戦闘開始
結菜はホテルの一室で徳田と辻健之助の身辺について調べていた。
これからどのようにして辻から契約書に同意させサインさせるのか……
「会長のお孫さんが通っている小学校は……あ。ありました。都内の名門私立初等科ですね。
結菜さん、こんなこと調べてどうするのですか?」
「私にも分からないけど、真っ向からぶつかってもダメな気がするし。悠長なことは言えないけど、進藤さんや蓮くんが手におえない人っていったいどんな人なのかなって思って」
そう思ったのは嘘じゃないけど、本当のところは、何をどうすればいいのか分からいだけのような気もする……
「会いに行かれるのでしたら、明日は日曜日ですから、明後日になってしまいますが……」
「そうだよね。それじゃ、その子の家に行ってみるかな」
少しの時間も無駄には出来ない。
でも、小学生の孫に会いに行くこと自体が時間の無駄になってしまうかもしれない。
「眠れませんか」
「私のことは気にせず、徳田さんは寝てね」
進藤の部下に連れて行かれた空のことを考えると心配で眠ることなどできない。
結菜は窓越しに有り明けの空を見上げていた。
朝になるとテーブルの上は焼きたてのパンやサラダ、手の込んだスープにと豪華な朝食が並べられ、結菜はフォークを持ってスクランブルエッグを突いていた。
「食べないと一日もちませんよ」
徳田に食べるように言われても、何も喉を通らない。
「思ったんだけど、進藤さんに辻からサイン貰えたよって嘘ついて呼び出してさ。それで、進藤さん締め上げてソラの居場所吐かせるってどう?」
「どう……と言われましても」
「そうね。徳田さんはあっちの味方だもんね。あ。そっか、そんなことしてもすぐ嘘だって進藤さんにバレるよね」
「一晩中そんなことを考えていたのですか?」
「そうじゃないけど。失敗は許されないって思うと何をどうすればいいのか分かんなくて。徳田さんはどうすれば辻健之助からサインをもらえると思う?」
徳田はフォークを持った手を止めた。
「私が言ったことを実行するとして、それが失敗すると結菜さんは後悔するでしょう?結菜さんは結菜さんのやり方で突っ走ればいいのではないでしょうか。手段はどうであれ、進藤さんはあなたに期待して任せたと私は思うのですが」
「そんなこと私に期待されてもね……」
はあ。と、お皿に向かってため息を付いた。
「それではこれはどうでしょうか。結菜さんのやり方で、もし失敗することがあれば、その時は進藤さんを締め上げて吐かせる。もちろん私も加勢させていただきますが」
徳田は悩んでいる結菜が余程可哀想になったのかそんな提案をしてきた。
結菜はお皿を見ていた顔を上げると顔を横に振りながらこう言った。
「締め上げるって……徳田さん野蛮だわ」
「…………あなたが言ったのでしょ?」
目が点になっている徳田を見て思わず笑う。
すると徳田は安心したようにフッと微笑した。
「冗談が言えるぐらいだと大丈夫ですね。まだ少し早いので、食事の後はゆっくりしてください。お孫さんの家の前には高倉に待機させていますので、何か動きがあれば連絡が入るはずです」
「高倉さん?」
懐かしい名前にあの頃のことを思い出した。
蓮と一緒に過ごした時間――――
食事も程ほどに結菜はベッドルームに戻ると仰向けに寝転び天井を眺めた。
空のことをいくら心配しても、今はどうすることも出来ない。
それなら……
押し付けられたとはいえ、進藤に言われたことを言われたままに実行するしかない。
それで空も戻ってくるし、蓮の会社が助かるのなら……
結菜はベッドから勢いよく起き上がると、背中まで伸びた髪を束ねた。
戦闘開始――――
徳田と共に辻新之助の孫の住むマンション近くに到着すると結菜だけ車を降りた。
耳には結菜の行動が随時分かるように徳田と繋がっているイヤホンが装着されている。
高倉からの報告によると、標的はマンションの前にある公園にいるらしい。
相手は小学生。男の人と一緒だと警戒されやすい。
だから、まず下見がてら結菜だけがその男の子に近づく作戦なのだが、広い公園を散歩しているフリをしながら探しているがなかなか見つからなかった。
梅雨の合間の晴天で太陽の光線がジリジリと肌を刺激する。
日曜日の公園には散歩をしている老夫婦や、ジョギングを楽しんでいる若者などが結菜の前後を行きかっている。その中には家族連れも多く、至る所で子供の笑い声が響いていた。
足を進め、人気のあまりない木々が覆いしげる小道を歩いていると何処からか数人の男の子たちの声が聞こえてきた。
