夏の空色
蓮とケイはきっと大丈夫。
結菜は空に会ってからのことを考えていた。
無事に帰ってくることは勿論嬉しい。
でも……
今度こそ空と向き合い、父親の話しをしなければいけない。
蓮が日本に居る間に二人を引き合わせることも考えなければ……
その前に、蓮に空の存在を明かすことが先―――
そして、省吾と一緒になることも空にどう話そうか……
いつの間にか頭の中は、空に会う喜びとかけ離れていく。
頭の中が整理されないまま、車はOMURASUに向かって進んでいた。
「結菜。オレも一緒に行ってもいい?」
「OMURASUに?もちろん。一緒にいこ」
車が目的の店の対面に到着すると、結菜と優斗を降ろし徳田は車を駐車場に入れに行った。
店前の道路は駐車禁止だったのを思い出し、結菜は左右を確認しながら優斗と道路を渡ろうとしていた。
すぐそこに空がいる。
車の流れが途切れると、行こうという合図で、結菜は優斗の背中に回した手を軽く押す。
優斗が一歩踏み出したその時――――
猛スピードで角を曲がってきた白色の車が目に入り、結菜は優斗の腕を掴んだ。
前に行きかけた優斗の身体を引き戻すと、勢いよく走って来た車が結菜たちの目の前で急ブレーキ音を鳴らして止まった。
そして、後部座席から出てきた二人の男によって優斗が車に引きずり込まれそうになっている。
「ちょっと、何するのよ!」
結菜は慌てて男から優斗を引きはがすと、自分の後ろに優斗を匿った。
空に続いて今度は優斗……
優斗の祖父から言われた通りにサインをもらうことが出来たというのに、進藤はいったい何を考えているのか。
「まだ何か用なの!?進藤さんに言っておいて。これ以上私は何も手を貸さないって!!だから、この子を連れて行っても無駄なんだから!」
男たちは顔を見合わせて鼻で笑った。
「な、何よ!」
「Influence says and she is a young woman.」(威勢のいいお嬢さんだぜ)
「英語……?」
男は結菜の後ろにいる優斗に再び手を伸ばした。
「not carry out!!」(そうはさせない!!)
結菜は優斗の方へ伸ばした男の手を掴むと、後ろに回り腕を捻り上げる。痛さから逃れようと身体を反転させ膝を付いた男の上を、飛び越えたかと思うと、もう一人の男の顔を下から蹴り上げた。
「優斗くん!逃げて!!」
結菜は放心状態で固まっている優斗の腕を掴むと、走り出した。
兎に角、逃げよう。
男たちを背に結菜は優斗を連れ走り出す。
しかし、すぐにその足は止まった。
後ろを振り返ると、銃を空に向かって掲げている男の姿がある。
男が放った銃声は、結菜たちの逃げ足を止めるのには十分すぎるほどだった。
上に向けられていた銃口が、今度は結菜たちに向けられる。
その時、結菜の記憶は過去に遡っていた。
ヒカルが自分を庇い、銃弾を浴びたあの時の光景が蘇る……
結菜は咄嗟に優斗を後ろに隠した。
ヒカルがしてくれたように、自分は優斗を守らなければいけない。
男がジリジリと近づいてくる。
結菜も優斗を隠しながら、男と同じだけ後ずさりしていた。
いつ発砲してきてもおかしくない状況の中、結菜は優斗をどうやって逃がそうかとばかり考えていた。
「優斗くん。この花屋を通り過ぎたら路地があるから、合図したらそこから逃げて」
「結菜も一緒?」
優斗の声が震えている。
「うん。後から必ず追い掛けるから、優斗くんは先に逃げて」
「一緒じゃないと嫌だ」
「大丈夫。道なりに真っ直ぐ行けば大通りに出るから、タクシーを拾って優斗くんと初めて会った公園に行って。そこで落ち合いましょ」
私も必ず行くから。と結菜は前を向いたまま、落ち着かせようと優斗の腕をポンポンと叩いた。
やがて花屋を通り過ぎると、結菜は優斗に合図をだす。
「行くよ。3・2・1!走って」
振り返り、優斗を突き飛ばすように狭い路地に押し出すと、結菜の後方から銃声が聞こえた。
「構わずに走って!!」
銃弾は結菜の肩をかすめ、激痛が走る。
打たれた肩を押さえながら振り返ると、男が持っていた拳銃が、飛び出してきた徳田の蹴りによって男の手から離れるところだった。
「登場が少し遅かったですね」
「ううん。私は大丈夫よ。それより……」
「この男たちは進藤さんがよこした者たちではないようですね」
「それじゃ……」
「おそらく、裏の組織の人間」
銃を奪われた男が徳田に襲い掛かる。
男は強いが徳田がそれを上回っていた。
「こっちはいいですから行ってください」
男の顎に拳をめり込ませながら、徳田は結菜にそう言い放った。
優斗の後を追いかけようと、狭い路地に向かうと、予定ではもうすでに大通りに出ているはずの優斗が後ろ向きで出てきた。
「優斗くん?どうしたの……」
優斗の側に駆け寄り、優斗の目線の先を辿ると、路地の陰から銃口をこちらに向けたもう一人の男が近づいていた。
結菜は優斗と男の間に入ると、作った拳を顔の前に構えた。
「It is useless.」(無駄だ)
「does not understand?」(分からないでしょ?)
