不機嫌な男たち
「結菜の彼氏?雨宮蓮……?」
ヒカルとマユがそんな会話をしているとは知らない結菜はタキに言われてお皿をテーブルに並べていた。
「結菜!お前彼氏ってどういうことだ?」
そこへ凄まじい形相をしたヒカルが詰め寄ってきた。その後ろにはゴメンと手を顔の前で合わせているマユがいた。
「ヒカル?なんのこと?」
何となく話しの内容が分かると、取り敢えず冷静にいつものように誤魔化してみる。
「惚けんなよ!選りにも選って雨宮蓮だと……あんな女ったらし。お前、遊ばれてるのがわかんねえのか?」
「どうして?何でヒカルが蓮くんのこと知ってるの?」
「あ?中学の時から有名だったぜ。女にだらしないって。あんな男はやめとけ。今すぐ別れろ」
結菜はヒカルの横暴さに腹が立ち、もう少しで冷静な判断を鈍らせるところだった。翼々考えればまだ蓮とは付き合ってはいない。別れるもなにもないのだ。
「ヒカル。勘違いしてるよ。マユが何を言ったか知らないけど、私は蓮くんとは付き合ってないよ」
「嘘をつくな」
「ごめんなさい。本当なの。ユイと雨宮蓮はまだ付き合ってない」
「まだ……!?」
「あ……いや。そうじゃなくて。まだっていうのは言葉のあやで」
爽やかお兄さんを演じていたヒカルとは180度違うヒカルを前に、マユは地雷を踏んでしまったことに気がついたようだ。
以前、結菜をヒカルの妹とは知らずに話しをしていた時に言ったのは確かマユだった。それは中学生の時のヒカルに関してで、妹の話をすると機嫌が悪くなるからヒカルの友達は妹について触れない暗黙の掟みたいなものあると。結菜に近づく男はヒカルが片っ端から締め上げた……とも言っていた。結菜の背中に、身体全体に冷や汗が滲んでくる。
こう見えてもヒカルは喧嘩が強い。たとえ付き合っているのが間違いだとしても、ヒカルなら蓮に手を出しかねない。
−どうしよう……
「結菜。本当はどうなんだ?」
「だから。付き合ってないって」
即答で答える。
「ふうん。まあいいや。いずれ分かることだ」
−まずい……
「言っておくけど、私が誰と付き合おうがヒカルには関係ないから!もし蓮くんにケガでもさせたら私、ヒカルとは一生口利かないから!」
結菜はヒカルに止めを刺した。こうでも言わないと本当にヒカルは蓮に会いに行くだろう。それだけはなんとしてでも避けたかった。
「ユイ。なんか私ごめんね……」
玄関を出がけに、すっかり大人しくなったマユが靴を履きながら結菜に謝った。
「こっちこそごめんね。あんな兄貴で。幻滅したでしょ?」
マユは俯いたまま、かぶりを振った。
「ううん。調子に乗りすぎた私が悪かったのよ」
「マユは悪くないよ」
だって、ちょっと考えればマユがヒカルに言いそうだって予想出来たことだ。口止めをしなかった私がいけなかったのだ。
結局、そのまま暗い雰囲気で二人は帰ってしまった。
誰が悪いかなんてこの際どうでもいい。兎に角、蓮に被害が及ばなければいい。
結菜は大きな溜息を付いた。
「どうしたの。また何かあった?」
前の席に座っている純平がチョコレートパフェを食べながら首を傾げていた。
純平の口の端にクリームが付いているのはわざと?と思うほどそれがかわいらしかったりする。
今日はみんなが集まる作戦会議の日でファミレスに来ている。蓮たちはまだのようで、今は早く着いた純平と二人でみんなの到着を待っているところだった。
結菜は純平にクリームが付いていることを一応指摘してから蓮について訊いてみた。
「蓮くんってケンカは強い?」
「何?唐突に……まあ。そこそこ強いんじゃないかなあ。なになに、今度は結菜ちゃんと蓮が対決するの?」
それ面白そうと笑う純平に、そんなはずはないだろっとツッコミを入れながら、そこそこってよく分からない表現だと悩む。そして悩んだ結果、いくら喧嘩が強いとしてもヒカルと蓮がやり合うなんて想像するのも嫌だ。という考えに到達した。
「この際だから蓮のことオレにいろいろと聞いときなよ。結菜ちゃんなら何でも教えてあげるよ」
こんな風に純平と二人で話しをするなんてことは初めてだ。純平なら過去の蓮のことだってよく知っていると思うけど……こういうのはなんかフェアじゃない気がする。
「いいよ。蓮くんのことだったら本人に直接聞くよ……って今純平くんに聞いたばかりだけど」
