名案!?
体育館の中に男達が入ってくる足音がする。
「ここへ来るのも時間の問題だな」
息を潜めてドアの隙間から覗いていた蓮が、結菜の隣に腰を下ろした。
「どうしよう」
あそこのドアを開けられたら、もう逃げる術がない。休み時間が終わるまでまだ10分もあるし、授業が始まったからといって退散してくれるとは限らない。ここで捕まったらどうなるの?
「蓮くんだけでも逃げて」
「なにバカなこと言ってんだよ」
「でも、逃げ切れないよ」
「いい考えがある……上条、マットの上に横になれ」
「横になっても隠れられないよ?」
「いいから」
蓮が何を考えているのか分からないが、他に良い案なんて浮かばない結菜は、蓮の提案に従うしかなかった。
蓮に言われた通りに座ったままの姿勢から、痛めた右肩をかばいながら寝転んだ。マットの湿った感じが気持ち悪い。
蓮はまたドアに張り付いて外の様子を見ていた。男達は舞台の後ろや他の部屋を探しているようだ。
−どうか。ここへは来ませんように……
結菜は手を合わせて祈った。ドクドクと五月蠅いほど心臓が動いている。
緊張がピークに達した時だった―――
軽快な音楽が倉庫の中に鳴り響いた。
それは蓮の携帯電話の着信の音……
−ウソでしょ!!
蓮は慌てて携帯電話の音を切ったがもう遅かった。
「こっちの方で音がしたぞ」
幾つもの重なった足音がこちらに向かってくる。
蓮は素早くドアから離れて結菜の横に座ると顔を覗き込んできた。
「上条、そのままじっとしてろよ」
蓮はそう言うと結菜の上に覆い被さってきた。
「ちょっと!?」
「黙って。動くなよ」
蓮の息が耳元で聞こえる……頬に髪があたって少しくすぐったい。苦しくないように体重は全部かかってはいないが、制服の上からの見た目では分からなかった、筋肉の付いた堅い身体は女の子とは違いたくましさを感じる。
これほどにない密着ぶりと、見つかってしまうのではないかという緊張から、ドキドキを通り越して失神してしまいそうだった。
足音がドアの前で止まった。
そして、金属が擦れ合う音が聞こえる。
ドアが開いた―――
きっとすぐそこに立っている。さっきまで追いかけていた男達が……
−……あれ?
予想に反して、シーンと静まり返っている。
やっぱりばれてしまった――?
そして蓮の身体が少し離れた。
「いいとこなのに邪魔するなよ」
「ご、ごめんなさい」
男達は慌ててドアを閉めるとそのまま足音が小さくなっていった。
−行ったの?
蓮の作戦のおかげで無事危機は脱出したようだ。
「良かった……」
「ん……」
首筋に柔らかいものが触れているような感覚がする。顔には蓮の髪がかかっている。
「ちょっと。蓮くん?」
男達が立ち去ったことにまだ気づいていないのだろうか。
「ん……?」
「もう行ったよ」
「…………」
蓮の返事が返ってこない。
−待って。これって……
緊張のあまり気づかなかったが、この体制って……
結菜の足の間には蓮の足が少しだけ片方割り込んでいる。左手は結菜の頭を撫で、右手はつつっと結菜の左手に這わせると、指を絡ませてきた。蓮の顔は頬同士がくっつきそうなほど近くにある。そして、首筋には柔らかくて温かいものが触れている。
その温かいものが動く度に、くすぐったいような、身体全体に鳥肌が立つような……そんな感じがした……
−なにこれ?
結菜の目には所々黒くなった白い倉庫の天井が見える。
「ちょ、ちょっと……蓮くん?」
−あなたは何をしているの?
結菜の言葉に反応したのか蓮がやっと顔を上げた。目と目が合う。
「やばい……止まんなくなった」
−はい?
