偶然の再会
遅れて純平が来ると、作戦の最終確認を始めた。
「とりあえず今日は知り合う程度で、本番は次回ね」
マユとアッキーが総力を上げて調べ上げた情報は探偵並みに大したもので、その情報を武器にジリジリと追いつめる。
ターゲットの名前は小沢修二。T大学の四年生で22歳。
綾ママ以外にも騙されお金を取られた人が他にも数人いるというのも驚きだったが、どの女の人も既婚者で誰一人として被害届けを出している者はいないと言うのだ。それは単純に夫にばれたら困るからという理由。
小沢はそれを見越して相手に近づく、相当悪才に長けた人物と言えるだろう。
主婦を騙すばかりか、小沢には付き合って二年の恋人がいる。その彼女はお金持ちのお嬢さんで、彼女の方が小沢に惚れ込んでいるらしい。
よくこんな男に……と思うのだが、もしかすると彼女はこんな小沢の本性を知らない被害者の一人かもしれない。
みんなそれぞれにワイヤレスのイヤホンとピンマイクを付け準備を進めていた。これで、離れてもみんなの声が聞こえる。
「ねえ。私自信がなくなってきた……」
「大丈夫よ。ユイはとってもかわいいよ。そう自分でも暗示ろってレイナさんに習ったでしょ?」
マユにそう言われ、結菜は呪文のように『私はかわいい』と口の中で唱える。
男を落とす方法はニューハーフに聞けと言う。それは女の仕草から喋り方、ありとあらゆる『男が好きなこと』を熟知しているから。彼女達の「女」としての努力は相当なもので、女の私たちなんて足元にも及ばない。
レイナはアッキーの知り合いで、教えてもらわなければ元男性だなんて面全く分からないほどに綺麗な大人の女性だった。結菜はそのレイナに付きっ切りで『男を落とせる女』を伝授してもらったのだ。
「あの……さっきから気になってたんだけど、そこにいるのはもしかして結菜ちゃん?」
ここに来てからどれくらい時間が経過しただろうか。純平はどこか遠慮気味に訪ねた。
みんなチラッと純平を見るが、今は構っていられないとばかりにまたそれぞれの会話に戻った。
「みんな……無視しないでよ」
時間が近づいて来る度に心臓がドキドキと緊張の鼓動を打ち始めた。失敗は許されない。でも、力は入れすぎないで肩の力を抜いてと自分で深呼吸してみる。
「上条。別に失敗してもまた作戦を練り直せばいいだけのことだ。気軽にいけ。もし何かあったら俺たちが傍にいるから」
蓮は結菜が落ち着くようにそう言うと純平と先に店を出て行った。
「じゃあ私たちも行くよ。今からユイは沙織だからね」
そう言うマユはユミで、アッキーはアイというそれぞれが自分とは違う人間を小沢の前で演じる。
三人は今日小沢が来るはずであるクラブの中へと入っていった。頭の中が急に音楽でいっぱいになり、そのあまりの音の大きさにクラッと視界が歪む。店の中央では満員電車のように人が群がって踊っている。こんなところに来るのは初めてで結菜は人の中を器用にすり抜けていくアッキーとマユについて行くのがやっとだった。
やっと人混みから解放されると、休む暇もなく今度は小沢の姿を探す。
「いないね」
ピンマイクを通じてダイレクトに耳に伝わってくるアッキーの声に結菜は頷いた。
これからだというのに心臓がバクバク鳴っている。これから小沢が現れたらこの心臓は壊れてしまうのではないのかと思うほどに。
結菜は目を閉じて綾の顔を思い出してみた。健気にバイトをしながら母親が迎えに来るのを待っている綾。文句一つ言わず、一緒にいても絶えず笑顔を見せてくれる。
絶対にお金は私が取り返してみせると握った拳に更に力を込めた。
「あそこ。なんだろうね」
一カ所だけやけに人が集まっている場所がある。もしかするとその中に小沢がいるのかもしれない。そう思いその人だかりに近づいてみた。人垣の隙間から一瞬よく知っている人物が二人見えた。
