省吾と結菜
綾も遅れて到着し、みんなで広いバルコニーに出て、バーベキューの準備は着々と進んでいた。
男性陣は火をおこし、女性陣は楽しくお喋りをしながら、テーブルにお皿や飲み物などを手際よく用意していた。
「ねえ。ユイの本命って誰?」
今の今まで「このお菓子美味しいよ」とか、たわいない話をしていたのに、その延長上に言うこととは思えないほどマユの言葉は唐突だった。
「あ、あのねえ……」
「それ、あたしも聞きたい」
いつの間にか二人と仲良くなった綾までが身を乗り出しマユの問いに賛同する。
「綾ちゃん……」
それはないよ……
「これはもう言うしかないな」
そう言ってニヤついているアッキーにも助けてもらえないと分かると、結菜は人知れず溜息をついた。
どうして女が集まるとこういった恋話をしたがるのだろう。
「あそこの三人の中にいるの?それとも他の人?」
結菜を見ている女三人の目が怖い。
結菜はちらりと炭と格闘している男たちに目を向けた。
−私の本命?
「さあ。誰だろう?」
あくまでもこの姿勢を貫こう。
そう白々しく首を傾げてみたものの、結菜自信もよく分からないでいた。
「その返し。つまらない」
「そうだよ。省吾さんの返事だってまだしてないだろ?どうするの」
「あ、綾ちゃん」
こんな時にそんな話しをしたら……
「ちょっと!何の話し?ユイ。まさか、塚原省吾に告られてたの?!」
ほらマユが食いついた。
「いやあ。あれからいろいろあって、私だってどうなってるかわからないって言うか……それよりも、先輩はもう私のことなんて好きじゃないかもしれないし……だから、たぶん無かったことだよ。うん。そう、その話しは無かったと言うことで」
「何?その強引なまとめ方」
「だったらユイを好きかどうか本人に聞いてみよう」
「え?」
結菜の思考が追いつく頃には、マユは既に省吾に駆け寄り強引に腕を引っ張って、こちらに連れてきているところだった。
最悪なことに純平も蓮も釣られて一緒にこっちについて来てしまっている。
「なに?何が始まるの?」
省吾は小さい子供のように瞳を輝かせながら、ワクワクという文字を頭の上に浮かべている。
「もう最悪……」
結菜は両手で自分の髪を乱雑に掻き動かした。
そんな結菜をアッキー達は面白そうに、省吾達は不思議そうに見ていた。
「塚原省吾さん」
「はい。なんでしょう」
マユの尋問が始まった。
「あなたはユイのことをどう思ってる?好きかとか、愛してるとか、結婚したいとか?」
「マユ。あのね。そのめちゃくちゃな誘導尋問は何?」
「ユイは黙ってて」
マユに片手で説き伏せられると結菜は溜息をつき、力が抜けるように椅子に腰を下ろした。
−だめだ。これは。
今のマユに何を言っても無駄だろう。
「え?結菜ちゃんのこと?僕はいつだってそう思っているけど?」
「そう思ってるって?」
「だから、好きだし、愛してるよ……結婚まではどうかな……」
結菜はテーブルに頬杖をしていた両手が滑り、ガクッとバランスを崩した。
−そ、そんなにはっきりと?しかもみんなの前で……
顔が一気に赤みを帯びる。
−あ、愛してるって……!?
「だって。ユイ。ねえ聞いてた?」
結菜は伏せている顔が上げられず、そのまま顔を腕の中にズズッっと沈ませていった。
だって、なんて言葉を返せばいいの?