蓮の顔が近づいてくる。
結菜の唇に蓮の唇が触れそうな距離になった。
「こういう時、男はどこを蹴られるか知ってる?」
「お前。なんだよ。こっちはその気になってんのに」
「なっ何言ってんのよ。どきなさいよ!離れろ―――っ。私が裸でいたって欲情しないんじゃなかったの!?」
「あっ……いや。そんなこと言ったっけ」
「バカ蓮!怪我人になんてことするのよ!」
怪我人という言葉に、蓮は仕方がないなと言いながら、結菜から離れた。
この男は、まったく。油断も隙もない。
「思ったより抱き心地が良かった……」
「怪我が治ったら一発殴るから、覚悟しておいてね」
それより、さっき蹴りを入れてやればよかったか?
すっかり大人しくなった蓮だが、結菜は油断大敵と蓮とは離れて座り、予鈴が鳴るまで倉庫の中で待つことにした。
「さっきのこと、省吾には……」
「誰にも言えるわけないでしょ!」
冷たく言い放つと蓮は今まで見せたことのない弱々しい顔をした。
少し言い過ぎた?いやいやそんなことはない。これはこの男の許してもらおうという作戦かもしれない。
結菜は蓮をキッと睨んだ。
「分かったよ。調子に乗った俺が悪かった。ごめん」
「ごめんで済んだら警察はいらないって知ってる?」
「なんだよそれ。子供みたいなこと言って……」
「どうせ。私は子供です!」
「あ、いや、そうでもなかった……」
その言葉に結菜はまた蓮を睨んだ。
***
「やっと帰って来れた―――」
結菜は自分の机に抱きつき、ほっぺたをすりすりと擦り合わせた。
「二人でどこに行ってたんだ?」
綾が心配そうに訪ねてきた。
「どこって……」
どう言ったらいいのか。ちらりと横にいる蓮を見た。
「あっ結菜ちゃん怪我してる」
今度は純平が心配そうな顔で見てきた。
「えっホントか」
「えっと、これは、その……」
困った。正直に全部話せば、きっともっと心配させてしまう。
「こいつ、階段を踏み外して転んだんだよ」
蓮が助け船をだす。
「階段からって……もしかして、誰かに押されたとか」
綾の顔がますます曇る。
「ち、違うよ。自分で転んだんだよ」
「こいつ、ホントに注意力が欠けてるっていうか。あんなに間抜けだとは思わなかった。俺が助けなかったら、もっと酷い怪我をしてたぞ」
蓮はしれっとそんな嘘八百を並べ立てる。
間抜けって……この人は、私を助けようとしているのか、それとも私をからかって本当に怒らせたいのか?
しかし、結菜はそれを嘘だとは言えない。蓮もそのことを知っている。
「そう……結菜、最近怪我が多いんだから気をつけろよ」
綾ちゃんこの男の言うことを信じないで。いや、信じたほうが……いいの?
内心複雑だ。
結菜たちのお喋りもあまり目立たないほど、教室中がガヤガヤとした中で授業が進んでいた。
結菜は自分の顔を見るために机の中から鏡を取り出した。
あの男に殴られた傷はどれほど目立つのだろうか。一応開いてある教科書の上に鏡を置き、顔を覗き込ませた。頬骨の辺りが少し赤くなっている。自分が感じる痛みほど傷はたいしたことはなくホッと胸を撫で下ろした。
鏡を閉じる瞬間に、自分の首が映った。
あれ?
首筋に赤く内出血したような後がある。いつの間にこんなところを打ったのだろう?触ってみるが痛みはない。
おかしい。こんな所、何かあれば気付かないわけがない。
ここって……
結菜は思い出すと見る見るうちに顔が真っ赤になっていった。
ここは、さっき蓮がもぞもぞと何かしていた場所。
−これは、も、も、も、もしかして。キ、キ、キスマークというものでは?
鏡で赤くなった顔を隠しながら、結菜は蓮に視線を向けた。
蓮はそんな結菜に気づきもしないで真面目に授業を聞いているのか、ノートに何かを書いていた。
休み時間になったら覚悟しててよ!と結菜は沸々と闘志を燃やしていたが、授業が終わるとすぐに蓮はいなくなってしまった。
そして、次の授業が始まっても蓮は帰っては来なかった。