「もうなにやってるんだろうね」
「あんなに目立ってどうすんだって感じだよね」
「あれじゃ。何かあっても助けてなんてもらえないよね」
三人は同時に溜息を付いた。
『あの……悪いけど助けてもらえないかな』
イヤホンから純平の情けない声が聞こえる。
「どうする?小沢はまだ来てないみたいだから今のうちに行っときますか。でも行くのは二人ね。一人は見張り」
アッキーはそう言うと手を出し、仕方なく三人でじゃんけんをした。
案の定、負けてしまった結菜とマユが人だかりに向かって歩いていく。群がっているのは女の子ばかりで、その中央でもみくちゃにされている二人がいた。あの中に入らなければいけないと思うとゾッとするが、蓮が女の子に囲まれているこの状況はあまりおもしろいものではない。
「ユイ行くよ」
マユは覚悟を決めたのか率先して身体を押し込みあっという間に姿が見えなくなってしまった。結菜も仕方なくマユの後に続いた。人ばかりで苦しいだろうと思っていたけれど、中は意外にもそんなことはなく、蓮のいる近くまでなんとか到達することができた。結菜は蓮を見付け手を差し出すと蓮に手を掴かまれ引き寄せられた。蓮の強引な力にバランスを崩した結菜はそのままの勢いで蓮の腕の中へ飛び込んでしまった。
ここに顔を埋めるのは何度目だろう。一度目は公園で蓮の彼女のフリをした時だった。あの政略結婚の相手とはもう会ったのだろうか……急にそんなことを思い出して頭の上にある蓮の顔を下から見上げた。この下から見上げる角度は確かレイナから教わった『男を落とすテク』の中に入っていた。どうやら、この角度は女の子が可愛く見えるらしい。それは残念ながら蓮には通用しないだろうけど……
結菜はそんなことを思うと可笑しくて蓮を見上げたままクスクスと笑った。
「ねえ。その子は蓮の何?」
近くにいた女の人が不機嫌な顔をこちらに向けていた。
そんなことを思っている場合ではなかった。結菜は辺りを見回してマユを探した。ここに来たのはいいけれど、どうやってここから脱出するのかまでは何も考えていない。
「マユ?」
「ユイここだよ」
マユは隣にいる純平の傍に張り付いているが、女の子達は一向に外へ出してくれる気配はなかった。
「どうするかな」
胸が振動し、蓮の声が聞こえた。途端に大勢の人の前で抱きしめられていることが恥ずかしくなり、蓮の身体から離れようとするが自分の背中に蓮の腕がきつく回されていて離れない。
「オレたちの彼女だよ。だからそこを退いてくれないか」
純平がマユの手を取り周りを囲んでいる女の子達にそう叫んだ。
「え〜っ!純平と蓮って、今、彼女いないんじゃなかったの?」
一人がそう言うと後は収拾がつかないほどに騒がしくなった。
『まずいよ。こんな時に小沢が来たら……』
見えないアッキーの声がみんなの耳に聞こえた。
純平は収まりきらない女の子達を宥めようとするがやっぱりどうにもならない。
うっかり忘れていた。この二人を変装させることを……今からそんなことを思ってみても仕方がない。考えることはこれからどうするかだ。
「だから、彼女だって証明すればいいんでしょ?塚原純平。簡単なことよね」
そうマユが言うと純平もその意味が分かったという顔をして……二人は結菜の目の前で信じられない行動を起こした。
マユは少し背伸びをし、純平はマユの髪に手を滑り込ませ、顔が近づいたかと思うと二人の唇はいとも簡単に重なった。
「な……」
−なんで!?どうして!?
結菜の目には純平とマユがキスをしている光景が映っている。
どうして純平とマユが?しかもこんなに大勢の前で堂々と……付き合ってる?いいや。そんなことは絶対にない。だったらどうして?
あ……彼女だと証明するため?そのために、付き合ってもいない二人は何の躊躇もなく簡単に……こんなこができるの?