「ホントだね」
そう言って二人で笑った。
「省吾先輩は元気にしてる?」
夏休みになってから省吾とは一度も会っていなかった。あんなことがあってから気まずいのもあるし、なにせ会う機会もないしで、あの時のことがうやむやになっている気がした。
「元気といえば元気だけど……ほら兄貴は受験生だから。受験勉強してるよ。でもさ。必要以上に気合いが入っているんだよな。何かを忘れるために勉強にのめり込んでいるような」
「自惚れているのかもしれないけど、それって私の所為?」
「結菜ちゃんを責めるつもりはないよ。逆にオレは感謝してるけどね。あのまま放っておいたら浅野愛美とどうなってたか考えるのも恐ろしいよ。結菜ちゃんは兄貴の命の恩人だ」
「純平くん。大袈裟だよ。私は別に……」
「純平と上条だけか?あのうるさい二人組はまだか」
二人の会話に割って入るように遅れてきた蓮はそう言うと、当たり前のように結菜の隣に座った。結菜は置いてあった鞄を端によけ少し奥に座り直した。
結菜は横にいる蓮の横顔を見た。顔には殴られた跡はない。では身体はどうだろうと机の上に置いてある腕をチェックした。腕もきれいだし、殴れば赤くなる手の甲も何の問題もない。それを見て、ヒカルはまだ行動を起こしていないとホッと胸を撫で下ろした。
「なんだよ。何かついてるか?」
「あ……いや。あの。髪伸びたね」
いくらなんでも『私の兄貴が殴りに来た?』なんて聞けない……
「上条こそ、伸びたんじゃねぇ?」
「そうだね」
髪なんて蓮の家で美容師さんにカットをしてもらってからそのままだった。
「今度また切りに来い。その時に俺もついでに切ってもらうから」
「そんなの悪いよ。そうだ。あの美容師さんのお店を教えて。そしたら自分で行くから」
この髪型は結構気に入っている。こう暑い日が続けば今度はもう少し短くカットしてもらってもいいぐらいだ。
「いやだ。教えない。うちに来い」
蓮は子供のような意地悪な笑みを浮かべてそう言った。
「へぇ〜。蓮ってなんか変わったな。棘が無くなったっていうか顔が優しくなった」
純平は前に座っている結菜と蓮を交互に見た。
「なんだよ」
「二人を見てると幸せそうだなって思って……でも、オレがここにいるの忘れないでね」
あ、いたの?なんて冗談を言って純平をからかいながらアッキーとマユが来るのを待っていた。
私だってこんな些細なことを話しているだけでも幸せだって思っている。
蓮が笑っていてくれるだけでいい。傍にいられればいい。この時の私は心からそう思っていた。
***
中に入ると一席が区切られている空間に小沢と向かい合い座った。
今日は作戦の第二弾の決行日。そして沙織と小沢修二が二人きりで会う最初で最後の日。
二人は六本木にある和食のお店に来ていた。老舗旅館を思わせる情緒ある雰囲気に、座った座席からは店の中に造られた中庭が一望できた。ここは個室だがテーブルの幅があり、向かい合った小沢との距離があって少し安心した。
「沙織は何飲む?」
小沢はドリンクのメニュー表を見ながら白い歯を見せた。
−沙織って……
小沢と会うのはこれで二度目だが、メールはよくしていた。実際は蓮としていたのだけど。
その効果もあってか小沢の方は違和感もなくすっかり沙織と親しくなっていた。
「私は飲めないからウーロン茶でいいわ」
「そんなこと言って。この前は結構飲んでたじゃん」
−やっぱり。
自分にお酒を飲ませたのはやはり小沢だった。きっと知らないうちにジュースをお酒入りのカクテルにすり替えていたのだ。
「今日は飲むのはよしておくわ」
もしも今日酔ってしまったら本当に呆れられてしまう。ここは十分に注意しておかないと。 そう思いながら、沙織は持っていたバッグをさり気なくテーブルの端に置いた。
このバッグには小型のカメラが仕掛けてある。今回は結菜一人だけだから余計に危険だということと、作戦第一弾の時には音声だけでよく状況が分からなかったとの意見を交えて、映像と音声で実況することになった。
「メールでさあ。両親が再婚したってあったけど本当?」
「そうよ。だから私はこっちへ帰ってきたの」
マユ達の情報によれば、小沢の母親は二年前に再婚している。母親が再婚した相手、小沢の義理の父親は幾つものチェーン店を展開している飲食店を経営している実業家だ。