みんなの顔だってきっとまともに見られないよ。
「いいんだ。僕はこのままで。結菜ちゃんの傍にいられるだけで幸せだから」
「そんなこと言ってたら他の誰かに取られちゃうよ」
「その時はショックだろうけど、それでも構わないよ」
−先輩……
伏せたままの結菜の胸は、締め付けられるほどに高鳴った。
「『高橋匡貴22歳』?なんだこれ」
蓮は結菜の足下に落ちていた紙切れを拾うと、その裏に書いてある文字を読んだ。
「そのレシート」
アッキーの声で結菜はやっと顔を上げた。
「『よかったら連絡下さい。待っています』ケイ番とメアドが書いてある……」
声がする蓮の方を見上げると、蓮も結菜を上から見下ろしていた。
−あっ……
立ち上がりちょっとかして。と、蓮の持っていたレシートを奪うと印字してある表を見た。
やっぱりあの時のレシートだ。そして今度は裏を見ると、さっき蓮の言った通りのことが走り書きしてある。
「あのコンビニのイケメン。なかなかやるわね」
アッキーは腕を組み感心している。
「塚原省吾さん。ユイを取られるのも時間の問題かもね。それでも構わないんでしょ?」
「意地悪だな……」
省吾はマユに向かって苦笑した。
あの時はアッキーもマユも一緒にいた。一番子供っぽい自分になぜあの人は連絡先を渡したのか全く分からない……
「きっとからかわれたのよ」
結菜はレシートを手の中でくしゃくしゃに丸めると、ゴミ箱代わりにと置いていたコンビニ袋に投げ入れた。
***
楽しいときは瞬く間に過ぎた。破裂するのではないかと言うほどお腹もいっぱいになり、少し休憩した後、みんなで片付けをしいていた。
綾と純平は片付けが終わった後、この前のゲームの続きをしようと盛り上がっている。
省吾と結菜のことはもういいと思ったのか、あれから誰も触れようとはせず、お互いの学校の話題などで盛り上がっていた。マユは男連中がタジタジになるほどの質問攻めをしていたが、みんなに上手くかわされてしまっていた。その度に笑いが起きて楽しかったのだが、結菜と綾も聞いたことがないようなことばかりで、少しは答えてほしかったような気もしていた。
そして、なんとか一通りきれいにすると、みんなぞろぞろと部屋へと入っていった。
結菜はひとりその場に残り、手すりに手を掛け沈む夕日を眺めていた。
ここから見る夕日はとても美しく幻想的で、もう一度この場所からこの夕日を見たいと思っていた。
「きれいだね」
一人でいる結菜に気づき、部屋に入ったはずの省吾が傍に近寄ってきた。
「ここでね。先輩と電話で話したんだよ。あの時もこんな夕日だった」
「あ……いろいろと迷惑かけてごめんね」
省吾も手すりに両腕を預けその上に顎を乗せ、背中を丸めた。
ここで省吾とこうしていることがなんだか不思議に思えた。
あの時の省吾は今にも泣きそうな声をしていた。
電話からの声だけで、顔が見えない分凄く不安だった。その上、携帯電話の電源を切るなんて……
まあそれも、今となっては良い思い出かもしれない。
それから蓮と話しをした。
蓮は自分の考えていることの方が単純だと言い、結菜は今考えていることは何かと蓮に聞いた。
−『俺は、上条と……』
その続きはなんだったのだろう。
結局聞けないままになっていた。
「結菜ちゃん」
「なに?」
横を見ると優しく微笑む省吾がいた。
手すりに乗せている手の上に頬を置いてこっちを見ている仕草はとても可愛らしく、少し伸びた前髪が、ガラス玉のようにきらきらと光る瞳にかかっていて、そこだけが大人びて見え、ちょっぴりドッキとした。
「返事だけど……やっぱり今してもらえないかな」
「先輩……」
「ごめん。さっき『傍にいられるだけでいい』なんて言ってたのに。なんか苦しくて……いつも自分勝手で情けないけど」
省吾は一度腕の中に顔を埋め、よしっと気合いを入れ丸まっていた背中を伸ばすと結菜の両肩を掴んだ。
「なにを言われても大丈夫だから」
言葉とは反対に、心配そうな顔を覗かせている。
「あ……先輩あのね。正直、自分でも分からないんだ。先輩のことどう思ってるか。そんなの……ずるいよね」
結菜は視線を落とし柵が夕日で反射しているのを見ていた。
本当にずるいよね。でも、今はそれしか言えない。
きっと好きかって聞かれたら好きだって答えるだろう。
でもそれが、省吾と同じ『愛している好き』かって聞かれたら忽ち困ってしまう。
「結菜ちゃん」
「先輩ごめ……」
優しい声に顔を上げた結菜は、省吾の真意を含んだ真剣な瞳を前に、そのまま動けずにいた。
肩を掴んでいる省吾の手に力が入った。そうかと思うと突然引き寄せられ、そして……
――気づいた時には省吾の腕の中にいた。