くなったのには何らかの理由があるってことだな。そのことが分かれば謎も解けそうな予感がするんだけど……
中学3ぐらいから現在にかけて、結菜は最近身の回りで変わったことはあった?」
−変わったこと?
ケイに言われて思い出してみるが、中学の時は綾と一緒に平凡な中学生活を送っていたと思う。
問題は高校生になってから―――
毎日が非日常って感じで変わったことだらけだった。
結菜はケイに高校に入った頃からの出来事を大まかに話した。
蓮と純平と綾と同じクラスになり、何かと見せ物にされること。駅前でマユとアッキーと出会った時のこと。それから写メをばらまかれ、屋上で男達との格闘したときのこと。お金を取り戻そうとみんなで作戦を実行したときのこと……そしてマユを呼び出した昨日の話し―――
「あ。変わった事かどうか分からないけど、広海さんが大学の時に付き合っていた彼女が帰国するって言ってた。確か。今週の土曜日」
「大学のだろ?それは関係なさそうだな」
「それが。その人と広海さんの間に子供がいるかもしれないって……それって上条にとったら大きな問題?」
蓮とケイの目が同時に結菜を見た。
「……それか?なあ。結菜。もしその子供がいるとすれば今何歳ぐらいだ?」
「私と同じぐらいじゃないかな。もう少し大きいかも」
「上条。そんな大事なことをなんで俺に言わなかった」
「大事なこと?」
広海に子供がいたとすればどうなるの?
「上条財閥は、代々男が後を継ぐしきたりになってるって聞いたことがある。
その子供が男なら、長男の息子ってことになるから跡継ぎの第一候補だな。第二候補はお前の兄貴になってしまう」
「ふうん。そうなんだ」
蓮の説明も、私も知らないことをよく知ってるなと感心するぐらいで、危機感みたいなものは全くなかった。
「『そうなんだ』って……結菜。これは他人事じゃないぜ。
仮にその子供が男なら上条財閥は分裂するかもな。そしたらこの不況の煽りを受けて何万人もの失業者が出ることになる」
「どうして子供が男だと分裂するの?」
それはもしかして、第二候補になるヒカルが上条義郎の孫じゃないから?
「上条義郎は何故だか分からないけど、結菜の兄貴より結菜に蹟を継いでほしいんだよ。一人一人を納得させて財閥全体がそういう動きになってるのに、そこへいきなり長男の隠し子が現れて、跡継ぎ第一候補になりましたっていうのは必ずどこかで亀裂が入る。そこへ待ってましたとばかりに引き裂く奴がいるのさ。組織が大きくなればなるほど、同じ組織の中にでも敵はゴロゴロいるんだよ」
だから分裂して失業者が出る?
それはマユのところのような家族が増えるということだろう。
生きるために必死で生きる……
それはだめだ。そんな家族は絶対に増やしてはいけない。
「でも。ケイ。そのことと、この婚約とどう繋がってるの?」
「その子供が現れる前に、形式だけでも整えたかったんじゃないかな。そして雨宮グループを味方につける……とか?
あくまでも、全部推測だ。本当のところは分からない」
でも。そう考えれば辻褄が合う。
ケイの言ったように本当はどうか分からないけれど、もしそうなら分裂しないように義郎は何かを考え策を練った結果、こうするのが一番いいと考えたのだろうか。
それを私が10歳の時には既に決まっていた――――!?
待って。やっぱりそれはおかしい。
だって、もしその時点で広海に子供がいると分かっていたのなら、義郎はその子供を引き取って上条の跡継ぎとして公にすればいいこと。もともと上条財閥に執着なんてないヒカルや私は反対なんてしない。いくら私に蹟を継がせたいからといってもその方が打開策としては安全だし簡単なことだと思う。
だったらどうして?
結局はスタート地点に戻ってしまった。
「分かんねえよな。裏であれこれ動かれてるみたいだし、あの志摩子って言う上条のおばさんも何か気になるし」
三人であれこれ悩んでみても全ては憶測に過ぎず、真実には辿り着かない。
「蓮様。進藤様がお呼びです」
窓の外はいつの間にか真っ暗になっていた。
「じゃ。オレもそろそろ帰るよ」
怠そうに蓮が立ち上がるとケイもソファーに手を付き立ち上がった。
「玄関まで送るよ」
広海が来るまではまだ時間が掛かるだろう。いつも帰りは遅い。
結菜も立つと手を上に上げ伸びをした。
「蓮のことだけど……」
「え?蓮くん?」
蓮は進藤に呼ばれ、ぶつぶつ言いながら先に一階へ下りていっていた。
ケイは着替えた服などの荷物を鞄に詰め込むとファスナーを閉めた。
「今日の蓮を見て思ったんだけど……」
「なに?」
「あいつの愛って相当重いぞ。結菜のその華奢な身体で受け止めきれるのか心配」
ケイは何を言うのかと思ったら……
結菜は真剣に言うケイを見て思わず笑ってしまった。
「笑い事じゃないぜ。蓮の気持ちに押しつぶされないように気をつけろよ」
綺麗な顔で言うケイは男という感覚はやっぱりない。だから余計に親しみやすいのかもしれない。
それが蓮には気に入らないのも何となく分かっていた。
「ご忠告ありがとう」
結菜が笑って言うと、ケイは本当に心配しているのにと鞄を掴み、一緒に玄関ホールへと下りていった。
「それじゃ。また、来るよ」
「あ……うん」
ケイは私が暫くここへいると思っていてそう言ったのだろうけど、広海が来ればすぐに帰れる。
「重い奴が来たぞ」
視線を動かすと蓮がこっちへ歩いてきているのが見えた。
「話しは終わったの?」
「いや。途中。ケイがちゃんと帰るか見に来た」
「はは。なにそれ……え!?」
頬に柔らかい感触がした。
見えている蓮の目が見開き、驚いているのが分かる。そして蓮の顔がすぐに怒りに満ちた形相に変わった。
「ケイ!てめぇ。ふざけやがって」
「こんなのただの挨拶だろ?男だったらもっと堂々としてろよ。女の嫉妬は可愛いけど。男の嫉妬は見苦しいぞ」
ははっと笑ってケイはすぐに玄関を出ていき、外に待たせていた車に乗って走り去っていった。
「なに?何が起こったの?」
頬に手を当て結菜は呆然としていた。