だったらなぜ小沢にお金が必要なのか?どうして既婚者を騙してまでお金を巻き上げたのか?……それが全く分からない。
作戦……と言っても、その分からないことを上手く小沢から聞き出して、そしてそれを証拠にお金を返して貰うという単純なものだった。小沢にお金が無くても、証拠を親に突きつけてそっちから返してもらうことだってできる。
「うちと一緒だ」
「そうなの?」
心情が同じように見せかけて親近感を持たせて、口を割らそうという策。
「まあ。親が再婚してももう関係ない歳だけどな」
「そう?私は関係あるって思うけど。だっていつまで経っても母親は母親でしょ?やっぱり寂しいわよ」
沙織を見ている小沢の目が見開いた気がした。
「ごめんなさい。ちょっと電話が入ったから失礼するわ」
そう言って携帯電話だけ持って席を立った。
「もう一人で緊張する!」
同じ店の違う個室にいるマユと純平に愚痴を溢した。
今日の純平はちゃんと変装している。純平は上下共にダボっとした服にキャップを深く被り、そしてマユは長い金髪のカツラをつけ、メイクはいつにも増してド派手だった。これでは本当に誰だか分からない。テーマはヒップホップダンサーとその彼女といったところか。ここの店には不釣り合いだが、要は小沢にばれなければいいのだ。
「ユイ。お疲れ〜なかなかだったよ。ねえボビー」
「ボビーって。純平くんはどう見ても日本人だけど……」
マユはいつもの調子で話していて少し安心した。それはヒカルとのことがあってからの落ち込みようが尋常ではなかったとアッキーから聞いていたから。この前の作戦会議に来た時もいつもよりは大人しかったように感じていた。
マユがこっちと手招きをして結菜を呼んだ。結菜はどれどれとテーブルの上に置いてあるモニターを覗き込んだ。
そこには小沢が一人で沙織が帰ってくるのを待っている映像が映っていた。
「ここからだけど、どうしよう。なかなか話しを持っていけないのよね」
「結菜ちゃん焦らなくてもいいよ。小沢は沙織にはかなり心を許していると思うか、そのうちこっちから指示を出すよ」
「そうしてくれると助かる。でも……この前小沢に会った時にも思ってたんだけど。なんかイメージしていた小沢修二と違うっていうか、もっとチャラチャラした奴かと思ってたから調子が狂うのよね」
「それ。私も思った。外見的には軽そうな奴って感じだけど」
「ホントにどうしようもない奴だったら蓮くんが言ったみたいに一発殴って吐かせるのに……こんな回りくどいやり方をしなくても、その方が余っ程簡単だよ」
「結菜ちゃん怖い……」
「あらボビー。今頃気がついた?たとえ小沢に何か訳があったとしても綾ちゃんを泣かせた奴は絶対に許さないんだから」
結菜はそう言うと拳を振り上げた。
「決意表明は結構だけど、上条はここで何をしてるんだ?小沢はどうした」
拳を高らかに掲げたまま振り返るとスーツ姿の蓮がそこに立っていた。
「蓮くん。どうしてここに?」
蓮はこの次に行く予定のショットバーでアッキーと待機している予定だった。
「気になって来てみたら……こんな時に三人で仲良しごっこか?それに、純平とそこの女。その格好はなんだ。目立ちすぎだ。すぐに着替えてこい」
大きな声ではないものの、蓮の威圧感のある言いように三人は身体を硬直させた。
「ボビー行くよ」
「分かったよ。キャサリン」
それでも二人はボケを噛ましながら着替えるためにそそくさと立ち去った。
「キャサリンって……」
結菜が思わずクスッと笑うと当然のように蓮の鋭い視線が突き刺さった。
「上条……お前なあ」
「言っておくけど、仲良しごっこじゃないから。私は至って真面目だよ」
お説教なら後から聞くから、と結菜は蓮を一人残して部屋を出た。
今日の蓮は苛立っている。本当は四人で会うよう沙織に成り済ました蓮が小沢と交渉していたらしいが、結局二人でと押し切られたらしい……自分が交渉に失敗したからといってみんなに当たらないでほしい。
ドアを閉めてから大きく息を吐き、両手で頬を叩き気合いを入れた。
蓮が機嫌を悪くしていたって関係ない。これからだ、これからが本番だ!
そして結菜は沙織を待っている小沢のもとへ足を向けた。