思わぬ誤算
気合いを入れてみたものの、憂鬱さがまだ残る気分で小沢が待っている部屋のドアを開いた。
それでも沙織を演じなくてはいけない。
「遅くなってごめんなさい」
「友達は何だって?」
「ええ。ちょっと相談されて……」
沙織は困ったように顔に手を当てた。
「良かったら話し聞かせてくんない?」
小沢は運ばれてきたばかりの地鶏の刺身を一切れ口に放り込むと箸を置いた。
「こんな話しをしても面白くないと思うわ」
「いいから」
小沢に上手く押し切られ、沙織は友達のことを話し始めた。
「友達の付き合っているカレが……その……お金を貸してほしいって言ってきたって言っていたわ。それでどうすればいいかっていう相談だったの。修二くんはどうすればいいと思う?」
「…………」
やっぱり答えられない?
「ごめんなさい。変なことを聞いて。もうよしましょう。こんな話しは」
「いや。オレが聞くって言ったんだからいいよ……その友達と彼氏がどんな付き合い方か知んないけど、彼女からお金を借りるなんかろくでもない男だよ。そんな男とは早く別れた方がいいとオレは思う」
それは本音……?の筈はない。まさかここで『自分もお金を巻き上げました』なんて言える訳がない。
「もし、そのカレに止むを得ない事情があったとすれば?」
「たとえそうだったとしてもそんな奴はダメだよ。この先の付き合いが上手く行く筈がないよ」
小沢はいったいどんな気持ちで話しているのだろう。表情からは何も感じ取れない。小沢がしたことを事前に知らなければ、この人はいい人だなんて思ってしまいそうだ。
こんなことでは簡単にボロは出しそうにない。
『スタンバイ出来たからいつでもいいよ』
純平の合図で沙織は「そろそろ出ましょうか」と小沢を促した。
店を出て歩道を歩き交差点で信号待ちをしていた。信号が青になり一斉に待っていた人達が歩き出す。沙織は前から走ってきた男の子と派手にぶつかりよろけると、横を歩いていた小沢が転ばないように沙織の腕を掴んだ。
「ごめんなさい」
沙織とぶつかった男の子が足を止めて頭を下げて謝った。
「大丈夫?」
「ええ。大丈夫よ」
小沢の方を見て沙織は微笑んだ。
「あ……」
立ち止まった男の子がじっと小沢を見ている。
「どうしたの?」
小沢を見たまま固まっている男の子に沙織は不思議そうに尋ねた。
「もしかして、小沢修二……?ねえ。そうだよね!」
その男の子の身長は沙織より高いが、メガネをかけキャップを斜めに被った風采は中学生ぐらいに見える。
名前を言われた小沢も誰だろう?と不思議そうに男の子を見ていた。
「知り合い?」
「いや……君は……」
小沢がそう言いかけると、その男の子はいきなり小沢の首もとに掴みかかってきた。
「お前の所為だ!お前の所為でうちの家はめちゃめちゃになったんだ!」
「ちょっと、何?」
沙織は男の子を小沢から引き離そうとその男の子の手に触れるがすぐに弾き返されてしまった。
「お前が僕の母さんからお金を取ったんだ!お金を……僕の幸せを返せ!!」
男の子はメガネの奥の瞳から涙をポロリと零すと小沢を更に睨み付けた。睨まれた小沢は口を固く閉ざし押し黙ったままで反論しようとはしなかった。
「ここじゃ危ないから横断歩道を渡りましょう」
沙織がそう促すと男の子は掴んでいた小沢の胸倉から手を離した。
「僕は絶対に許さないから!」
「…………」
男の子が走り去った後も小沢は俯いたままで口を開こうとはしなかった。
「いったい何があったの?」
「…………」
『結菜ちゃん。オレ名演技だったでしょ?後は任せたよ』
イヤホンから純平の声が聞こえた。結菜は背中に手を回すとVサインを作り、その手を陰で見ているだろう純平に向けて振った。
「沙織は……」
「何?」
「沙織は本当のことを話してもちゃんと受け止めてくれる?」
暫くして顔を上げた小沢は、悲しそうな目をして沙織を見つめた。
「受け止めるも何も、話してくれないと分からないわ」
「オレの勘はきっと当たってる……沙織に会ったときに思ったんだ。沙織ならオレを助けてくれるかもしないって……」
「助ける?」
「ああ。沙織には本当のオレを知ってほしい……」
それは何故お金をだまし取ったかを教えてくれるってこと?
作戦は成功したっていうこと?
「そうね。私も本当の修二くんが知りたいわ」
小沢の話しを聞くために、蓮の待っているショットバーへ移動することにした。逸る気持ちを抑えながら歩道を歩き、さり気なく振り返ると人混みに紛れて純平が後を付けてきているのが遠くに見えた。
小沢の話しを聞いて、たとえそれがどんなことであっても罪は罪。お金を返して貰うのは勿論だけれど、自分の犯した過ちをきちんと償ってもらおう。そう結菜は考えていた。
蓮とアッキーが待機しているバーにもうすぐ到着する。自分の歩く速度が少し早くなった気がして横の小沢を見た。あれから小沢は一言も喋らない。沙織が自分のことを見ているのに気づいたのか小沢も沙織を見るとクスッと少し笑った。
その時―――
沙織たちが歩いている歩道に乗り上げるように一台の黒い車が止まった。後ろのドアがスライドし、数人の男達が沙織と小沢の前に立ち塞がった。
「よお。修二。今日は珍しく若い子連れてんな」
「嬢ちゃん。こいつじゃなくて俺たちと遊ばない?」
一人の男が沙織の肩に手を回して馴れ馴れしく言い寄ってくる。
「何をするのよ。手を離して」
沙織は男の手を払いのけた。
『結菜ちゃん。逃げろ!そいつらはやばい!』
まだ電波が届かないのか、純平が蓮に電話をしている様子が聞こえてきた。
−逃げろって……
小沢を置いて?せっかくもう少しで聞き出せるのに……?
