それって反抗期?
「それ第一反抗期ってやつじゃない?」
「そう?」
お互い、仕事に育児にと忙しく頻繁には会えないけれど、久しぶりに会ったマユとカフェでお喋りをしていた。
話しの内容はもちろん子供達のこと。
「うちの歩は男の子だから、考えてることが単純だけどさ。女の子の心の中って複雑だからね」
「歩もソラのこと知らないって?」
「あの子はボーっとしてることがあるから、そういうこと気づかないだけかもしれないけど。ママ友から何か情報が入ったらすぐに教えるから安心しな」
「ありがと。私ももう一度ソラと話してみる」
空とマユの息子の歩は、同い年で同じ幼稚園に通っている。
同じ幼稚園に気心の知れた親友がいることは心強い。
結菜はハアと溜息を付く。ジュースが注がれているガラスのコップに付く水滴が一滴伝って落ちた。
「そのうち何事もなかったみたいに、ケロッとして行くようになるかもよ」
「そうだといいんだけど……来年小学生になるでしょ?今からこんなんじゃ心配で……」
本気で心配している結菜を見て、マユはプッと吹き出した。
「ゴメン……いや。あのね。二人で真剣に子供の話してるのがなんか可笑しくて」
そう言いまた笑う。
「あの頃は考えられなかったよね」
結菜もマユと同じように笑った。
今のこの幸せが嘘みたいに思えるような出来事がたくさんあった―――
それは、今に辿り着く為に神様に試されていたかのように……
一頻り笑い終えるとマユが身を乗り出して小声で言った。
「ところで、省吾さんとはどうなってるの?」
「え?何もないよ」
「また~そんなこと言って、あんたたちってホント進展無さ過ぎ!!」
「あのねぇ。先輩とは単なる友達なの。それ以上でもそれ以下でもないから」
省吾といろいろあったけれど、普通に友達として接してくれている。
妊娠中や出産後など、こっちがお世話になることばかりで、申し訳ないと思うぐらいだ。
「へ~」
疑いの眼を自分に向けるマユ。
その眼を逸らさないマユに結菜は根負けした。
「マユだって知ってるでしょ。ソラを妊娠中にはいろいろあったけど。今は本当にただの友達だよ。あっほら。ソラの病院の先生でもあるよね」
「いろいろね」
「ソラ。未熟児で産まれたでしょ。大きくなったけど、同じ組の子と比べちゃうと、まだまだ小さいから心配で、その相談とかものってもらってるけど」
「相談ね」
何が言いたいのか、マユは疑いの眼を解こうとはしない。
「そ、それだけよ」
「私が知らないと思ってるんだ。たまに省吾さんがソラのお迎え来てるよね」
「それはね」
「ママさんたちにソラのパパだって思われてるよ~」
マユはニヤリと笑った。
確かに何度か空の通う幼稚園に迎えに行ってもらったことがある。
でもそれは、空が幼稚園で熱が出たと先生から電話があって、仕事がどうしても抜けられないとき、たまたま仕事が休みの省吾に迎えに行ってもらったりしただけで……
それに小児科の先生だから安心だし……
それにそれに、空は省吾によく懐いているし……
「だ~か~ら。先輩とは何でもないからっ」
マユはまだ納得しない顔で「へ~そう」と素っ気なく言うと、やっと視線を逸らしてくれた。
そしてボソリと一言……
「もしかして、まだ雨宮蓮のこと……」
「え?」
「だってさ。何も連絡ないんでしょ?あのケイって従兄弟もロスに行ったきりで、音沙汰ないんでしょ?」
「ま、まあ」
「心配だったりするの?」
「そんなことないけど……」
「けど?」
「…………」
マユに突っ込まれてどう答えればいいのか迷った。
気になるのは空の父親だから……
いや。それだけではない。
自分の心の中にはずっと蓮がいる。離ればなれになっても気持ちが蓮から離れることが出来ない。
でも……
あれから6年近く経っている。
いつも心の中に確実に蓮がいる筈なのに、時々蓮の顔を忘れてしまいそうになる……
そんな時は妙に寂しい気分になってしまう。
蓮のことを考えると悲しくなってしまう……
