交換条件
ギラギラと照り付ける太陽が入道雲の狭間から熱線を送っている頃、結菜と蓮は二人並んで歩いていた。
「こんなに暑ちーのに、なんで俺が……」
「暑い暑いって何度も言わないでよ。余計に暑くなるじゃない!」
結菜もこの暑さと蓮の怠そうに歩く態度にうんざりしながら目的の場所に向かって足を進めていた。
「小沢修二と約束したからしょうがないでしょ」
結菜は横にいる蓮を見て溜息を付いた。
まあ。行きたくないのも分かる気はする。自分がしたことを謝りに行くなんて蓮にとっては馴染みのないことだし一番やりたくないことだと思うから。蓮が人に頭を下げるなんて……したことがあるのだろうか?
『遅いよ……バカ』
『ごめん』
少なくとも、私には謝ったことがあるか……
あの日、結菜がマサに連れ去られ、そして蓮と純平に助けてもらってから数日が過ぎた。
あの時、小沢は自分を騙した純平がその場にいるのに驚き、結菜は小沢にすべてを話した。
自分は沙織ではないこと。故意に小沢に近づいたこと。そして、綾の友達だという事実……自分たちは綾の母親から奪ったお金を取り戻すためにあなたを騙したのだと告げると、小沢は多少狼狽したものの全てを理解したときには目に涙を溜めて結菜達に詫びたのだった。
元々お金に困って受け取っていた訳ではないので、すぐに持ち主に返すようにすると約束してもらい、みんなは安堵した。
しかし、安心したのもつかの間で、蓮が『雨宮蓮』ということも小沢に知られてしまい、結菜があの匡貴の一目惚れの相手だった事実までばれてしまったのだ。
小沢はお金を返す代わりにと交換条件を付けてきた。条件は二つ。一つは蓮に匡貴を殴ったことを謝りに行かすこと。そしてもう一つは、結菜が匡貴をきちんと振ること。
『匡貴は今でも君のことを思っているよ。あいつは今時珍しく純粋な男なんだ。だから付き合うのが無理ならあいつのことをちゃんと振ってやってくれないか?でないとあいつは前に進めない』
それは小沢が匡貴のことを心配して、結菜に向けて言った言葉――
その条件を満たす為に蓮とこうして歩いている。
「もう!そんなに嫌なら私が一人で行くからいい!」
蓮の家に迎えに行った時からのふて腐れた顔と往生際の悪いその態度にほとほと愛想が尽きた結菜は早歩きをして蓮との距離を取った。
コンビニの自動ドアが開き、涼しい空気が一瞬にして身体を包んでくれる。その冷気は怒りで沸騰した頭も冷やしてくれるようだった。
今日は匡貴のバイトの日だと小沢から聞いている。結菜はコンビニの中に入るとそぐにレジ前に立っている男を見た。お客に言われた煙草を取り振り返った男は匡貴ではなかった。店内を見回すが匡貴の姿はない。
−休憩時間かな……
そう思い買い物をする振りをしてお菓子の棚へ移動し、袋菓子や季節限定の箱菓子などを手に取って無造作にカゴに入れていった。
「雨宮蓮は?」
時間を持て余して雑誌を立ち読みしていると、不意に掛けられた声に驚いて持っていた本を床へ落としそうになった。
そして、その男は週刊誌を手に取ると何事もなかったかのように棚に戻した。
「あ……修二く」
「こっちを見るなよ」
結菜は慌ててレジを見ると匡貴はまだ出てきておらず胸を撫で下ろした。ここで小沢と自分が知り合いだとばれる訳にはいかない。小沢はまた違う雑誌を手に取るとパラパラと捲った。
「もうすぐマサも来るから」
小沢は独り言のように開いた雑誌に向かって呟いた。
「仲直りしたんだ」
「おかげさまで」
結菜も手に持っていた雑誌を捲りながらボソッと呟いた。
あの日、縛られたままになっている意識の戻らないマサと小沢を残して帰った。二人きりでじっくりと話しをしてもらいたいってその時はそう思ったから……マサは小沢を恨んでいる。それは自分が付き合っていた彼女が小沢の婚約者になってしまい、その彼女は今や小沢に惚れ込んでしまっているから。
でも……
きっと小沢はその彼女に好意はない……
小沢は言っていた。マサと自分とは幼なじみで親友だったと。お互いちゃんと話し合って自分をぶつけ合わないとそれこそ二人とも前へ進めない。
二人でどんな話し合いが行われたのかは知らないけれど、一度崩れた関係を元に戻すのって、きっとそんなに簡単ではなかった筈だ。
「えっ。ここに来るって……私」
私はどうすればいいのだ?小沢とマサは仲直りをしたからいいようなものだけど、自分はマサに肘鉄を食らわせその上更に一撃を加えて気絶させている。その自分がここにいてはマズイのではないか?そう思い小沢を見た。
小沢は結菜の視線に気づくとちらっとこちらを見てまた視線を雑誌に落とした。
「大丈夫。君があの沙織だなんて誰も分からないよ」
