信じてる
この部屋はきっと事務所に使っていたのだろう。部屋の隅には事務用の机や椅子が寄せられていた。
「遠慮しないで入ってくれば?」
憎々しい顔で笑いながらマサは奥のソファーに腰を下ろし煙草に火を付けた。沙織は警戒しながらも中の様子を伺い部屋の中へ入っていった。そこには煙草をくわえて足を組んでいるマサしか居らず少しホッとした。
「修二くんの話しを教えてくれるんでしょ?」
「そんなに焦んなくても時間はたっぷりあるんだから……沙織ちゃんこっちへおいでよ」
−沙織ちゃん……
この男に言われると鳥肌が立ちそうになるのは気のせいではない。マサの前でもまだ沙織のままでいないといけないのか?もうそろそろ本来の自分に戻って思いっきりこの男に文句を言ってやりたい衝動にかられた。そもそも、こんな倉庫に無理矢理連れてこられたのは理不尽である。
沙織はマサの言うことを無視し、その場から動かなかった。近くに行くと何をされるか分かったものではない。
「ふうん。話し聞きたくないんだ。残念だな〜」
マサの言葉に沙織は渋々反対側のソファーの端にちょこんと座った。それを眺めていたマサは立ち上がると沙織の横にドカッと腰を据えた。馴染みのない煙草の臭いがツンと鼻を刺激する。
「そんなに修二の話しが聞きたいんだ?なら教えてあげるよ」
マサはそう言うと沙織の頭を触り、そして肩を抱き寄せた。
「何をするのよ」
沙織は肩に置いたマサの腕を剥ぎ取ると、先程マサが座っていた方のソファーへと素早く移動した。
「だって、沙織ちゃん怖がらないんだもん。面白くない」
「私は充分怖いけど?」
「なんか違うんだよな〜余裕があるっていうか……普通もっと怖がるけど?」
私だって全然平気って訳じゃない。きっと蓮が助けに来てくれるっていう自信があるからそう見えるのだろう。
「普通って……いつもこんなことしてるの?」
「何?気になっちゃう感じ?沙織ちゃんみたいにキレイな子は初めてだよ」
そう言ってマサはニヤッと笑った。
この男はいちいち癪に障る。無性に腹が立ってくるのを押さえながら沙織はどうやって小沢の話しをさせようか考えていた。
「修二くんがお金でしか愛情を感じられないってどういう意味?」
一秒でも早くこの男から離れたい。ここは真っ向勝負で切り出すしかない。
「どうしよっかな〜沙織ちゃんがオレにキスしてくれたら話してあげるよ」
「…………」
−こんの男は……!!
終始マサのペースで話しが進んでいる気がする。ここはまず自分が冷静にならなければいけない。マサの言葉でその都度腹を立てていてはいつかこっちの化けの皮がはがれるかもしれない……
「そうね。話してくれたら考えてもいいわ」
「そうきたか……」
マサは煙草を灰皿に押しつけると足を組み直した。
「仕方ないな。早く話しをして、それから楽しむとしようか」
そう言って嫌な笑いをし、ソファーの背もたれに凭れるとマサはやっと話しを始めた。
「知ってるかもしれないけど、修二は年増好きなんだよな。
あいつはマザコンだからさあ。そのママが再婚して、しかも修二にって婚約者まで紹介したもんだから拗ねちゃってね。次々にママに似た人と付き合ったってわけ。
そのおばさんたちがどれほど自分に愛情があるのかを計るためにお金を用意させてね……
相手がどれだけお金を出せるかで満足してるなんてな。おかしいだろ?あいつはいつの間にかそんな方法でしか愛情を感じられなくなったんだよ。オレはね。そうなったのは天罰だって思っているよ」
「それは自分の彼女を取られたから?」
マサは一瞬顔を強ばらせ、そしてフンと鼻で笑った。
「もうオレの話しは終わり。話したんだからさあ、沙織ちゃんこっちへおいでよ」
小沢の話しは何となく理解できた。でも今は頭の中で整理している余裕はない。話しを聞いた今考えることはここからどうやって逃げるかだ。
「そっちへは行かないわ」
「じゃあ。オレから行くよ」
蓮はまだ来ない……
−もう何をやってんのよ。
マサが立ち上がってこっちへ近づいてくる。
沙織も同じように立ち上がってマサとの距離を取った。
「往生際が悪いな。ここからは逃げられない。諦めろ」
ヘラヘラしていたマサの顔が真顔に変わった。
沙織はマサを見たまま少しずつドアに向けて身体を移動させていった。そしてソファーと机の間を抜けた時、一目散にドアに向かって走った。ドアノブを回すがいつの間にか外から鍵が掛かっていてノブが回らない。
「だから言っただろ?諦めようよ」
「イヤよ」
「その顔いいねぇ。始めからそんな顔をしてくれればいいのに」
マサがどんどん近づいてくる。沙織は必死にドアノブを回した。マサは沙織の後ろまでくると、後ろから腕を回して沙織に抱きついてきた。
「沙織ちゃんは修二のお気に入りみたいだからさ。派手に可愛がってあげるよ」
頭の上からマサの嫌な笑い声が聞こえてくる。
嫌だ!こんなところでこんな奴にいいようにされてたまるものか!
沙織は前でクロスしていた腕に力を入れると身体を回転させながら素早くその場に屈んだ。 そしてマサの鳩尾を肘で思い切り突くと、ウッっという呻き声と共にマサが床に膝をついた。
−お願いだから気絶してよ!