結菜は視線を外すことなく二人の姿を見ていた。
やがて、二人の唇が離れたかと思うと角度を変えてまた重なった。そこから先は蓮が私の目を手で押さえて視界を遮ったせいで見ることは出来なかったが、周りの女の子達の反応から何となくだけど想像できた。
蓮だって「おこちゃまは見ない方がいい」なんて言うし、アッキーは『何をやってるのよ!』と鼓膜が破れるのではないかというくらいの大声で叫んでいるし、散々だったけど女の子達は諦めてくれたようでそれぞれに散っていってくれた。
「目的を忘れてどうするの!」
アッキーは手を腰に当てマユと純平を激怒していた。
「アッキー。お説教は後でいいじゃない。それより、小沢は来てないの?」
まったく。とまだ怒りの収まらないアッキーだったが、結菜の言葉にそれもそうね、と頷き本来の目的へと思考を切り替える。
「二人は、また大騒ぎになると困るから外にいてくれる?外でも声が聞こえるよね?」
純平と蓮はこれに懲りたのか、素直に店の外へと出て行った。
それにしてもなんていう人気だ。教室にいる時や、蓮の家に行ったりして一緒に遊んでいる時にはあまりそんなことを思いもしないのに、いざ、こういう場面を見るとなんだか違う人を見ているみたいで寂しくなる。それは、なんだかヒカルの時と似ているなと一人苦笑した。
結菜は隣にいるマユをチラリと見た。カウンターに凭れて立っているマユに訊きたいことが山のようにあるけど、今は喋ったことがみんなに筒抜けになるから何も言えない。これは便利なようで不便だと右耳に付いているイヤホンを手で触った。
無常にも時間だけが経過し、一向に小沢が現れる気配はなかった。
「もう今日は来ないかもね」
そう諦めかけた時だった――
『たぶん、小沢だ。今中に入って行った』
店外にいる純平から少し慌てた声で情報が入った。
三人は固唾を呑んで入り口辺りを見る。すると、二人の男が入ってきたのが見えた。
「あれ。間違いないよ」
写真で何度も見た腹立たしい小沢の顔。趣味はサーフィンというだけあって白っぽいTシャツに日焼けした小麦色の肌が余計浮き出て見える。知り合いがいたのか、白い歯を見せ笑いながら話をしていた。そして、その知り合いとの挨拶を済ませると店内を物色するように見回しながら歩いていた。
「今、目が合ったかも?」
アッキーの声にマユと結菜は背にしていたカウンターの方を向いた。それは三人が小沢を見ているのは不自然だと思ったから。
「こっちへ来るよ」
三人がずっとカウンターの前にいるには理由がある。それは、こちらから小沢に近づいて行くのは警戒されそうだけど、この場所にいればお酒を頼みに向こうから来てくれる可能性があるから。その時に上手くこちらから声が掛けられるか、あわよくば向こうから声を掛けてくれるか…
緊張の一瞬―――
「女の子三人で来ているの?見慣れない顔だけどここは初めて?」
傍に来た小沢がアッキーに声を掛けた。小沢の耳に幾つも付いているピアスが揺れていた。
第一関門、あっけなくクリアー。
「ええ。そうよ。あなたたちは……」
アッキーの声が止まった。結菜は心配そうにアッキーを見た。この最高のチャンスを逃したくはない。
「どうした?」
「いえ。知り合いに似ているって思ったから。ねえ。沙織」
自分に話を振られて結菜は小沢ではないもう一人の男を初めて目にした。
「――――!?」
一瞬心臓が止まったかと思った。
「え〜!そんなに似てるの?またまたそんなこと言って、こいつモテるから、よくそう言ってこいつの気を引く女の子がいるんだよな」
「そういうんじゃないけど……よく似てるけど他人の空似だよ」
マユがそう言うけれど、結菜はその男からの視線を痛いほどに感じていた。だって、その人は他人の空似でもなくその人本人だったから……
お互い一度だけしか会ってはいないけど、間違いなくこの人を知っている。この人は……コンビニでバイトをしていた、確か名前は高橋、そうだ高橋匡貴。
名前と携帯電話の番号、それにメールアドレスが書いてあるレシートを貰った。『よかったら連絡を下さい』とも書いてあったっけ。もちろんその場で丸めて捨ててしまったから連絡なんてしていないし、コンビニにも行っていない。
「匡貴は知らないよな?」
「…………」
小沢の問いに無反応な匡貴を見ると目が合ってしまった。
「もしかして……あの時の?」
やばい。ここであまりばれない方がいいよね?そうだって言っても差し支えはないだろうけど……いいや。やっぱり分からない方がやりやすい。
「ええ!?やっぱ知り合いなのか?」
「そんなはずはないよ。あたし達が知っているのはもう亡くなった人だからね」
アッキーが小沢に嘘をついてこの場を切り抜けようとした。
考えればあの時もこの三人で匡貴に会っているのだ。アッキーとマユも化粧や雰囲気はその時とは違うと思うけど、すぐに気づかれても仕方がない。
「そう。その人って私の恋人だった人だから……」
マユが悲しそうな芝居をして、その嘘に参加した。
「目が似ているなって思ったけど、きっと歳も違うだろうし……こっちこそごめんね。悲しいことを思い出させちゃって」
そう言って済まなさそうに笑った匡貴の顔は省吾に似ていた。