小沢はクッと小さく笑い雑誌を閉じると店の奥へ移動した。すぐにブンという音がして自動ドアが開くとコンビニ内にマサが入ってきた。結菜はその姿を確認するとすぐに雑誌に視線を戻した。足を引きずるように歩くマサが、緊張し背中に全神経がいっている結菜の後ろを難なく通過し、その奥で飲み物を見ていた小沢に近づいていった。背中の緊張が取れ一気に力が抜ける。
「なんであの二人がいるんだよ」
横に並んでさっき小沢が見ていた雑誌を手に取ると、蓮は奥の二人に目をやった。
「さあ。……あれ?蓮くんは来ないんじゃなかったの?」
白々しく言ってみる。
「こんな状況で、お前を一人残して帰れる訳がないだろ」
「私なら大丈夫だよ」
「お前の大丈夫は一番当てにならないからな」
結菜は頬を膨らませ抗議の目を蓮に向けた。
「あれ。マサと修二……」
休憩を終えたのか匡貴がレジの奥から登場すると、結菜の背中にまた緊張が走った。目は雑誌を見ているが耳は完全に後ろに集中して三人の会話を聞いていた。
「よう。ちょっと近くまで来たからさ」
「修二が匡貴んとこに行こうってうるさいから来てやったぞ」
「……良かった」
「何が良かったんだよ」
マサの声が少し大きくなった。
「二人でこうしてるってことは……いや。いいんだ。良かったよ」
「匡貴には心配掛けたな」
小沢はきっと早く匡貴に知らせたかったのだろう。
小沢に聞いた話だと、三人は同じ大学で元々は匡貴とはマサが先に知り合ったそうだ。それはマサが匡貴に声を掛けたことがきっかけだった。
『よく同じ講義で見かけるけど、匡貴って言うんだ?オレは雅也。みんなマサって呼んでる。お互いマサ同士。宜しく』
『マサ……こちらこそ宜しく』
そして匡貴はマサの親友の小沢とも仲良くなった。マサと小沢の仲がギクシャクした時は間に入り一番心を痛めていただろうと小沢も言っていた。
だからこうして少しでも早く報告したかったのだと思う。
「オレ。これから仲間達と集まるから先に行くわ」
マサがペットボトルを手にレジに向かった。匡貴はカウンターの奥へ行くと、そのペットボトルをマサから受け取りレジを打っていた。
「仲間って。お前まさか……」
「なんだよ。修二まであの噂を信じてんのかよ」
噂……それは後に純平から聞いたこと。自分と小沢がマサたちに連れ去られる時、純平は『そいつらはやばい』と叫んだ。それは単なる噂だと純平も言っていたが、本当かどうかは本人には聞ける筈もなく真相は分からないでいた。純平たちもそこまで関わらない方がいいと小沢にも深くは追求しなかったようだ。まあ。その小沢も真相を知らないでいたと先程の会話を聞いて今初めて知ったのだけど……
「本当か?本当に噂だけだろうな?」
「修二。しつこい!オレは絶対にそんなことはしない。オレを信じろ」
小沢もそれ以上は追求しなかった。
噂とは、大学内でマサとその仲間たちが薬を売っているのではないか、その売り上げでマサ達は派手に遊んでいるらしい。というものだった。
マサのあの言い方だと本当にただの噂だと思うけど……
「おい」
手に持っていた雑誌に穴が開くのではないかと言うほど睨み付けて考え事をしていた。
「もう。何よ」
その考え事の途中で蓮に声を掛けられ、またムッとして蓮を見上げた。
「あれ……」
蓮が顔を向けた方を目で追っていくと匡貴がジッとこちらを見ていた。いつの間にか小沢もマサもレジの前には居らず、店内にもその姿はなかった。
「あ……」
心臓の鼓動が急に早くなるのが分かった。こっちへ来ると身構えたがレジに人が並び、こちらを気にしながら匡貴はレジを打っていた。
「これ買うのか?」
蓮は結菜の足下に置いてあるカゴの中を覗くと結菜に確認する前にカゴを持ちレジに向かった。
「ちょっと待って。心の準備が……」
「あ?行くぞ」
動揺する結菜の気持ちなどお構いなしに蓮は匡貴の前にカゴを置いた。
−まったく、本当に自分中心なんだから……
呆れる間もなく結菜も蓮の後ろに隠れるようにして匡貴に近づいた。
「この前は悪かったな」
「……え?」
「殴って悪かったって言ってんの。こいつがさ。謝れってうるさくって」
ピッピッっと電子音が鳴り金額が表示されていく。
「あ……そう」
匡貴が結菜にチラリと視線を送った。匡貴と目が合いまたドキリと大きく心臓が動いた。
「あの……」
どう言えばいいんだ?
ちゃんと振るってどうすればいいの?
結菜はその先の言葉がどうしても出てこず言葉を詰まらせていた。
「知ってると思うけど、オレとこいつ付き合ってるんで、あんたの入る隙はないから」
匡貴に向かって蓮はニッと笑った。
「君の歳は?」
匡貴は結菜を見て優しそうに微笑んだ。
「え?あの。じゅう……16歳デス」
急に話しを振られ蓮の顔色を見ながら匡貴の質問に答えた。
「へえ。だったら高校一年生?二年生?」
「高一です……」
「そっか。君の名前はなんて言うの?」
「……上条結菜」
「結菜ちゃんか。彼氏に泣かされるようなことがあったらいつでもおいで」
匡貴は目の前にいる蓮を無視するように余裕の笑みを結菜に送った。