そう願いを込めて、後ろへ回り込み今度は蹲っているマサの首の後ろに一撃を食らわした。
マサはそのまま床に張り付くように倒れていった。完全に伸びてしまっている。
「やった!」
喜んでばかりはいられない。沙織はマサの意識が戻ってもいいように部屋の奥に置いてあったロープを引っ張りだしてマサの手足を縛った。
「これでよし」
問題はここからどうするかだ。あまり大きな物音は立てなかったからか部屋の外はまだ動きがないようだ。小沢は何をしているのか。ドアを見るが開きそうにない……出口はここだけか……
「開かないなら鍵を開けて貰おう」
沙織は肺いっぱいに空気を吸い込むと思い切り大きな声で悲鳴を上げた。
「大変よっ!!」
「どうした?」
ドアの向こうに男の影が映った。
「お、男がいきなり倒れたの。死んだかもしれないわ」
「何!?」
ドアの向こうの男は慌てて鍵を開け部屋の中に飛び込んできた。
「ごめんなさいね」
ドアの横に隠れていた沙織は、縛られてぐったりしているマサを見て唖然としている男を後ろから鉄パイプで殴った。
これで二人。あと三人……
そう思いながら部屋から出ると、倉庫の中には想像していなかった光景が沙織を待っていた。
一人、二人……三……数えるのは止めよう。どうして増えてるの?目の前には男がざっと十人はいると思う。
なんでこうも上手くいかないのだろう。漫画やドラマのように悪者はさっさとやられてほしい。
沙織は鉄パイプを構えたままその場から動けなくなった。それでも目では小沢の姿を探していた。十何人の目が沙織に向けられている。沙織が何故こうして鉄パイプを握っているのか男達はまだ把握出来ていないような雰囲気だった。
「この女……まさか……」
一人の男がこっちに近づいてきた。沙織は鉄パイプを構えたままで横に移動した。男がこっちを気にしながら部屋の中を覗くとすぐに驚愕した顔で沙織を見た。
「お前がやったのか……?お前はいったい……」
まだこんなにいる……こんな数。絶対に無理!
「修二くんは?」
「修二なら……そこで伸びてるけど」
男の視線の先を追うと既にやられた小沢が横たわっていた。
一人で戦えって?
沙織は固唾を呑んだ。乾ききった喉に唾が音を立てて通過するのが分かった。この倉庫の中は蒸し暑い。こんなに人数がいれば尚更だ。額から汗が流れた。でも、暑くて流れる汗ではなく嫌な汗。鉄パイプを握っている手が細かく震えだした。
−こ、怖い。
「蓮くん……早く助けに来てよ」
沙織は小さく呟いた。
「やれ!」
男の合図で一斉に数人の男達が沙織の方に近づいてきた。
「いや――っ」
沙織は鉄パイプを振り回すが、男にそれを簡単に取り上げられたしまった。
後ろに下がるがもう後がない。前方は男達に囲まれている。もうだめだ……そう思い、沙織は目をぎゅっと瞑った。
「上条!」
「結菜ちゃん!」
蓮と純平の声が聞こえて沙織は目を開いた。
沙織の前にいる男達の後ろでは、蓮と純平が残りの男達を次から次へと倒していっていた。それでも男達に周りを囲まれた蓮と純平が背中合わせになると、タイミングよく二人は同時に男達に向かって攻撃を仕掛けた。相手は鉄パイプを持った者や木刀を持った者がほとんどだが、それに対して蓮と純平は丸腰で戦っている。純平が上手く鉄パイプをかわすと横で相手を蹴り上げていた蓮が純平の相手を殴る。そうかと思えば蓮の後ろを狙った相手を純平が倒す。
「どこが『そこそこ強い』よ」
二人の息の合った機敏な動きに見惚れそうになりながらも、目の前にいる男達を倒すことに集中する。何人かは仲間達を加勢するべく、蓮と純平の方へ行ってくれた。今沙織の前には二人の男が残っている。その男達も蓮達の動きに気が行っていてチャンスだと思ったが、すぐにこっちに振り返ってしまった。それでも沙織は剥き出しになっている鉄の支柱に飛びつくと慌てて傍に来た男を浮いた両足で蹴り上げた。
蹴られた男はよろけて倒れたが、沙織が下に足を付けた瞬間にもう一人の男が沙織の腹を拳で襲った。
「ウッ……」
あまりにも苦しくて息が出来ない……
お腹を押さえながら必死で呼吸をしようと蹲った。するとドサッと言う音がし沙織は痛さで歪ませた顔を上げた。そこには沙織を殴った目の前にいた男が倒れており、そして倒れた男の後ろに見えたのは蓮だった。
「れ…ん…くん……」
絞り出すような声がやっと出た。
「大丈夫か?まったく。無茶しやがって」
蓮が崩れそうになった身体を支えてくれる。
少しずつ肺に空気が入って呼吸が戻ってきた。
「私…も…結菜に戻っても……いい?」
「ああ。もういいんだ。もう……」
蓮はそう言いながら結菜を抱きしめた。
涙が溢れてくる。
怖かった……本当に怖かった。でも信じていた。どこに連れて行かれようが必ず私を見つけ出して助けてくれるって……
蓮の腕の中にいるとさっきまでの恐怖が薄らいでいく。
「遅いよ……バカ」
結菜はそっと蓮の背中に手を回した。
「ごめん」
蓮の低い声が耳に響き、更に強く抱きしめられた。