何も知らない
なんで?どうして?
頭の中で整理ができなくて何から話せばいいのか分からなくなる。
目の前に座っているこ洒落たスーツを着た蓮は、自分よりずっと大人に見える。普段だって同い年には見えないほど黙っていれば落ち着いた感じがあるのに、こういう場所にそんな格好をしていればもっと年上に見えてしまう。
「老けてる……」
パニクったのかそんな言葉がつい口から出てきてしまった。
「お前って本当に……呆れる」
「いや。あの。つい心の声が……」
益々蓮の顔が怖くなった。
そうではない。今のこの状況は何か、把握する必要がある。
「どうして私と蓮くんがここにいるんだろう……ね?」
自分の言葉にムッとしている蓮に機嫌を取るように『ね』の部分で首を傾げてみた。
でも。
「教えてほしいか?でも教えない」
と横を向かれてしまった……
身なりは大人。中身は子供。そのギャップがまたいい……
って、この状態で惚れ直している自分に呆れてしまう。
はあと溜息を付き、蓮は複雑そうな表情を見せた。
それは話すのを躊躇っているようにも思える。それとも本当に呆れられたのか。
何れにしろ、今、どうして自分たちがこの場所に一緒にいるのか。どうして広海は騙してまで自分をここに連れて来て蓮と会わせたのか……それがさっぱり分からなかった。
それに広海と蓮がどうしても繋がらない。
やはりここは広海に直接聞いてみるのが一番早い。
「私。やっぱり広海さんに電話してくるよ」
結菜はそう言うとテーブルの上に置いてあった携帯電話を再び掴むと席を立った。
「待て……」
待てと言われても蓮が話してくれるように思えない。結菜は蓮の制止を無視し、歩き出したがすぐに蓮によって腕を掴まれると引き戻された。
「だって、蓮くんは何も話してくれないじゃない」
「とにかく、座れ」
周りを見るとチラリとこちらに視線を送っている人が目に入った。痴話喧嘩と思われたか、はたまた兄妹喧嘩と思われたか……何れにしろ、ここは高級ホテルの中にある高級レストラン。よく行くファミレスとは雰囲気も食事を楽しんでいる人達の感じも全く違う。
こういう場所は苦手だ。もちろん何度も来たことはあるが、自分の肌には合わないとつくづく思い知らされる。自分には友達と行くファミレスが合っている。
「座ったら話してくれる?蓮くんの知っていることを」
蓮は結菜を掴んでいた手を静かに離すと「分かった」と頷いた。
蓮は何から話そうかと思案しているようだ。
そんなに考えなくても知っていることを話してくれればいいだけなのにと喉まで出かかったが蓮が話してくれるまでと我慢して押し黙っていた。
テーブルにキレイに並んでいるフォークやナイフを数えながらも刻々と時間が過ぎていく――
「上条ってさあ……」
手つかずの料理が冷めるのを眺めていた時にやっと蓮が口を開いた。
「何?」
「俺のことどう思ってんの?」
−はあ!?
『大好き』と言ったのは確か昨日だったような気がするが……あれは夢だったのか?と本気で思わされるほどの蓮の問いに結菜は戸惑った。
「どうって……」
「どの程度の『好き』かってこと」
「そ、それとこのことと何か関係があるの?」
取り繕っている言葉だと分かっていても『どの程度好き』なんてそう易々と答えられない。
蓮はフッと息を吐き俯いていた目線を上げると結菜を真っ直ぐ見つめた。
「関係大あり。
俺らって結婚するかも……」
結婚?結婚ってあの、男女が契りを交わす……け・つ・こ・ん!?
「はあああああっ!?」
結菜の大声に周りの人達もまた何か?と眉を潜めながらチラリチラリと見ていたけど、そんなことはもうどうでもよかった。
「落ち着けと言っても無理かもしんないけど、言ってた『決められた婚約者』って上条のことだったらしい……」
それは蓮との政略結婚の相手……
その相手とは、誰もが羨む綺麗なお嬢様。笑うときも、ふふふと手で口許を押さえながら笑い、くるくるとカールした髪はまるで人形のようで、守ってあげたくなるような折れそうなほどか細い手足に……と勝手に想像していた。
だからもしかすると蓮が好きになってしまったらどうしようと心配さえしていたのに……
そ、その相手が私!?
あ、ありえない!