「威勢のいい女だな。たまにはこんな女もいいかもな」
リーダー格の男が「連れて行け」と命令すると、小沢と沙織は無理矢理車の中へと押し込まれた。真っ黒いフイルムが張られた車の窓から外を見ると、反対側の歩道を蓮が車に向かって駈け寄って来るのが見えた。
『上条――っ』
走ってきた蓮が車の傍に近づいた時、車は猛スピードで発進した。そして後ろを走って追いかけてきていた蓮と純平はすぐに見えなくなってしまった。もうイヤホンからも何も聞こえてこない。
…………どうしよう。
「修二くん。この人達は誰なの?」
レゲエ調の音楽がガンガン鳴り響いている車内で隣に座っている小沢に尋ねるが返事は返ってはこなかった。でもこの男達は小沢のことを知っていた。小沢もきっと知っているのだろう。前に二人。真ん中の座席に二人。そして三列目には小沢と自分ともう一人男が座っていた。
−全部で五人か……
携帯電話も取られてしまい車の中では為す術もなく、ただ行き過ぎていく景色を眺めていた。
暫く走ると車はどこかの倉庫の前に止まった。こんな時に倉庫ってお決まりのパターンのような気がすると車から降ろされながらそんなことを思っていた。そんなことよりも、ここからどうやって逃げるかを考えないといけない。きっと蓮達は必死に自分のことを探しているだろう。
二人は男達に倉庫の中に連れて行かれると掴まれていた腕を放された。
「随分落ち着いているんだな」
さっきのリーダー格の男が椅子に座ると沙織に向かって言った。倉庫の中は意外にも明るく、そして一角が部屋のようになっていた。ここはきっとこの男達の溜まり場なのだろう。
「沙織は関係ないだろ?帰してやってくれないか」
「ふ〜ん。ナオのことを放っておいて今度はその女にご執心とは……たとえ親が決めた婚約者とはいえナオがかわいそうだと思わないか?」
「…………」
−婚約者?
「修二はママの言うことだったら何でも聞くのな。沙織ちゃん。こいつは親友の彼女でも平気で婚約する卑劣な奴なんだよ」
「…………」
「ほら。本当のことだから何も言えないだろ?ついでに沙織ちゃんに教えといてあげるよ。こいつはお金でしか自分への愛情を感じられないいイカレた奴だ」
それはどういうことだろう?
「何を言っているのか分からないわ」
男はニヤリと笑うと椅子から立ち上がった。
「詳しく教えてほしい?」
「ええ……そうね」
「それじゃ。付いて来なよ」
男はそう言うと倉庫の奥の方へ歩いていった。
「沙織。行っちゃだめだ」
小沢が沙織の腕を掴み行かさないよう阻止すると男が振り返った。
「いいのかな〜?ここで二人ともやられちゃう?」
「マサ。いい加減にしろよ」
小沢が男を睨んだ。
「そんな顔をしたって俺はお前を許さないからな」
「マサ……」
この二人の間にあるものはいったいなんだろう……マサは小沢に対してとてつもなく大きな恨みの執念があるような気がしてならない。
「沙織ちゃん。来るの?それとも来ないの?」
「……少しだけ修二くんと話しをさせてくれないかしら」
「話しをしたところで事態は変わらないと思うけど……まあいいよ。別れでも惜しめば?」
「修二くん。あのマサっていう人と何があったの?」
マサから離れたところで小沢と話しをしている。出口にも見張りがいて簡単には逃げられそうにもない。
「ごめん。沙織まで巻き込んで……マサとは……幼なじみで親友だった……でも二年前にマサと付き合っていたナオとオレとの婚約が決まって」
だからマサはあんなに小沢を恨んでいるのか……でも、それっておかしい。だって付き合っている彼女は小沢に惚れているってマユ情報ではそうあった筈。
「そのナオさんってあなたのことが好きなんじゃないの?」
「今はそうらしいけど……それもマサは気に入らないみたいで……どうして沙織は知ってんの?」
「それよりこっちの四人は任せたわ。私はあのマサって男を何とかするから」
「何とかって?」
「私のことは心配しないで。あなたボクシングをしていたんでしょ?四人ぐらいやれるわよね」
「そんな無茶な……ってそんなことオレ沙織に話したか?」
「今はそんなことはどうでもいいのよ。私が動いたら修二くんも行動を起こして」
「もうそろそろいい?沙織ちゃん来るよね」
にやついているマサにむかつきながらも沙織はそれに従い部屋の方へ歩いていった。
きっともうすぐ蓮が助けに来てくれる。
必ず来てくれる。
結菜は心からそう信じていた。