しょっぱいグラタン
結菜はニコっと笑顔を絶やさず、ゲームセンターの片隅にあるベンチに座った智樹にジュースの缶を渡した。
「どうして僕の名前……」
智樹は明らかに結菜に怯えている。怖がらないようにとの賢明な笑顔も反対に智樹を怯えさせる原因と思われた。
「それより、どうしてここにいるの?さっき智樹くんのこと虐めてた子たち、ここにいたのに」
「そ、それは……」
「もしかして、あの子たちのこと追いかけてきたの?」
「…………」
そうだとしたら、それはどうしてだろう。
自分のことを苛めた人たちの顔も見たくないと思うのが普通だろう。
「智樹くん言ったよね。虐められてたこと誰にも言わないでって」
「うん……」
「言わないよ。誰にも言わない」
結菜の一言で智樹の顔がぱあっと明るくなった。
「その代り、教えてほしいことがあるんだけど」
「な、何?」
また表情が曇る。
それでも結菜は聞かずにはいられなかった。
「智樹くんと優斗くんって友達……なの?」
絆創膏を張った膝小僧の上に、大事そうに両手で包み込んだジュースの缶をギュッと握るのが分かった
「優斗は友達……だよ。だから誰にも言わないで」
「友達だったらどうしてあんなこと智樹くんにするのかな?」
智樹は黙って俯いたまま答えようとはしない。
それは智樹が優斗を庇っているような気がして、やはり何かあると確信した。
「優斗くん酷いよね。いくらお爺さんがお金持ちだからってあんなに威張ることないのに。だいたい我儘なんだよ。智樹くんだけが我慢することないんじゃ」
「何も知らないのに優斗の悪口言わないで!!」
結菜の鎌かけに智樹が反論してきた。
「傍から見てると誰でもそう思っちゃうよ。そうじゃないならきちんと話してよ」
こうして智樹と向き合っていると、辻に近づく為でもなく、ただ単純に智樹と優斗の間に何があったのか気になって仕方なかった。
「僕と優斗は幼稚園からの友達で……」
智樹は結菜から言われたことも尤もだと感じたのかポツリポツリと話し始めた。
あれは幼稚園に通っていた時のこと。身体の一番小さな智樹はよく同じ年の男の子たちにからかわれていた。
一生懸命描いた絵を破られたり、粘土で作った象を壊されたりという嫌がらせに毎日泣いていた。
同じクラスの子たちは誰も助けてはくれず、自分も反撃する勇気もなくて、ただ泣くしかなかった。その時に庇ってくれたのが転校してきたばかりの優斗ひとりだけだった。
いくら言っても聞かないいじめっ子たちに、優斗は果敢に殴りかかったこともあった。
虐められないようにと優斗は智樹の傍にいつもいてくれ、悲しいことや辛いことがあっても隣にいる笑顔の優斗を見ると元気になれる。
そしていじめっ子たちも智樹を虐めなくなり、いつの間にか優斗を通して仲良くなっていた。
自分を救ってくれた優斗のことが智樹は大好きだった。
そんな優斗が何故…………?
両親が亡くなる前の優斗は明るくて正義感も強く誰からも好かれる男の子。
そう。両親が亡くなり、祖父である辻健之助に引き取られてからすっかり変わってしまったというのだ。
「智樹くんは優斗くんのこと信じてるんだね」
「本当はあんなこと言うヤツじゃないんだよ。お母さんとお父さんが死んじゃってから優斗の周りはいっぺんに変わっちゃったから。優斗言ってたんだ。『俺の周りにいる大人たちは俺じゃなくてお金目当てで寄ってくる』って……」
「そっか……智樹くんは今の優斗くんを何とかしたいって思ってるんだね」
「僕にはどうにも出来ないと思うけど、前の優斗に戻ってほしい……優斗が僕を助けてくれたように僕も優斗を助けたい……」
涙ぐみ俯いている智樹と苦しんでいる優斗を放っておけないと思った。
だからと言って優斗の行為は許されるものではないのだけど他人事ではない。
空だっていつ全く同じ状況に立たされるか分からないのだから……
どんな状況に置かれたとしても空を守るという自信はあったけれど、進藤に連れ去られた空を想うと、どうにも出来ないことがこの世の中にはあるということもまた事実。
優斗は頼れる大人が傍にいるのだろうか。
悩みを相談できる友達はいるのだろうか。
智樹と別れ、徳田に優斗の居場所を聞くと仲間と別れて自宅に向かったと知らされた。
急いでその場所に向かうと、一人で歩いている優斗の姿を発見した。