だってこの世の中に何人の男と女がいるのだろう。政略結婚ってだけでその範囲は狭まるけれど……
でも、でもだ。
仮にお金持ち同士の結婚と言っても、同級生でしかも同じクラスでその上隣の席にいる人となんて確率的には相当低い……っていうか、そんなこと絶対ありえないからっ。
混乱している結菜を冷静に見つめている蓮を見てハッとした。
「蓮くんは知ってたの?」
「もしかしてとは思ったこともあったけど、でも考えれば考えるほどそれは無いなと思ってた……」
「それはどうして?」
結菜の問いに蓮は一瞬躊躇した。
「上条はさ。上条財閥と雨宮グループ。どっちが大きいと思う?」
「そんなこと知らないよ。っていうか興味ない!」
はっきりと言い切った。興味がないのは本当だけど、関わりたくないというのが本音。
上条の家に住んでいた頃、それはもういろんな大人の世界を見ていた。醜く汚いお金に溺れた人達の争いを……子どもながらに、大きくなれば自分もああなるのだと思ったほどそれは日常化していた。
思い出すとズキリと心が痛んだ。
「俺はお前で良かったって思ってるけど……でも……」
「でも?」
「…………」
この間は何だろう。
「もう何聞いても驚かないよ。ちがうな。驚けないかも」
蓮は先程から何か奥歯に物の挟まった言い方をしている。はっきりと言えばいい。この政略結婚以上に驚くことはないのだから。
「お前は知らないかもしれないけど、上条財閥ってうちと比べものにならないほど大きな組織なんだよな。その財閥の長、上条義郎の孫娘がお前だと知ったときにはホントに驚いた……今でもまだウソだろって思ってるぐらい。
普通じゃありえないんだよ。うちと上条んとこが政略結婚なんて」
「でも。蓮くんちもお金持ちじゃない?」
「政略結婚ってお互いが利益を得るためにするもんだろ?うちと縁組みしたところで上条財閥にはなんのメリットも無いんだよ」
「よくわかんない」
そんなこと分かりたくない。
「だから。簡単に言えば雨宮グループが得をするだけの結婚ってことだ。何のために上条義郎がお前を雨宮グループに引き渡すのか俺には分からない」
眉間にシワを寄せて考え込んでいる。
引き渡すって私は物じゃないと思いながらも、蓮は嫌なのだろうか。こうなったことが……とつい勘ぐってしまう。
財閥とか、グループとか、利益とか損だ得だって私には全然分からないけど……
「私はそんなこと関係ないよ。私はただ蓮くんが好きなだけだから。ただ一緒にいたいって思うだけじゃいけないのかな」
結菜の言葉に蓮の眉間にできていたシワが緩んだ。
そして優しい顔に変わった。
「そうだよな。今はそれでもいいかもな。俺が18になるまでまだ二年もあるし」
ニッと笑った蓮の顔を見て結菜は少しだけ安心した。
食事を終え、蓮と二人エレベーターで一階のロビーまで下りた。
レストランを出たところから自然と繋いだ手に意識が集中してしまう。蓮は人前でこういう事はしないと勝手に思っていたから意外と言えば意外で……それにこういうのは慣れていないから緊張もしていた。
一階に着くまでに何度も止まる箱の中にはいつの間にか人が増え、一番後ろへと追いやられると蓮は結菜を守るように向かい合わせに立っていた。人が乗る度に蓮との距離が縮まってきて、その度にドキドキが増していく。それでも手を離すことはなく蓮からの温かさが伝わっていた。
点滅していた階数の表示が一階を示すと次々に人が下りていく。
エレベーターの中から出ていく人達に続いて蓮と結菜も足を進めた。
「よお。蓮。久しぶりだな」
それはエレベーターを下り、エントランスに向かって歩いていたときだった。
蓮が先にその声の持ち主を確認し、結菜を自分の後ろへと隠すように移動した。
「ああ。そうだな」
蓮の姿は後ろからしか見えないけど、その声はさっきまで自分と話していた声のトーンとは違って低い。
話している相手に目を向けると、そこには年上で落ち着いた感じのある男と女が立っていた。男の方は高級そうなスーツに身を包んでいるが嫌みな感じはしない。顔もきっとイケメンという部類に入る整った顔立ちをしていた。その隣にいる女の方も周りはブランド物で固めているが大人の女という感じがする。美人顔で、なんだか甘い香りがしてきそうなそんな雰囲気だった。
そして、その二人はこのホテルに合うような気品さが感じられた。
「最近付き合いが悪いと思っていたら、彼女か?」
「…………」
「みんな言っていたわよ。蓮がいなくて寂しいって……たまには顔を出しなさい」
「…………」
男は嫌みのない笑顔で、女は優しそうな顔で蓮に語りかけているが蓮は黙ったままだった。
蓮は『彼女か?』と聞かれても答えなかった。目の前にいる女の人は大人の女性で、同じ女でも自分とは全く違う……見るからに高校生、下手をすれば中学生に見える自分を彼女として紹介することが恥ずかしいのかもしれない。蓮の彼女かどうかも微妙だけど……
蓮はこういう女の人ばかりと付き合ってきたのだろう……
そう思うと急に哀しくなった。
自分は全く蓮のことを知らない。休日に何をしているだとか、どういった人達と交流があるのか、何が好きで何が嫌いなのか。何を考え、今何を思っているのか……何も知らない。
−やばい。泣きそう……
結菜は蓮に悟られないように明るい口調で「フロント辺りで待っているから」と告げ、蓮と繋いでいた手を離すと軽く会釈をしてその場を離れた。