訪問
「ここって……」
真っ白な塀の間に、やっとあった入り口であろう大きな門が結菜達の前に立ち塞がっていた。門柱にはビデオカメラが設置されていて、ウィーンと小さな音を出してこちらに向いた。撮られていると思うとなぜか顔が硬直する。
蓮が何か操作をすると、その大きな門がカチャリと簡単に開いた。長くて広くきれいに整備された玄関まで続く道は、そのまま車でも入れるようになっている。そして、目の前には、リゾートホテルを連想させるほどエレガントな白を基調とした洋館の豪邸が聳えていた。
あれから―――
いなくなった蓮が教室に帰ってきたのは授業が終わり、放課後になってからだった。純平達は蓮がいなくてもさほど気にしている様子もなかった。きっとさぼっていたのだろう。
結菜は純平と綾から話しがあると言われ、それなら俺の家に行こうと言ったのは蓮だった。
まさか、こんなに大きなお屋敷だったなんて……
「蓮って何者?」
足を進めながら綾が結菜に耳打ちをしてきた。
私に聞かれても答えられる訳がない。聞く人を間違えている。
結菜は黙ったまま、蓮と純平の後に続き、コラムを両脇に従えた玄関ポーチをくぐると、重圧さが感じられる木製の大きな玄関ドアを通過した。
中に入ると真っ白な壁に、床は大理石で、空間が広がるエントランスホールには、階段が緩やかな螺旋状に上へと続いていた。
まるで、結婚式場の新郎と新婦が下りてきそうな螺旋階段を上がると、純平は慣れたように部屋のドアを開けた。
続いて綾が入り、結菜もその後入ろうとすると、後ろにいた蓮が腕を掴んできた。
「ちょっとこいつ借りるぞ。お前達は部屋で適当に寛いでて」
「なに?ちょっと、どこに連れて行くのよ」
嫌がる結菜を半分引きずるようにして、蓮は違う部屋へ強引に押し入れた。
ホテルの一室のようなベッドと高級そうなソファーが置いてある。奥のドアはきっとバスルームだろう。
「なにする気よ!」
部屋の中で、結菜は蓮となるべく距離を取った。
「何もしないよ。それとも何かしてほしいのか?」
「そんなわけないでしょ!」
この男は本当に要注意人物だ。
「その前に、『蓮くんのお家ってスッゴ〜イ』とか『お金持ちなのね』とか感想はないわけ?」
「は?そんなこと言ってほしいの?」
「そういうわけじゃないけど。女の子ってこういうの好きだろ?」
蓮が何を言いたいのかさっぱり分からない。
「あなたがお金持ちだろうがド貧乏だろうが、私には関係ないわ」
蓮は一瞬目を見開いて、それからニヤッと笑った。
「やっぱ、面白いなお前って」
こんな話しをするためにここへ連れてきたの?本当にこの男の考えていることが分からない……
コンコン
部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「蓮様。森先生が御見えです」
扉の向こうの女の人がそう言うと、入り口付近にいた蓮は部屋のドアを開けた。
中に入ってきたのは、髪も口の周りの立派な髭も真っ白な初老の男性だった。
手には大きな黒い鞄を持っている。
「診察を頼んだんだ。病院に行けって言ってもお前はいかないだろ?」
どうやらこの男の人はお医者さんみたいだ。そして、蓮が言ったことは当たっている。
たいしたことはないと、病院へは行かないつもりだった。
「おや。久しぶりに蓮さんから連絡があったと思ったら、そのお嬢さんの診察でしたか。私はてっきりまたあなたが怪我をしたとばかり……」
そう言うと、優しそうに目尻を垂らして笑った。
少しは痛みが引いてきたものの、服の上から右肩を触られると、やはりズンとした痛みがぶり返す。
「ここは痛いかね?」
「ええ」
「腫れはたいしたことはないが……蓮さんちょっと外に出てくれませんか」
なんでだよと言わんばかりの目つきだったが、その意味がすぐに分かったらしく、蓮は大人しく部屋から出て行った。
「お嬢さんは、蓮さんとはどういう……」
「同じ学校の、クラスメイトです」
結菜は、答えながら肩が見えるように服を脱いだ。
「そうですか。いえね、こんなことは初めてなんですよ。蓮さんが、自分以外の人のことを心配するなんて」
「……え?それって、どういうことですか?」
「蓮さんは最近まで喧嘩ばかりしていて、私もよく夜中に呼び出されは怪我の手当をしていました。本当についこの間までは、誰も寄せ付けない鋭い目つきをしていましてね。それが、今日会って驚きましたよ。あの子を変えたのは……あなたですね?」
「ご、誤解です」
私が蓮を変えた?違う。絶対に違う。
「そうでしょうか」
「教室では今でもこんな顔をしてますよ」
結菜は眉間にシワを作って蓮のまねをした。
「でも、あなたの前だと違うでしょ?」
この人は完全に誤解している。蓮が誰も寄せ付けないようにと故意にしていたことを、この人は知らないのだ。
「本当に誤解ですから」
「……あなたが、そう言うなら、私の誤解ということにしておきましょう。ですが、これだけは言わせてください」
優しそうに笑っていた森の目が真剣な目に変わった。
結菜はその強い瞳に耐えきれずに俯いた。
「あの子は幼い頃に母親を亡くし、父親は仕事ばかりでね。愛情というものを知らずに育った。
私には考えられません。こんな大きな家にいつも一人きりで……学校で何かあっても聞いてくれる人はいない。テストで良い点を取っても褒めてくれる人はいない。蓮さんは、嬉しいことも、悲しいことも、すべて自分の中に溜め込んで今まで生きて来たんです。ですから……」
−だから……?