「ちょっといい?」
今度は逃げられないように後ろから腕を掴むと、振り返った優斗は驚いた顔を見せた。
「何だよ。子供にこんなことしていいと思ってんのかよ」
怪訝そうに結菜の手を振り払う。
「子供……ねぇ」
背丈は結菜と差ほど変わらない優斗は、挑発的な目を向けるとフンと鼻息を漏らし目の前にある高層マンションに向かった。
そのまま入って行かれては困る。
「大人が信用出来ないのは分かる。でも、優斗くんが知ってる大人ばかりじゃないんだよ」
「は?訳わからない。頭おかしいんじゃない?」
優斗はオートロックを解除して扉を開けた。
「智樹くんは本当にあなたのこと心配してるよ。あんなことされたって、優斗くんのこと本気で信じてる。そのことだけは覚えておいて!!」
聞こえたのか聞こえていないのか優斗は振り返ることなくマンションの中に入って行った。
やっぱりダメだったか……
透明なガラス越しに優斗が見えなくなるのを確認してからマンションを背にした。
すぐに次の作戦を練ろうと徳田に通信するために耳のイヤホンに手を当てたその時、後ろからドアの開く音が聞こえ振り返った。
「入れば?」
「え?」
そこには中に入ったはずの優斗が立っている。突然のことで固まっている結菜に極まり悪そうに優斗はドアから手を放した。
ゆっくり閉まるドアを見て、急いで入口に駆け寄り、閉まるギリギリのところでフックに手をかけることが出来た。
「なんだ。結構足早い」
面白くなさそうに優斗は奥にあるエレベーターの前まで行くと「乗らないの?」と言ってきた。
もしかしてからかわれている?
24の自分が小学生にからかわれているなんて……
優斗とエレベーターに乗った結菜はガックリと肩を落とした。
緊張しながら部屋に入ると、広いリビングに40歳前後の女の人が身に付けていたエプロンを外しているところだった。
「ご昼食はテーブルの上にご用意してあります。夕食はいつもの様に冷蔵庫の中に入れてありますので温めて召し上がって下さい」
部外者の結菜を気にすることなく、女の人は優斗にそう告げると、すぐに部屋を後にした。
「私、ここにいてもいいのかな?一応、さっき知り合ったばかりのどこの誰かも分からない人なんだよ」
何も不振がらない女の人を見送ると結菜は急に不安になった。
「自分で言うんだ」
優斗は呆れたように言い放つと、テーブルに着き、結菜に構うことなく用意されていた食事を食べ始めた。
仕方なく結菜はその場に立ったまま家に中を見回していた。
徳田から聞いていた。優斗はこの家で一人暮らしていると……
先程の女性はお手伝いさんで、朝、朝食を作り優斗に食べさせると部屋の掃除などをこなし、学校が休みの日にはこうやって昼食と夕食の用意を済ませ帰ってく。
小学生が一人で過ごすにはあまりにも広すぎるマンション。
休日のこの時間帯はいつも一人きり……
「突っ立ってないで座れば?」
きょろきょろと忙しなく周りを見ている結菜を鬱陶しそうに優斗は顔を顰めていた。
何も思わず、食事をとっている優斗の前に座ると、一層顔が不機嫌になった。
「なんでそこ?向こうに座れよ」
「別にいいじゃない。私、あなたのご飯取ったりしないわよ?」
「そうじゃなくて……もういい!」
食事の途中で椅子から立ち上がると、優斗はリビングのソファーに座りテレビの電源を入れた。
結菜は何が気に入らなかったのかさっぱり分からなくて、テーブルの上の食べかけのグラタンを少しだけつまみ食いしてみた。
「…………しょっぱい?」
塩辛さが口の中に残る。
「優斗くんってしょっぱいの好きなんだ?」
「そんなわけないだろ。あのおばさんの料理、時々激マズなんだよ」
テレビを見たまま答える優斗の口調が寂しそうに感じる。
結菜は立ち上がり、勝手に冷蔵庫を開けると、用意されていた食事を一口ずつつまみ食いをした。
「ねえ。今日の晩御飯、私が作ってもいい?」
優斗の方に振り返って結菜はそう言うと、少しの沈黙の後に優斗の口からボソリと言葉が返って来た。
「勝手にすれば」
さっき知り合ったばかりの自分を家の中に招いた優斗の気持ちがよく分からない。
でも……
悪ガキってこともないようだ。
――口や態度は蓮くんとヒカルぐらい悪いけどね。
結菜はフフっと笑うと優斗の隣に座った。