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ジャンプ  作者: minami
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蓮 Side  7

 


 あれからケイは俺の前に姿を見せなかった。

 それはそうだろう。この目で見てきたケイ自身を信じられず一方的に疑い、切り捨てた。

 どんな馬鹿なヤツでも、こんな俺からは離れていくだろう。

 これからどうすればいいのか考えるのもウンザリする……


 仕事も殆ど手につかず机の上にある書類に判を押すだけの仕事を何も考えずこなす。

 何をするにも身が入らない。


 もう少しでそこに手が届きそうだと実感していたものが断ち切られたのだから仕方ないと自分を慰めてみても、それは虚しいだけだった。


 本当に俺はこれでいいのか。

 このままでいいのか。


 そう自問自答する日々……

 

 ケータイを左手に持ちタッチパネルを操作するとケイの名前がすぐに出てきた。

 けど、指は動かずそこから先には行けない。

 ケイと離れてみて初めて感じたことがある。

 俺と上条のことを本気で考えてくれていたのはケイだったということ。

 こんな時、相談できるのは俺にはケイしかいないということ……


 ケイが俺を心配してここへ来てくれてから、もう6年が過ぎていた。

 そんなにも長く俺を支え続けていてくれた。俺のことを一番に考えていてくれていたのはケイただひとりなのに……

 自暴自棄になっていた俺の背中を押してくれたのもケイだったのに……


 気づくのが遅すぎる。


 そうだよな。それこそこんなの俺じゃない。

 卑屈という名の部屋に閉じこもり、どうしようもないことを永遠と考えるだけ。

 こんな俺は俺じゃない。


 右手に掴んでいた印鑑を勢いよく置くと、俺は社長室から出て行った。



 もう同じ間違いは繰り返さない。

 何もやらずに後悔することだけは絶対にしない。


 あの時、何もせず上条の手を放した俺にはもう戻らない。




 決意した俺は用意された車に乗り込むと目的の場所に向かった。



 決めた。

 俺は日本に帰る。



 上条に逢うために、そしてあいつの気持ちを確かめるために……


 けど、こっちでもまだやらなければいけないことが残っている。これを終わらすまではあいつに逢いには行けない。


 車が停車すると、助手席に乗車していた男がドアを開けた。

 見上げたビルは、俺がさっきまで引きこもっていたものとは格が違う。大きく息を吸い込むと自動ドアの向こうに見えるフロアーを見据えた。


「辻会長にお会いしたいのですが」

「お約束はされていますでしょうか?」


 まるで精巧なロボットかと錯覚するような完璧な笑顔の受付嬢に俺は「いいえ」と答えた。

 名前を告げると少し待つように言われ、電話の受話器をとる受付嬢から視線を外した。

 どうせ会ってはくれないだろう。あの女がいる限りは会長まで繋いでももらえない。

 だったら何度でもここへ来てやる。会ってくれるまで何度だってこうやって会長を訪ねてやる。

 こうするしかもう道がないのなら。


 受付嬢が受話器を置くと視線を戻す。

 きっと断られる。と、そう思ったとき受付嬢に機械のように正確な笑顔を向けられると一人の男が近づいてきた。


「雨宮様。会長がお会いになるそうです。ご案内いたしますのでこちらへ」


 男に案内され、エレベーターを降りると大きなドアの前にもう一人男が立っていた。その男がドアを開ける。

 

 部屋の右側には一際目立つ巨大な水槽の中で、三匹のアロワナが優雅に泳いでいる。その横を通り過ぎるとドアを開けた男に座るように誘導された。

 そして、部屋に通じるドアをノックすると、辻のじいさんが出てきた。

 男が部屋を出てくと、重々しい空気が漂う中、俺は立ち上がり一礼する。

 和装が似合い貫録のある強面の顔。足を一歩出すごとに補助として使用している杖が痛々しい。


「大きくなりおって」

「御無沙汰しています」


 足を庇うようにソファーに座った辻のじいさんを確認してから、再び腰を下ろした。

 面と向かうとじいさんの覇気で圧倒されそうになる。


「幾つになった」

「24になります」

 そう答えると固く一文字で閉ざされた口元が緩んだ。

「そうか。たかが24のひよっこが。末恐ろしいわ」

 大きな口を開け、がははと笑うじいさんは昔と変わらないような気がした。


 母さんが生きていた頃……

 あの頃の雨宮の家は賑わっていた。いつも入れ替わり立ち代わり誰かが家に訪ねてくる。夜になると一層人が集まり自然と宴になっていく。小さいころはそんな環境の中で育った。