結菜が顔を上げると、優しそうな目をした森と目が合った。
「いえ。そういうことも含めて、蓮さん自身を見てほしいと……出過ぎたことを言っているのは分かっています。すみません」
この人は、蓮のことを心配しているのだ。はっきりと分かる。
結菜にも両親がいないが、いつも自分のことを思い、何かあれば心配してくれるヒカルと広海がいる。一人だなんて思ったことは今までだって一度もない。一人きりの辛さは結菜には分からないが、蓮という人間が森の話しを聞いて少しだけ身近に感じた。
「いいえ。話してもらって良かったです」
森はホッと息をつくと、湿布を貼った結菜の肩に、包帯を巻いた。
「次は蓮さんの番です。ここへ座って下さい」
結菜の治療が終わり、蓮が部屋の中へ入ってくると森は蓮にそう言った。
「は?なんで俺が」
「惚けないでください。何度あなたの怪我の手当をしたと思っているんですか」
−蓮くんがケガ?
「いつケガしたの?どこ?」
全然気づかなかった。
「だから違うって言ってんだろ」
「蓮さん服を脱いで下さい」
「そうよ。違うなら、脱いで見せてみなさいよ」
森と結菜に見つめられ、蓮は観念したように、服を脱ぎだした。
結菜は、ああは言ったものの、蓮の肌が見えてくると急に恥ずかしくなり視線を逸らした。
「そう深くはないけど……ナイフとかの刃物だね」
ナイフ……結菜は昼間に拉致されたメガネ男を思い出した。
「蓮くん。まさか……でもどうして?」
でも、そうだとしても、どうして分かったのか?結菜は一言も男について蓮に話しをしていない。
「ネクタイを返しに行っただけだよ」
そんなわけがない。
「どうして分かったの?」
「ん?あいつ、抜けてるよな。ネクタイに名前が書いてあった」
「一人で行くなんて無茶苦茶だよ」
「ああ。まさかナイフを持ってたなんてな。でもお前にはもう手は出さないって約束させたから安心しろ」
蓮は治療している反対側の手を結菜の頭に乗せた。
でも、結菜はその手をすぐに払い落とした。
「バカ蓮!誰がそんなこと頼んだのよ!復讐の連鎖なんて意味ないよ。無駄よ。それに……それに、あんたがそんなケガしてどうするのよ……」
言っていて涙が溢れた。
「上条……俺は無駄だったなんて思わない。1%でも可能性があるなら、俺は動く」
安心しろだなんて。蓮は本当にバカだ。何の可能性よ。何が無駄じゃないよ。
結菜には、蓮が自分を傷つけてまで守ろうとするものも、その意味も分からなかった。
***
蓮の治療も終え、結菜も落ち着いたところで、綾達の待っている蓮の部屋へと移動した。
「遅かったな。結菜これ見ろよ。凄いぞ」
興奮した綾の視線を辿ると、部屋の端に置かれたテーブルの上にきれいに並べられた色取り取りのケーキが何十個も置かれていた。
「なにこれ?ケーキバイキング?」
四人でこんなに食べられるはずがない。
そうは思ってもそこは女の子。遠慮せずに食べろと言う蓮のお言葉に甘えて、美味しそうなケーキをどんどんお皿に乗せていった。
「言ってた、話しなんだけどさ……」
綾と一緒にケーキに夢中になっていると、純平が口を開いた。ここへ来た目的を危うく忘れてしまうところだった。
蓮の部屋はだだっ広く黒い革張りのソファーの前には、存在感のある62インチのプラズマテレビが置いてあり、結菜達がいない間に純平と綾がゲームをしていたのだろう、テレビの前にはゲーム機が散らかっていた。奥にはキングサイズのベッドがあり、その他は勉強をするための机が置いてあるだけであまり生活感の感じない空間だった。
みんな、なぜかソファーには座らず、その下に腰を下ろし、ソファーを背もたれにしていた。
この方が落ち着く。
「分かったんだ。結菜ちゃんへの嫌がらせの首謀者が」