どういうこと?
「言ったわよね?これから先は詮索しない方が身の為よ。
結菜さん。分かったでしょ?貧乏人はお金のために何でもするのよ。
所詮人間なんてそんなもの……
偽善だの、嘘つきだのって言われて結菜さんだって憤慨したでしょ?」
志摩子の真っ赤な唇が言葉とは比例して優雅に動く。
結菜は何も言わずに押し黙っていた。
憤りを感じたのは確かだが、きっと志摩子が思っているほどマユに対して怒りの感情はない。言っていたようにマユだってやりたくてやったわけではないのだ。そのことが分かった以上、結菜はマユを責める気にはならなかった。
「何も言わないって事は分かったってことかしら。それとも……
まあいいわ。
これは私からの最後の忠告――――
これ以上詮索すると、結菜さんの周りの人たちが傷つくわよ。
今すぐに、雨宮蓮と別れなさい」
志摩子の目はあの時と同じで冷たかった。
「えっなんで?どうしてユイたちが別れなっくっちゃいけないのよ!」
驚いたマユの声が大きく響き、身体も勢いに任せてテーブルを超えてこちらに来そうになるのをアッキーが押さえた。
「あなたたちは知らなくてもいいのよ。知れば命の保証だってないかもしれないわ」
その言葉に固まっている三人を残し、志摩子はフフッと嫌みな笑いを残して立ち去っていった。
「まったく。命の保証はないなんて、ドラマの世界じゃないんだし……ねえ?」
アッキーは空気を変えようと明るい口調で言うけれど、結菜とマユは真剣な顔を見合わせた。
「あの人が言ってることは、冗談じゃないかもしれない……」
確信はないけど、でたらめだとも言い切れない。志摩子なら本当にやりそうな気がするから恐ろしいのだ。
それほどまでに隠さなければいけないことなのだろうか?
「詮索をするなと言われればしたくなるのが人間ってもんよね……」
ボソリとマユが呟いた。
「マユ……」
「ユイ。簡単に許して貰おうなんて思ってないけど、もし許して貰える時がきたら……
私と友達になってくれる?」
マユが俯いて照れくさそうに結菜に言った。
「簡単になんか許せないよ」
「そうだよね……ユイ……ごめんね」
結菜たちのいるテーブルはシン――と静まり返った。
「さあ。罰ゲームは何にしようかな?」
「え?」
緊迫する空気の中、結菜の放った突然の言葉にマユもアッキーも呆気にとられるように口を開けていた。
「罰ゲームよ。知らない?今、流行ってるのに」
流行っていると言っても蓮たちの間だけのことだが……
「罰ゲーム?」
「そうよ。何でも一つ願いを聞いてもらうの。さあ。何を頼もうかな」
「ユイ。何言ってんの?」
「だから、罰ゲームよ。仕方ないから、それで許そうかなって」
へへっと笑った結菜にマユは今度こそテーブルを乗り越えて結菜に抱きついた。
「ちょ、ぐるじい」
向こうにいるアッキーは、はははっと声に出して笑っている。
「アッギーだずげで」
「ユイ―――!!ホントごめんね……ありがと」
そう言って自分から離れたマユの目にはまた涙が溢れていた。
「ううん。マユが言ったことに腹が立ってないって言ったら嘘になるけど。でもそれより、私と蓮くんのことを取り持ってくれたことは感謝してるよ。ありがと……ね」
結菜も照れくさそうに頭に手をやってニッと笑った。
温かい空気に包まれて笑っていた二人の目が同じように結菜を見て止まった。
いや。違う。二人の目は自分の後ろを見ていた。
−なに?
結菜は後ろを振り返ると、今度はそこに蓮が立っていた。
「―――蓮くん?いつから居たの……」
こういう展開は何度目だろう。今日だけでもアッキーに志摩子に続いて三人目だ。
「雨宮蓮。今日は知らせてないけど?」
マユの言葉にピンと来た。蓮が自分の後ろから登場するのはこれで二度目だ。一度目はファミレスで、小沢に復讐をするために思案していた時だった。その時、蓮に小沢からお金を取り戻そうとしていることがバレてしまった。でも結局は協力してくれることになったのだが……それもマユの仕業だったのか。
マユがそう言うと、蓮は結菜たちのいるテーブルに来て結菜の隣に座り腕組みをした。
「へえ。そう言うこと」
蓮は不機嫌そうな顔を見せると素っ気なく言った。
結菜は隣をチラリと見ると蓮は明らかに怒っているときの顔をしていた。
アッキーは心配するように結菜と目を合わせてから蓮に視線を移動させ口を開いた。
「今の話し聞いてたんでしょ?だったら話しが早いじゃない。
雨宮蓮。あなたはユイのことが好きでしょ?人がどうこうじゃなくて、本気でユイのことが好きでしょ?好きなら何も問題なんかない。あの人が言ったように別れる事なんてないよ」
「…………」
「私が何を言ったって何をしたってきっとあんたの気持ちは変わらなかったよね?