 辻のじいさんもその来客のひとりだったことを朧気に覚えている。

 小さかった俺は強面のじいさんのことを怖がることなく、よく膝に乗せてもらい頭を撫でてもらっていた。

 じいさんの豪快に笑ったときの顔が可笑しくて、俺のことを可愛がってくれるじいさんが大好きだった。


 大人に囲まれて育った幼少時代。けど、いつからだろうか……

 あんなに閑散と静まり返った寂しい家になってしまったのは……



 この前会った人とは違う女が珈琲を運んできた。

 女が仕事を終え出ていくまでの間、じいさんはいつものように口元を閉じる。

 

 それはまるで、上条に出会った頃の自分を思わせた。

 自分を偽り、雨宮蓮という人物を演じる。

 誰も自分には近づかせないようにしていたあの頃の俺のようだった……



「儂の秘書が迷惑をかけたそうじゃが、すまなかったのう」

「いいえ。何年も前のことといい、悪いのは俺……私ですから」

 また豪快に笑うじいさんに何よりも深い懐を感じる。

「男にはそういうところがあるのは仕方あるまい。儂は私生活については寛大じゃ。しかしビジネスは別。そう思わんかね」

「はい」

 俺の受け応えを聞いたじいさんの表情が変わった。またいつもの様に口を一文字に締める。

「さて、御主も多忙じゃろう。ここからは仕事の話じゃ」

 緊張で膝の上で握っている拳の内側が汗ばむ。

 じいさんとの交渉がすんなりいけば、すぐにでも日本に帰れる。

 こんなチャンスは二度とないかもしれない。


「条件は把握しておるな」

「はい。経営が悪化してもその会社の社員はリストラしない。現時点で赤字事業の会社も傘下に入れる」

「儂の手放す会社じゃ。今後の経営方針にも口出しはせぬ」

「会社は経営者が変わるだけ、売買するわけではない。その代り全収益の1%を会長に還元する。そういう条件でした」


 辻のじいさんは自分の人生を懸けて育て上げた会社を他人に譲ろうとしている。

 けど。どうしてだろう。

 じいさんの手放す会社は大きなものから子会社まで数社ある。その合計収益は少なく見積もっても100億。その1%ということは1億がじいさんの取り分となる。

 総資産3兆円と言われている辻健之助だが、自分の会社の殆どを手放す理由は何なのだろう。

 確かにその仕組みなら、何もしなくても印税のように毎年お金は入ってはくるけど……


「納得出来ないような顔をしておるな」

「いえ……ただ、仕事人間の会長が何故そのような改革をしたのかが分からなくて」

「改革とな。がはははっ。そう言ったのは御主が初めてじゃ。もっとも、疑問に思ったところで誰も訪ねてはこなかったがな。会社を自分たちの物に出来るのなら、その前にある多少の疑問符など関係ないのじゃろう」

 そう言い少し寂しそうに笑った。

「私は会長の意思を聞きたいと思います」

「そうか。だがな、タダでとはいかん。どうじゃ。儂が白状する代わりに御主にも聞きたいことがあるが、答えてくれるかの」

「……分かりました」


 じいさんの前では嘘も誤魔化しも見透かされてしまうだろう。じいさんの力強い瞳は千里眼のようなものを持っていそうでたじろんでしまいそうになる。

 なにより今のこの状態は面接のようなもの。各会社の代表一人一人と面接を行い、自分の会社を譲るのに相違ないかどうか見極めているのだろう。


 俺はじいさんに認められる人間なのだろうか。



「なあに。簡単なことじゃよ。儂はこの通りもう歳じゃ。他社に譲る我が社の資料に目を通したじゃろう。儂の目が行き届かず、業績が伸びていない企業も数多くある。限界を感じ、現実を受け止めただけじゃがの」

「そう思われたのなら、何故他会社なのですか?親族に譲ることも考えなかったのですか?」

 普通はそうする。どうして何も関連などない他会社に譲るのか納得がいかない。

「それはじゃな……身近な者を知れば知るほどそういう気分にはなれなくてな。あ奴らにくれてやるぐらいなら、全社潰しても構わんと思うたぐらいじゃ。だが、そうすることは出来ん。トップにいる人間なら分からぬか?」

「社員が……その家族がいるから」

「そうじゃ。人間というのは欲深いものじゃの。充分な金があってもまだ欲する。そういう人間の中にいることも疲れたのじゃよ。儂も若い頃は野心を持っておったもんじゃ。その野心は人々を幸せにもするし一歩間違えば不幸にもする。儂は一人でも多くの人を幸せに出来たのか、もしかすると、不幸にした方が多かったかもしれん。そう思うと辛くてな」


 じいさんの言ったことに微塵の嘘も感じられない。

 こんな若造の俺に、本音で語りかけてくれる辻健之助という大きさを、改めて感じさせらていた。

 


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