そんな悲しい思い出だけじゃないのに。楽しかったこともいっぱいあったのに、蓮のことを思い出すと、胸が苦しくなって涙が出そうになる。
最近はいつもそう。
もしも娘の空に『自分のお父さんはどんな人?』と聞かれたら、どう答えればいいのかまるで検討がつかない。
まだ、自分に父親がいないことを不思議に思っていないのか、そういうことを聞いてきたことがないけれど、これから先は分からない。
その時どう答えれば空は納得してくれるのだろう……
ベッドの中で、もやもやと考え事をしていると、いつの間にか朝になっていた。
リビングに下りると、広海がいつものように新聞を読みながら珈琲を飲んでいた。
キッチンには菜穂が立っている。
「広海さん。今日は早いんだね」
「それがね。急にニューヨークまで行かなくちゃいけなくなっちゃって。一週間ほど帰れないと思うけど、事務所の方は村井ちゃんに頼んであるから心配しないで」
「うん……」
空を産んでから結菜は空を育てるためにと仕事を探していた。ずっと広海と菜穂に迷惑はかけられないと思ったから。
バイトの時もなかなか見付からなかったけれど、仕事となると高校も出ていないし、おまけに子供がいる不利な条件で雇ってくれるところはどこもなかった。
見かねた広海が自分の経営している芸能事務所に雇用してくれた。結局、広海の手を患わすばかりでと、最初は悲観していたけれど、今までお世話になった広海に少しでも恩返しがしたいと考え方を変え、事務所での仕事を精一杯頑張っていた。
でも。時々挫けそうな時もある……
OFFICE SORA――――
「この資料、畑中さんに渡してって言ったわよね」
このフロアーを取り仕切っている村井が結菜の前に来ると、鋭い言い方で言い放った。
年は32歳の村井は、見た目は20代に見えるほど可愛らしいが、口を開けばいつも遠慮のない言葉が飛び出してくる。
「はい。言われた通りマネージャーの畑中さんに……」
「マネージャーじゃないわよ!経理の資料をどうしてマネージャーに渡す必要があるのよ!?」
「すみません。中身がどんな資料か分からなかったものですから……」
「言い訳はいいのよ!まったくこれだからコネで入った奴は使えないのよっ!!」
大声で怒鳴られていても周りは誰一人見向きもしない。みんな忙しく自分の仕事をこなしているだけ。これがこの事務所での日常。
忙しすぎて、子供に熱が出たから早退させて下さいなんて言おうものなら、言葉だけじゃなく何が飛んでくるか分からない。
「はあ…………」
結菜は隅にある自分の机に座って溜息を付いた。
「またやられちゃったね」
ヒカルのマネージャーだった早見が、積み重ねたファイルを運びながら、チラリと視線を送った。
「あ。手伝います」
結菜は滑り落ちそうな上の方のファイルをいくつか取ると、早見の机の上まで運んだ。
「まあ。気にしないことだな」
「え?」
「あいつ、きついとこあるけどああ見えて……」
「分かってますよ。さっきのは自分の馬鹿さ加減にです。あんな初歩的なミス……はぁ」
ここに三年近く勤めているのに、未だにあんな失敗をしてしまう自分って……
まともに書類ひとつ届ける事すら出来ない。
上条財閥を継ぐ継がないと言っていた自分が恥ずかしくなる。
結菜はお茶を入れてきますと給湯室に向かった。
給湯室では女子社員が二人お茶を入れながら立ち話をしていた。そして結菜に気づくと声を掛けてきた。
嫌な予感がする……
「村井さん。あんな言い方ないのにね。上条さんも毎日大変よね」
「いえ……自分のせいですから……」
「上条さんは大人しすぎるのよ。あんな上司の下で働きたくないって社長に言えばいいのよ。簡単なことでしょ。村井さんって言葉きついし、仕事ばっかりで男っ気ないし。きっとあれは日頃のストレスをあなたにぶつけてるだけだと思うわよ」
また始まった……
村井はそんな人じゃない。
ただこの仕事を大切に思っているだけ。
一緒に仕事をしていてそう感じる。だから広海もこの事務所を村井に任せて上条財閥の仕事と兼用できているのだとそう思っていた。