その声に耳を傾ける。
まだ距離が遠い声は、何を言っているのかまでは分からないが、時には誰かを罵るような口調で結菜の関心を寄せていた。
声の方に近づくと言葉が鮮明になっていく。
「持って来いってあれほど言っただろ!オレに逆らえばどうなるかぐらい、お前にだって分かるだろ!!」
「……っぇ。だって。だって……もうこれ以上無理だも……」
「あ!?聞こえねえんだよ!!お前はオレの言うことを聞いてりゃいいんだよ!!」
物置小屋のような古びた建物の裏から聞こえてくる声の方をそっと覗いてみた。
そこには小学生ぐらいの男の子三人が一人の男の子を囲んでいる。
「智樹。優斗を怒らせたらお前んとこの父ちゃんが困るんじゃねぇ?」
「そんなこと言ったってぇ」
囲んでいる男の子たちより頭一つ分ほど背の低い男の子は、肩を上下にさせながら泣き、腕で涙を拭った。
「ちょっと!あなたたち何してるのよ!一人によってたかって!!」
たかが小学生のもめ事。でも、こういうのは見て見ぬふりは出来ない。
昔の自分がよくこうやって囲まれていたことも思い出され、先に感情が前に出てしまった。
虐めていた男の子たちは、ばつが悪そうな顔をすると「行こうぜ」とすぐにその場を立ち去ると結菜は「大丈夫?」と泣いていた男の子に駆け寄り、ハンカチを差し出した。
結菜を見る男の子の目は怯えている。
「はい……。あの……このことは誰にも言わないでもらえますか?」
「え?」
男の子はハンカチも受け取らず、結菜にお礼の意味を込めて頭を下げると、逃げるように走って行ってしまった。
――――虐め?……だよね。
だったらどうして誰にも言わないようにと言ったのか?
どうして自分を見て怯えた目をしたのか?
普通助けてもらえば、安心した顔をするはず……
疑問だけが残ると、本来の目的も果たせず徳田の待っている車に帰った。
「だめ……探せなかった。せっかく高倉さんが知らせてくれたのに、初めから失敗しちゃった」
落ち込む結菜に徳田はこう言った。
「失敗ってわけじゃありませんよ」
「どういうこと?」
「さっきの小学生。三人組の一人が辻会長の孫の辻優斗です……」
―――――優斗を怒らせたらお前んとこの父ちゃんが困るんじゃねぇ?
どういう事…………?
「でも、やっぱり失敗だよ。私の第一印象かなり悪い。次近づいた時は、きっと私の顔を見ただけで逃げちゃうよ」
「それはそうかもしれませんが……」
徳田は膝の上に広げていたパソコンを結菜に見せるように向けた。
「何これ?」
そこには地図の中に赤く点滅するランプが動いているのが見える。
「先程。逃げていく優斗さんの後をつけてズボンのポケットの中にGPSを仕掛けてきました。優斗さんは現在この場所。ここはゲームセンターでしょうか。行くか行かないかは結菜さんにお任せしますが」
「どうされますか?」との問いに結菜は即答で「行く」と答えた。
きっとまた逃げられる……
でもじっとしてなんかいられない。
焦る気持ちは良くないと思っても、何か行動を起こしていないと落ち着かない。
たとえ上手く行かなくてもきっと打開策は見つかるはず……
車から降りようとする結菜を徳田が呼び止めた。
「ポケットの中にあるGPSの回収。お願いしますね」
「…………」
ニコやかにそう言った徳田を心の中で恨んだ。
簡単に言ってくれる。
近づくことさえ出来ないかもしれないのに…………
でも、GPSが発見されると、後々面倒なことになり兼ねない。
結菜は公園を背に向けて歩き、店が立ち並ぶ一角にあるゲームセンターに入って行った。
店内に響く音楽や、ゲーム機から発せられる騒音に頭がクラクラする。
一刻も早くこの場から出たくて、UFOキャッチャーの間を見まわしながら歩いていた時だった。
『対象者。ゲームセンターから出ました』
イヤホンから徳田の声が聞こえると、結菜は少しホッとして自分もすぐに出ようと踵を返した。
「いたっ」
結菜が急に方向転換をしたものだから、後ろにいた子供が結菜とぶつかり、その拍子に床に手をついて倒れていた。
「ごめん。大丈夫?」
手を差し伸べて転んだ子供を起こそうとして顔をみた瞬間――――
「あっ」
その子供は先ほど公園で虐められていた男の子。確か智樹と言っていたような…………
転んだ智樹もぶつかった相手が結菜だと分かると、出された手を振り払うように起き上がり、逃げようとした。
「ちょっと待って。智樹くんだよね」
名前を呼ばれ、驚いた顔で振り返る智樹の腕を反射的に掴むと、結菜はニッコリと微笑んだ。