本当の別れ
空港に溢れかえる人の間をすり抜け、結菜とケイはロス行きのターミナルの前に到着した。
人々が騒然としている中、搭乗手続きをするために座っている蓮の後ろ姿が見える。
どれだけ沢山の人がいたって、蓮がどこにいるのかすぐに見付けることができてしまう。
結菜は蓮に貰った指輪を薬指から外すと、肩に掛けていたバッグにしまった。
そして、辺りを見回して蓮のことを探しているケイに告げ、結菜は一人で蓮に近づいた。
心臓が自分の身体を壊しそうなほど激しく鳴り響いている。
結菜は大きく深呼吸した。
大丈夫。何を言われたって、蓮くんにどう想われたって私はこの子を守る。
必ず守ってみせる。
たとえ、蓮くんに嫌われたとしても。
そう覚悟を決めてここに来た。
大丈夫……
大丈夫。
そう自分に言い聞かせて、蓮に声を掛ける。
「蓮くん……」
蓮は結菜の声に、ゆっくりと後ろを振り返った。
「か、みじょう……」
驚いている蓮の顔。
久しぶりに見る蓮の顔……
「蓮くん痩せた?」
「…………」
何も言わない蓮。でも、蓮の大きく開いた瞳が徐々に潤んで行くのが分かった。
結菜は前に回り込むと、蓮の隣に座る。
「今日出発するってケイが教えてくれたんだ」
「…………」
「蓮くん。わたしね」
話している途中に蓮に抱きしめられた。
蓮の胸に顔を押しつけられ、蓮の腕は痛いぐらいに強く自分を捉えている。
突然の事で気持ちが混乱する。
結菜は蓮の背中に回そうとする自分の手を寸前で握りしめると、その手を下ろした。
「えっと……みんな見てるよ」
「構わねぇ」
結菜は蓮の胸の中で瞳を閉じた。蓮の鼓動が聞こえてくる。
今。こんなに近くに蓮がいる……
ずっとこうしていたい。でも、その願いはいつも叶わない。
「蓮くん。私、今日は蓮くんに話しがあってここに来たの」
蓮の腕が和らぐと、結菜は顔を上げた。
「俺も話しがある」
以前より少しかけた頬。会わなかった時間が埋まっていく。
このまま流されそうになる……
覚悟を決めて来たはずなのに。
蓮を目の前にすると、胸の奥をギュッと掴まれたみたいに痛くなる。
「話しは終わった?……結菜ちゃん」
結菜はその声に慌てて蓮の腕を外した。
「省吾……」
「久しぶりだね。蓮くん。話しが終わったなら、結菜ちゃん連れていくよ」
「何言って……上条?」
立ち上がった結菜の腕を蓮は思わず掴んだ。
「なんだ。まだ話してなかったの」
「先輩……」
省吾は蓮の手を結菜から引き離す。
「先輩。私からちゃんと蓮くんに話すから」
「蓮くん強引だから心配なんだ。でも、結菜ちゃんがそう言うなら」
今度は省吾が結菜の腕を掴み、自分の方に引き寄せると、結菜の唇に自分の唇を重ねた。
-え?
省吾の行動を、頭の中では思いきり動揺しているのに、顔に驚きを出すことも、省吾を突き放すことも出来ない。
そう。これはお芝居……
ケイも言っていた。
―――「結菜。言っとくけど、蓮はちょっとやそっとのことじゃ信じないぜ」
分かってる……
自分の中にあるスイッチが切り替わった。
結菜は省吾の後ろ頭に手を回すと、軽く重なっていた唇を押しつける。そして今度は角度を変えると更に深く省吾の唇を求めた。
省吾の腕が背中に回る。
身体を離すと顔が蒸気して熱いのが自分でも分かる。省吾の顔も赤くなっているのが分かった。
「あ。えっと、みんなの前で恥ずかしいよね」
誤魔化すことに必死で、蓮の顔を見る余裕なんてなかった。
どんな思いで二人を見ていたのか、蓮が何を思ったのか、考える余裕なんてなかった。
「なんだこれ……?」
省吾に掴みかかった蓮の怒りに満ちた顔は、忘れられないだろう。
蓮に顔面を殴られ、省吾はその場に倒れ込んだ。その光景がスローモーションのように映る。
「やめて!!」
結菜は省吾の前に行き、守るように両手を広げた。
対面した蓮の顔は怒りと悲しみでグッと奥歯を噛み締めている。
何事かと、周りにいる人達が何人も足を止めているのが嫌でも目につく。
蓮と向き合っていたのはほんの少しの時間だったと思う。
蓮はすぐに背中を見せると、ベンチに置いてあった荷物を掴み、搭乗口に入っていった。
その蓮の背中が溢れ出る涙で滲んで見えた。
「大丈夫か省吾。結菜……よくやった」
遠くで見守っていたケイが省吾を立たせると、結菜の肩に手を置く。
結菜は流れる涙を拭いもせず、蓮が去ってしまった搭乗口を見ていた。
「一人にして……」
立ち止まっていた人達も搭乗口に入っていく。
もう誰一人結菜を気にとめる人はいない。
結菜はしばらくその場から動けなかった。
あれから一ヶ月―――
省吾に連れられ産婦人科を受診した。
「あなたが結菜さんでしたか」
優しそうな笑顔に出迎えられ、緊張が少しだけ解れた気がした。
「あの……」
白衣を着て椅子に座っている産科の医師。その笑顔が誰かに似ている。
「省吾に話しを聞いたときには驚いたが、話しは分かるつもりだ。安心してほしい」
「……はい」
「このやり方には正直賛成は出来ないが、子供の命とあなたのことを守りたいという省吾の想いを尊重するつもりだが……」
「あの……」
結菜は自分の後ろに立って話しを聞いている省吾を振り返って見た。
「大丈夫。僕の父さんだよ」
「え!?あ。そうなんですか」
そう。その優しそうな顔は省吾の笑顔に似ている。
母親似だと思っていたけれど、省吾は父親にもよく似ていた。
検診を終え、省吾に家まで送ってもらうと、これからのことを話そうと省吾に家にあがってもらった。
「先輩のお父さん。あまりよく思ってないよね」
それはそうだ。
自分の息子がこんなことに巻き込まれたのだから。
「父さん。蓮くんのお父さんと知り合いだったて。内情は話さなくても大体のことは知ってたよ。だから、しょうがないってとこかな」
「巻き込んでごめんね」
「いいよ。僕がそうしたいって思ったんだから」
誰にも迷惑はかけない、傷つけないと誓ったのに、またこんなことをしてしまっている。
省吾の父親まで巻き込んでいったい自分は何をしているのだろう。
「赤ちゃん元気でよかったね」
「うん……」
結菜はお腹に手を乗せると、自分の中で懸命に生きている赤ちゃんの事を考えた。
どんなことをしても守るとこの子に約束した。
「結菜ちゃん……」
お腹を当てた掌の上に省吾の手が重なる。
「先輩?」
「結菜ちゃんが蓮くんのことを忘れられなくてもいいんだ。それでもいいから……」
ゆっくりと省吾の顔が近づいてきた。
それと同時に空港での蓮の怒りに満ちた顔が浮かんでくる。
「や……」
「僕が守るから。結菜ちゃんとこの子を――――だから……だから、ずっと傍にいさせて」