無駄な抵抗
「お主は誰じゃ」
呼び鈴を鳴らすと、しばらく経ってから写真で見たしかめっ面の辻健之助が扉を開けた。
扉にガツンと杖が当たる。
そこに立っているだけなのに存在感がある。
後ろに後ずさりしてしまいそうなその威圧感に、早くも白旗を上げてしまいそうだ。
――これが辻健之助……
「お、お話ししたいことがあります」
「ほう……お嬢ちゃんが入ってこれるとは、警備はどうなっとる」
「すみませんが……」
結菜は一歩下がり下に目をやると、倒れている男が辻にも目に入った。
「これは驚いた。お主が二人ともやったのか」
「…………」
「まあよい。もうすぐ迎えが来る。少しの時間じゃが、お主の話とやらを聞こうかの」
先ほどの強面の顔とは打って変わり、フォフォフォと豪快に笑いながら辻は部屋の奥に入って行った。
結菜も辻の後を追うが、前に出す足が震えている。
緊張で今にも逃げ出したい衝動に駆られていた。
案内された広い部屋には辻以外の人の気配はなかった。
「お主の話の前に、名前を聞かせてもらおうかの」
「か、上条……結菜と言います」
「上条……」
辻を目の前にして更に緊張が増す。
それに、まともな訪問ではなかっただけに、いつ追い出されてもおかしくない。
しかも時間がない。
「あの……私の話しというのは……」
とにかく、ここにたどり着いたからには目的を果たさなければいけない。
でも……
どう伝えればいいのだろう。
子供が誘拐されているからサインしてほしい?
それとも、蓮の会社がどれほど素晴らしいのか雄弁する?
いや。蓮の会社のことなど何も知らない……
ダメだ……
何を言っても無駄な気がしてくる。
頭の回線が切れそうだ。
―――『結菜がここにきてくれてから、初めてここでの生活が楽しいって思えた……』
マンションを出る前の優斗の顔が浮かんだ。
―――ソラ。ごめん。必ず助けに行くから、もう少しだけ待っててね
「どうした?」
一向に話し出さない結菜を怪訝そうに見つめている辻と目が合った。
「どうしてですか?あなたはどうして優斗くんに会いに行かないのですか?日本に帰って来たのなら、真っ先に優斗くんに会いに行くべきじゃないのですか?」
結菜は空のことよりも優斗の話を優先させた。
辻の片方の眉が上がる。
「優斗くんはしっかりしてるように見えてもまだ小学生なんです。一人での生活は寂し過ぎます」
「ほう……」
「仕事が忙しくて側にいられないのかもしれませんが、日本に帰って来た時ぐらいは、優斗くんのことを一番に考えてあげるべきではないのでしょうか。出過ぎたことを言って申し訳ありません。私がこんなことを会長に言うべきではないことも分かっています。でも」
もっと言ってやりたいところだったけれど、辻に遮られる。
「それはお主には関係ないことじゃろ。勝手に優斗に近づき、勝手に看病しただけ……情に絆されおって」
「どうして知って……」
「お主は疑問ばかり。そんなことでは守りたい者も守れん。自分の力のなさに屈するだけじゃ。こんな小娘を送り込むとは雨宮も大したことはないのう。進藤とやらの卑劣な行為には同情するが、部下を操れないトップも情けないもんじゃ」
「蓮くんを悪く言わないで!」
辻は全てを知っている。
知っていて面白がっている……?
