蓮 Side 8
じいさんの……いや。辻会長の胸の奥にある思いを、こんな俺に真剣に話してくれている。
これから会長が自分にするであろう質問には、誠意を持って応えよう。
俺にとって契約を成立させることも大事。けど、それよりももっと大切なものがあると会長の話を聞いてそう思ったから。
「前途ある若者に、老いぼれのなれの果てを聞かせるのは、ちと酷だったかの」
「いえ。会長の気持ちが、少しだけですが分かりますから」
「そのようじゃな。この老いぼれが一つだけ御主に言えるとしたら、上に立つ人間は、自分の容量を超える強さを身に付けることじゃ。そして、どんな人にでも手を差し伸べられる人間になれるかで、そやつの器量が測れる」
強さ……
今の自分に欠けているものは間違いなく強さだと感じる。
手を差し伸べるどころか、差し伸べられる側にいる。
辻会長の話を聞き、俺は上に立つ人間ではないと思い知らされた。
「それでは、儂からの質問じゃが……」
会長がそう言った瞬間、緊張で乾いて張付いた喉がゴクリと鳴った。
「御主はどうしてこの儂の改革とやらに手を挙げたのじゃ」
「それは…………」
言葉が止まった。
俺はただ、上条を手に入れることだけを考えただけの行動――――
誠意ある答えをと言葉を選んだところで、その言葉のどれにも誠意は感じられない。
「いいにくいことかね。御主には欲深さも金の匂いもせぬと思うたがな」
本当の答えを言えば、この契約は成立しない。
けど、会長に嘘は通用しない。
俺はどうすれば……
向かいに座っている会長と目が合うと俺は意を決して話し始めた。
半分はどうにでもなれといったところだろう。
「私が会長の改革に参戦したのは……大切な人に会いたいからです」
「ほう。大切な人とな」
「はい。自分の命を懸けてもいいと思える大切な女性です」
「それなら、何故会いにいかん?その者がもっと金持ちの方がよいと思うとるのかね?」
「いいえ。そんなこと言う奴じゃない。俺に力が無かったばかりに傷つけ、無理やり引き離されてしまいました。だから、進藤に……無理やり引き離した奴に、何も言わせないよう俺は雨宮グループを立て直し、あいつを迎えに行きたかった」
顔を上げられない。会長の目が見れない。
膝の上で握った拳が微かに震えていた。
「それが答えかね?」
「……はい」
その後、暫く沈黙が続いた。それはほんの数秒だったのかもしれない。けど、俺の体感時間は何十分とも思えるほど長いものだった。
「がははははっ」
突然笑った会長に驚いて顔を上げた。
「すみません。そんな答えで」
思わず俺は会長に謝罪する。
きっとこれで契約はないだろう。
たかが女一人の為にと言っているヤツに、大切な企業は任せられない。
もしも俺が会長の立場でもそう思う。
「なあに。謝ることなどないわい。それじゃ御主は、その女性を取り戻すという原動力でこれまでやってきた。そう理解してよいのじゃな」
「はい」
「道理で金の匂いがせんはずじゃ。儂もまだまだ人を見る目だけは衰えていないようじゃ。だが、ちと困ったのう。それじゃ御主がその者と再会した時の今後はどうなるのかね」
「…………」
「すまんな。今後の経営方針に口出しせん約束じゃった」
「いえ」
会長の意見は尤もだ。
会社を譲ったはいいが、その後放り出されては会長の取り分も減ってしまう。
その時、ドアのノック音が聞こえると先程部屋にいた男が入室してきた。
「もうそんな時間かね。今日はここまでじゃな」
そう言うと会長は杖を付き立ち上がった。俺も素早く立ち上がる。
「お話ありがとうございました」
「儂も久しぶりに楽しかったわい。機会があればその女性にも是非会ってみたいのう」
そして会長がドアを出ようとしたとき、振り返ってこう言った。
「そうじゃ。7月5日に日本で祝賀会を開くのじゃが、御主を招待するとしよう」
それはまだ希望が絶たれたわけじゃないと解釈してもいいということ……?
俺は嬉しさのあまり自分のしたことなど忘れ、ケイに電話をかけた。
「…はい」
長いコールの後、電話に出たケイの声はいつになく低く、その時やっと我に返る。
会長に会って話をしたことを誰かに報告したかっただけなのに、浮かれてついケイに電話したことを後悔した。
「ん……蓮か?なんかあった?」
「さっき、辻会長と話したから一応報告しようと思っただけだけど」
「ふうん。そっか……何を話したか聞きたいけど、オレここんとこ寝てないんだわ。だから、今は寝させてくれ」
そう言うとすぐに電話は切れた。
ケイの口調はいつもとは変わらないように思えた。本当に眠いから電話を切っただけのこと。
それだけのことだ。
この前のことを怒っている風でもなかったし、ウザがる様子でもなかった。
でもなんだろう。俺の中に寂しい気持ちが溢れてきた。
次の日。朝早く俺の泊まっているホテルにケイがやってきた。
早朝だというのにケイはスーツを着ている。黒っぽい細身のスーツにピンクのネクタイ。
最近、寝てないと言っていただけに少し疲れた表情だけど、俺を見るといつもと変わりなく、にしゃっと笑った。
「で?会長なんだって?」
以前のことには一切触れず、開口一番にそう言う。
「日本で開催する祝賀会に招待された」
へ~。と多少驚いたような顔になる。
「ケイは寝ずに何してたんだ?」
「あ?オレ?ん~ちょっと気になることがあってな」
「気になることってなんだ?」
俺が訪ねるとケイの眼がニヤリと笑った。
「そうだな~こないだのこと、蓮くんが謝ってくれたら話そうかな~」
ニタニタと気味の悪い笑みで俺をからかってくる。
なんだよ。やっぱり怒ってたんじゃないか。
こういうところがムカつく。人をおちょくりやがって。
「どうしたの?蓮くん、早く誤ってちょうだいよ~」
俺の肩を指で突きながら、口を尖らせ、ふざけた声で言ってくる。
マジでムカつくっっ!!!
怒りマックスの俺にも構わずケイの攻撃は続く。
「蓮くんはボクちんの顔も見たくなかったんだよね~だけど、電話してくるってどうよ。ねえ、ねえ。どうよ?」
「……ったよ」
「え?聞こえな~い。『ボクはケイ様がいなくて寂しかったデス。ごめんなちゃい』って言ってみ?ほれ。言ってみ?」
「だから『悪かった』って言ってるだろっ!!」
「蓮くんのその態度。じぇんじぇん誠意が伝わってこにゃ~い。寂しかったんでしょ?素直に言ってみ?」
「……ああ。そうだよ。すまなかった」
益々エスカレートするケイの虐めに俺は屈するしかなかった。
自分の蒔いた種といい、なんか屈辱的だ。
少しの抵抗にとあからさまに嫌そうな顔をしてケイから顔を背けた。
すると、身体にドンと負荷がかかる。
「蓮~オレも寂しかったぞ~。そっかそっか」
嬉しそうに抱きついてきたケイを無下にも出来ず、嫌そうな顔をしながらもされるがままになっていた。
俺をからかうのにも満足したのか抱きついていたケイから解放されると、どんな顔をすればいいのか分からずその場から離れた俺にケイが話しかけてきた。
「んで?結菜のことはどうすんだ?」
即答で答えた。
「逢いに行く」
会長ともう一度会って、自分の出来る限りのことをし、そして……
あいつを省吾から奪いにいく――――