直接対決
結菜は放課後になると、綾には用があるからと先に帰ってもらい、ある場所に向かった。
あの時と同じ階段を上がる。ここはきっと鬼門だなとか、くだらないことを考えながら……
昼休みに結菜の元に届けられた一通の手紙には、浅野愛美からの呼び出しの場所と時間が書かれてあった。
結菜は階段を上りきると一呼吸置いて突き当たりの扉を開けた。一気に視界が広がる。
「初めまして。上条結菜さん」
一人の女が不敵な笑みを浮かべてフェンスに腕を組んで凭れていた。
線は細いし小柄だが、大きな目が印象的で、ぷっくりとした唇にはピンク系のグロスが光りそれが白い肌に合っている。マユが言っていたように可愛らしい顔をしていた。
この人が、浅野愛美……
バタンと大きな音を鳴らして扉が閉まった。
ゴクリと渇いた喉を生唾がなんとか通りすぎていく。
「やだわ。上条さん、そんなに緊張しないで」
手を口元にあてて、クスッと笑う仕草は余裕が感じられる。
「私に何の用ですか?浅野愛美さん」
この人が省吾先輩を苦しめている人……
そう思うと自然と口調が喧嘩腰になってしまった。
「威勢がいいのね。それに、男に取り入るのもお上手みたいね。省吾だけじゃなくって、あの雨宮蓮も味方につけるなんて……」
「…………」
「でも、残念だけど、雨宮蓮はあなたを助けには来ないわ。きっと今頃、元カノとよろしくやっているわよ」
「…………」
「偶然にも、雨宮蓮と付き合ったことがある人が友達のお姉さんでね。お話ししたら、快く協力してくれたわ。彼がいるとあなたに誰も近づけないないなんて、この学校の男達は本当に軟弱な人ばかり」
こんなやり方ばかりしてきたんだ。この人は。
人を使って自分の手は汚さない。
蓮がメガネ男に何をしたのかは分からないけれど、この一ヶ月、何もなかったじゃなくて、何も出来なかったのだ。
そして、業を煮やした愛美が自ら出てきたというわけだ。
「省吾先輩に何をしたの?」
『省吾』と聞いて愛美のきれいな顔が少し歪んだ。
「言っておくけど、省吾は私の彼氏よ。あなたこそ、省吾の周りをうろうろしないでほしいわ」
「省吾先輩があなたの彼氏なら、堂々としていればいいじゃない。こそこそと人を使って嫌がらせをするなんて、あなたは自分に自信がないの?」
結菜の言葉に、愛美は益々顔を歪ませた。
「自信?笑わせるわね。あなたより、私の方が断然可愛いわよ。誰だってそう言うわ」
「それがあなたの自信?」
「…………」
愛美は何も言わず、お互い睨み合ったまま沈黙が続いた。
「省吾は……」
愛美の整った口が開き、微かな声が漏れた。
「省吾は、あなたより私を選んだの。私だけだって言ったもの……」
大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれた。
省吾先輩が心からそう言ったのならいい。別に私は二人の仲を引き裂こうとしているんじゃない。ただ、前のような元気で、本当に嬉しそうに笑う先輩に戻ってほしいだけ。
この涙が本当なら、私は……
「私は省吾先輩がそう選んだのなら、それで構わない。でも、これだけは約束して、省吾先輩を悲しませないで」
結菜の言葉に俯いていた愛美の視線が上がった。
「あなたも約束して。省吾に今後一切会わないって」
瞳一杯に涙を溜ながら、睨み付けるように愛美は言った。
「それは、出来ない……」
「どうして!」
これは賭かもしれない。
この涙が本当かどうか知るための……
結菜は瞼を閉じ、そして強い思いを込めて再び開いた。
「私は……省吾先輩が好きだから」
どう出る。浅野愛美……
「はははははっ。だから何なのよ?あなたの気持ちが分かったからって省吾はあなたの元へは行かせない。省吾があなたに気持ちがある限り、行けないのよ」
泣いていたとは思えないほどの強い口調に、がらりと変わった愛美の表情はまるで般若のようだった。
「どういうこと?」
やっぱり。涙は嘘……
「省吾に言ったの。私と離れるのなら、上条結菜を殺して、私も死ぬって……」
「そんな……」
そんなことって……
それが、あなたの愛なの?相手を縛りつけることが本当に愛だと思っているの?