私が言うことじゃないけど。でも、そうユイの前で言ってよ」
「…………」
二人が必死なのはきっと蓮が不機嫌で、私が泣きそうだから……
何も言わない蓮の気持ちが分からない。それに、あの封筒の中に入っている写真に写っていた蓮を思い出したから。
女の人と一緒に写っていた写真―――
蓮はテーブルの上に置いてあった報告書に手を伸ばすと自分の方へ引き寄せた。
文字を目で追っている。
結菜は写真の入っている封筒を掴むと蓮に気づかれないよう、そっと鞄の中にしまおうとした。
「そうやっていつも隠そうとするだろ?俺って上条の何?そんなに頼りないか」
蓮の冷えた目がいつの間にか自分に向いていた。
「頼りないなんて……私はただ、蓮くんに心配掛けたくないだけだよ」
「これって俺にだって関係あることだろ?」
「そうだけど……でも」
「でも?」
出来ることなら知られたくなかった。だって、蓮に自分が人為的に人に好きにさせられたんじゃないかって思われるのが嫌だったから。そう考えられるのが凄く嫌だったから……そう思われることが怖かったから……
もしかすると、蓮は今そう考えているのかもしれない。
「蓮くんだって……隠し事なんかなく全部私に話してるの?違うよね。隠してることがあるでしょ?それと同じだよ。どうして私ばっかり責めるの?ねえ」
考えていることと違う言葉が口をついて出てきてしまう。
「隠し事?何だよそれ」
「この前ホテルで会ったあの人……あの女の人……」
「…………」
こんなことを言うつもりじゃなかったのに、自分の口が止まらない。
「付き合ってたんでしょ?だったらそう言えばいいのに!」
過去のことだったら平気で言えるのに。もう何とも思っていなければさらりと言えるのに。蓮は言わずに隠した。それはまだあの人に気持ちがあるから?あの人の事が好きだから?
本当に聞きたいことは声にならず喉の奥で飲み込んだ。
「ユイ……」
鼻の奥がツンと痛くなってくる。アッキーとマユは自分のことを心配そうに見ていたけれど、結菜は今の顔を誰にも見られたくなくて窓の方を向いた。
「上条。そのことは後で話そう。とにかく今は、こいつの話しを聞かないと」
蓮はそう言って、マユと話しを始めた。
膨れている自分を無視してマユと話しをしている蓮の声を後ろに聞きながら、益々怒りが膨張していた。
自分がそういう話しにしておいて、後で話そうなんか勝手だ。この怒りと不安は何処にやったらいいのか……
結菜は自分のすぐ傍を通り過ぎる人達を見ながら小さく溜息を付いた。
火曜日―――
蓮と気まずいまま学校での一日が終わろうとしていた。
「結菜ちゃんと蓮って付き合ってるんだよね?」
「純平。それを今言うか?」
純平と綾の会話にも反応することなく、二人は沈黙していた。
HRも終わり、鞄を机の上に置いて帰宅する用意をしていたときだった。
「うっそ〜ホントに?」
外の廊下に生徒たちが集まってきて騒がしくなっていた。
結菜はいつものことだと思いあまり気にしていなかった。最近はあまりないけど、こうして教室を覗かれるのも珍しくなかったから。
理由はいろいろある。
純平と蓮のことを見に来ていたり、結菜が愛美と一悶着あったときには、どこから聞いたのかそのことで自分が動物園のパンダのように珍しそうに眺められたりしていたから。
おそらく今回は蓮が自分と付き合っているという噂が流れてこういう事態になっていると思っていた。
「マジで〜」
「だってほら」
「ホントだ!」
何故かみんな携帯電話を見ながら話しをしている。
「ほら。みんなも心配してんじゃない?蓮と結菜ちゃんがケンカしてるから」
「純平!だから、今言うなって!!」
「あ……なるほど。そういうこと?」
純平が携帯電話をみて頷いている。綾もそれを覗き込んだ。
「は―――!?なんだよ。これ」
綾が驚いている声が聞こえた。
その声に少しだけ何なのか気にはなったが、一緒になってはしゃぐ気分にはなれず、結菜は鞄を持って一人教室の外へ出た。
歩く度に誰かが自分を見ている。蓮と付き合うということがそんなに珍しいことなのか。それともケンカをしているのが面白いのか……
結菜はそんなことを考えながら靴を履き替え、校門を潜った。
パシャパシャ――――――
いきなり夥しい光が結菜を襲った。
一瞬何が起こったのか分からず、結菜は眩しい光を手で遮り目を細めた。
「十六歳という年齢で婚約した今の心境を聞かせてください」
大量のマイクが自分に向けられている。いつの間にか結菜はマイクを持った人達に囲まれていた。
−な、何……これ……
「日本の経済に革命を起こした上条義郎のお孫さんと雨宮グループの御曹司が婚約することについて一部では批判の声もありますが、そのことについて一言お願いします」
記者の容赦ない質問はカメラのフラッシュと共に続いていた。
「あの……」
周りをがっちりと囲まれていて何処へも逃げようがない。
「ちょっと退いて貰えますか。結菜さんこちらへ」
そう言い記者の間から手を伸ばしてきたのは強面の顔をした進藤だった。
「進藤さん?」
「こちらへ」
結菜は進藤に手を掴まれると記者をかき分けながら止めてあった車の後部座席に押し込められた。