そう。やってみないと分からない。
ピストルの恐ろしさも嫌なほど分かっている。
指先を数センチ動かすだけで人の命を簡単に奪う。
怖くないわけじゃない。ただ優斗を守りたいだけ。それだけ……
男を倒した徳田が、結菜の異変に気付くと、路地の中にいる男の死角に入り身構えた。
徳田は結菜を見ると頷き、路地の陰から出てきた男の銃を蹴り飛ばすと、結菜と優斗はそれが合図のように走りだし坂道を下った。
後方では徳田が男と格闘している気配がする。
足が絡まり何度も転びそうになる優斗を前に、結菜もただ逃げることで精いっぱいだった。
どこかでパトカーのサイレン音が聞こえる。
―――ママっ!!
周りの雑音に紛れて遠くの方で空の声が聞こえた気がした。
その声に思わず振り返ると、荒い運転で歩道に乗り上げた車が、結菜たちの後ろと前に挟み込むように停車し、武装した男たちが降りてきた。
走ることを止めると、優斗が震える手で結菜の手を握った。
「ゆ、結菜……」
前にも後ろにも逃げられない。
入る路地もない――――
このまま捕まってしまうのか……
そう観念した時。
―――上条……
今度は蓮の声が聞こえた気がした。
辺りを見回す余裕もなく、男たちが結菜を襲う。
優斗だけは逃がしたいと、必死で抵抗するが、男が結菜から優斗を引きはがすと、暴れる優斗を車に乗せようとしていた。
そこへ駆けつけた徳田が男と乱闘している間に、優斗は逃げようと道路に飛び出した。
「危ない!!」
襲っていた男たちに体当たりをし、車に引かれそうな優斗に手を伸ばすと、後ろからトンと何かに付かれたような感覚がしたと感じた瞬間に、膝がガクッと崩れた。
――な……に……?
何度か同じ衝撃を受けると、結菜の身体は鉛の様に動かなくなり、固いコンクリートの上に倒れて行った。
「died?」(殺ったか?)
「you make it delayed」(手間取らせやがって)
男が足で蹴るように、結菜の身体を仰向けにした。
足で蹴られた感覚も、指先の感覚すらない……
吸い込む酸素でさえ徐々に少なくなっていく。
身体の機能が一つずつ奪われていくのが分かる……
―――ソラ……
かろうじて開けている眼も霞んでくる。
夏の照りつける太陽も、結菜の瞳の中までは届いていない。
「綺麗な空……」
何処までも澄み渡った空の色を思い浮かべ、最後の力を振り絞ると、結菜は空に向かって手を伸ばした。
誰かがその手を握ってくれた気がする。
温かくて大きな手……
何故だか、その手から懐かしさが伝わってくる。
ぼんやりと見える人の影はそれが誰かも分からない。
あんなに賑やかに聞こえていたパトカーのサイレンも、街の雑音も、車のエンジン音も、耳の奥に蓋をされたように聞こえてこなくなってきた。
「そ……ら……を」
それだけで精いっぱいだった。
――ソラをお願い……