「あなたが省吾とこれからも会うって言うのなら、私は……省吾を殺すわ」
「だから、会うなって……?」
「そうよ!私は本気よ。省吾を殺して私も一緒に死ぬわ!」
違う。違うよ。そんなの間違ってる……
結菜の頬に涙が伝わる。
先輩はずっと苦しんでいたんだね。ごめんね。助けてあげられなくて……
ごめんね……
「分かったら約束してよね!」
そう言うと愛美は、結菜の足下にハサミを投げた。
かしゃんとコンクリートの上で軽い音が聞こえた。
「約束の印に、その髪でも切ってもらいましょうか」
こんなこと、いったい何になるの……
あなたはこれで満足なの?
これがあなたの愛なの?
結菜はそのハサミを拾いながら愛美に言った。
「あなたはそれでいいの?一生、省吾先輩に愛されなくても……それでもいいの?」
「愛されないなんて、そんなことないわ」
「いいえ。あなただって分かってる筈。脅して相手の気持ちを縛り付けておくなんて……そんなの愛じゃない」
「うるさい!あなたに私の気持ちなんて分からないわよ。省吾に愛されているあなたになんて……わかる訳がないのよ!私がどんな気持ちで省吾の傍にいるかなんて分からないわよ!」
愛美は涙でぐちゃぐちゃになるのも構わず、結菜に向かって叫んだ。
「分からないよ。好きな人を殺そうっていう、あなたの気持ちなんて……分かるわけがないじゃない」
「……うっ」
愛美は嗚咽を漏らすとその場に座り込んだ。
私はあなたの気持ちは分かってあげられない。でも、省吾先輩を思う気持ちがどれだけ強いかは分かった気がするよ。やり方は間違っているけど、人をこれほど愛せるあなたは凄いと思うし、羨ましいとも思う。
でもね……やっぱり、好きな人を苦しめたらだめだよ。好きだったら、愛しているのなら相手の幸せを一番に考えてほしい……
誰だって、泣いている顔より笑ってる顔の方が素敵じゃない?
自分も笑った方が幸せじゃない?
結菜は手に取ったハサミの刃を開くと、左手で髪を束ねその根元に差し入れた。
パラパラと結菜の茶色い髪が、いくつも束になって落ちてくる。
「何を……してるの……」
「お願い。省吾先輩を傷つけないで。」
もうこれ以先輩を苦しめないで……
先輩に笑顔を返してあげて……
「……やめて。分かったからやめて!」
愛美は結菜の手からハサミを奪うと、そのハサミを抱え込んだまま蹲った。
***
結菜は屋上のフェンスに掴まると顔を金網にくっつけるようにして下を覗き込んだ。
−高い……
校門までの道を歩く生徒が小さく見える。
「ここで何をしてる」
男の声にビクッと力が入り振り向くと、そこには息を切らして肩を上下させている蓮が立っていた。
「蓮くんこそ、どうしてここにいるの?」
もうとっくに帰ったとばかり思っていた。それに、元カノがどうとか言ってたし……
「お前、髪……どうしたんだ?」
息を整えながら近づいてくる。
「えっと……暑いから切ったの」
「自分で?」
「そ、そうよ。いけない?」
自分で切ったのは本当だ。
「…………」
蓮はポカッと結菜の頭を軽く叩いた。
「痛い!なにするのよ!」
「嘘をついたから、お仕置だ」
結菜は頭を押さえながら隣にいる蓮を見た。
どうしてここに蓮がいるのだろう。まるで、走って来たかのように額や首筋には汗が垂れている。
−『雨宮蓮はあなたを助けには来ないわ』
愛美はそう言っていた。
もしかして助けに来てくれたの?
でも……
「蓮くん、元カノは?」
蓮の顔色が変わった。
「お前。どうして知ってるんだ?」
「あ……」
しまった……
「詳しく説明してもらおうか」