「その甘さが命取りになるということに気づいておらん。そんなことでは儂から何も奪えん」
辻の言う通りかも知れない。
今の自分では空を助ける目的をも果たせない。優斗にもなにもしてあげられない。
結菜は辻の迫力に言葉を失っていた。
「それ以上、結菜を虐めないで!!」
「優斗くん?」
奥の部屋から現れた優斗に結菜は驚いた。
「ここにも情に絆された者がおるわ」
「結菜を虐めたらオレが許さないから!」
優斗はすごい剣幕で辻の前に立ちはだかる。
「そんなことを言わせる為に爺ちゃんに頼んだんじゃない。オレはただ知りたかっただけなんだ。結菜が本当にオレのことを思って親切にしてくれてるのかどうか。お金なんか関係のない大人がいるのかどうか」
「だったらもう分かったじゃろ。こ奴は自分の娘を助けたいが為に優斗に近づいたのじゃ。自分の欲のためにな」
「そんなこと……」
「現実を受け止めるのも大切なことじゃ。易々と人を信用せぬ方が良いと優斗もよう分かったじゃろう」
「…………」
悔しそうに口を噤んだ優斗の目から涙が溢れて落ちていった。
「優斗くん。ごめん……ごめんね」
こんな時でさえ謝ることしか出来ない。
これは優斗を騙して近づいた報い。
辻の言うように、自分の力のなさを痛感する……
もうここにいる理由はない。
結局何も守れなかった。
それは辻に放った言葉が原因ではなく、今まで自分がしてきたこと全てが原因……
考えが甘すぎた。
結菜は部屋を出るために立ち上がった。
「お主の周り居る輩もろくでもない者ばかりじゃろうのう」
歩き出している結菜の足が止まった。
「今……なんて……」
「会わぬともお主を見れば分かる。最低な人間の集まりじゃと」
踵を返した結菜の顔は怒りに満ちていた。
「その言葉、取り消して下さい」
「取り消すことなどせぬわ。儂は間違ごうたことなど言っておらん。お主に騙された優斗もその仲間入りをするところじゃたわ」
「…………」
「ほう。何も言い返せぬか。それはお主もそう思っとるということ……」
「違う……」
「違わぬわ!!」
大きな声を発した辻は益々迫力さが増殖している。
しかし、襲ってくる辻の覇気も、結菜だけを避ける様に後ろに流れて行った。
結菜の顔から怒りが消え冷静さを取り戻す。
「気づいていないのはあなたです」
「儂に意見するとは百年早いわ!!」
辻の威圧などに負けない。
「あなたは、親が死んだ子供の気持ちすら理解していない。優斗くんを救えるのはあなただけだということさえ、気づいていない……寂しいとき、辛い時は、一人だけでは倍になる。楽しいこと嬉しいことは、一人では半分になる。子供には側でずっと一緒に居てくれる人が必要なんです」
「分かったことを言いおって」
これ以上辻と話していても無駄だと感じる。
気持ちをぶつけたところで辻がすぐに考えを変えるとは到底思えなかった。
「失礼します」
部屋を出てエレベーターに乗ると、今までの緊張と、何も出来なかったことによる疲労感から結菜の膝がガクリと崩れた。
エレベーターがロビーに到着すると、結菜はよろけた足で歩き出す。
――徳田さんになんて言おう。
会話は全て聞こえている。きっと呆れている……
徳田は進藤から空を助け出す協力をしてくれるだろうか。
そんなことを考えながらポツポツと重い足取りで歩いていると後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。
「優斗……くん?」
結菜に向かって手を振りながら駆け寄ってくる優斗の姿が見える。
「まだ遠くに行ってなくて良かった」
ハアハアと息を切らしながら、優斗は笑顔でそう言う。
「え?どうしたの?お爺さんは……」
「オレが結菜を追いかけて行こうとしたら『それがお前の選択だな』とか訳わかんない事言ってたけど、オレ、爺ちゃんから何を言われようと、やっぱ結菜のこと悪い大人とは思えないから」
「優斗くん……」
「オレも謝らないといけないことがあるし……知ってたんだ。結菜の子供が誘拐されてること。それでオレに近づいたってことも知ってた。けど、ちょっとでも結菜に一緒に居て欲しくて言えなかった……」
「ううん。いいんだよ。謝らないといけないのは私の方なんだから。優斗くんは何も謝ることなんかないよ」
優斗の肩に手を置くと、下を向いた優斗が「ゴメン……」と小さく呟いた。