省吾とケイ
三が日も過ぎ、アパートに戻ると冬休みが終わるまでにとバイトを探していた。
求人情報誌を見たり、近くのお店を回ってみたり。
でもなかなか決まらない。今日行ったファーストフード店では、一足違いで募集が終わっていた。
重い足取りでアパートの階段を上がると、部屋のドアの前には省吾が立っていた。
「省吾先輩?」
「良かった。帰ろうかと思ってたとこだったんだ」
結菜は「入って」と鍵穴にカギを差し込んだ。
「あれ?」
「どうしたの?」
「カギ……開いてる」
ドアノブを回すと、何の障害もなくドアが開く。
確かにカギは掛けて出掛けたはず。
「まさか泥棒……とか?」
「ドロボウ?」
恐る恐るゆっくりとドアを開けた。
すぐ見えるキッチンには誰も居ない。結菜は足音を立てないようにそっと部屋に上がった。
一つしかない6畳の部屋には最小限の物しか置いていない。小さな折りたたみのテーブルに、本や小物を並べている棚。その棚の上には写真を貼り付けたコルクボードを飾っている。幼い頃にヒカルと一緒に写っているものや、省吾の卒業式にみんなで撮ったもの。
いつも布団をたたんである場所は、今この場所から死角になっている。そこが怪しい。
結菜は深呼吸すると再び足を前にやった。
「わっ」
「きゃあああああっ」
「結菜ちゃん!!」
その死角から突然飛び出してきた人に、心臓が止まりそうなほどに驚いた。驚きのあまり結菜はその場にしゃがみ込んだ。
「驚いた?」
「ケ、ケイ?」
「ドロボウだったら刺されてたな」
結菜の蒼白ぶりにくくくっと声を押し殺してケイは笑っている。
「笑い事じゃないわよ!ったく、どうして部屋にいるのよ!」
「部屋の前にいたら、下の部屋の大家さんがカギを開けてくれたけど?」
「は?なんで大家さんが……」
「『どちら様?』って聞かれたから『結菜がいつもお世話になってます』って言ったら結菜の兄貴と勘違いされちゃってさ。部屋に入れてくれたから?」
「…………」
-大家さん!!
結菜は溜息を付くと立ち上がった。
「結菜。誰だそいつ」
ケイは後ろにいた省吾を指さしていた。
「省吾先輩。学園の先輩。今は大学生だけどね」
ね。と省吾に微笑むと、ケイは目を細めた。
「お前はもう蓮のこと忘れたのかよ。もしかして、そいつと付き合ってるのか?」
「な、なによ。付き合ってるって……それに、そんなこと。ケイに関係ないでしょ」
ケイと話すと何故かこういう言い方しか出来ない。
「あーもう!そんなこと言いに来たんじゃねぇのに」
ケイは自分の頭をガシガシとかいた。
「僕。あのオムライスのお店で待ってるから」
自分は居ない方がいいと思ったのか、省吾は気を利かせて部屋から出て行った。
「で?あの『出来杉くん』みたいな、へなちょこ野郎とはホントに付き合ってないのかよ」
「へなちょこって……だから、ケイには関係ないでしょ」
省吾のことを悪く言われ、今度は結菜がムッと口を尖らせた。
「蓮もお前も相当頑固だから、こうやってオレ様が骨を折ってやってるってのに……ったく」
そう言ってケイは珍しくへこんでいるようだった。
そんなケイを見ているとこっちの調子が狂いそうだ。
「付き合ってなんかないよ。省吾先輩は蓮くんのこともよく知ってるし、この前私がちょっと風邪引いてたから、気になって来てくれたんじゃないかな。先輩は医学生だから」
「あいつが医者?へえ。人は見かけによらないって言うか。まあ。そんならいいけど。
結菜。蓮が来週アメリカにいっちまう。それまでに一度あいつと会って話しをした方がいい」
来週……
とうとう蓮は遠くに行ってしまう。
「でも……」
「進藤のことなら大丈夫だ。あいつは一足先に渡米した。だから誰の目も気にしなくても蓮に会える」
会いたい……
出来ることなら今すぐにでも会いに行きたい。
でも―――
「ケイ。私は会わないよ」
「ホント頑固だよな。お前たちみてっと、マジでいらいらする。好きなら好きで一緒にいる。それじゃ駄目なのか?ったく、進藤ごときが何だってんだよ」
「進藤さんだけが原因じゃないよ。私と蓮くんは一緒にいちゃいけないんだよ。一緒になれない運命……なのかな」
「それこそ、どんな運命だよ。運命でも、二人でその運命とやらを変えていきゃいいだろ」
台所に立っている結菜に一歩近づいたケイは、台所と部屋を仕切っているガラス戸を掴むと、ガラスがガタガタと音を鳴らした。
「ケイ……私ね。本音は蓮くんと一緒にいたいよ。今すぐにでも会いに行きたい」
蓮のことを想うと鼻の奥がつんと痛くなる。
「だったら」
「でもね。今はよくてもまた同じ事を繰り返すの。今のままの私たちじゃ。また同じ事の繰り返しだと思うの」
「それでも何も別れることはないだろ」
「もう誰も悲しませない。もう誰も傷つけない……それが、私を庇って亡くなったヒカルへの償いでもあるの」
一筋の涙が頬を伝わった。
涙で潤んだ瞳で、ぼやけた視界にいるケイをグッと睨むように見続ける。
ケイは結菜の頭に手を乗せると困ったように溜息を付いた。
「ヒカルがそんなこと望んでるかよ」
それでも、もう決めたことだから。
好きな気持ちだけじゃ一緒にいられないことがあることを知った。
気持ちが通じ合っていたって、どうにもならないことがあるって初めて知った……
好きな人との別れがこんなに辛いものだと、身を持って知った―――
でも辛いからといって、立ち止まるわけにはいかない。
私はヒカルの分まで頑張って生きなくちゃいけないのだから……
「ごめん。先輩。忙しいのに待たせちゃったね」
「ううん。お腹空いてたから丁度良かったよ」
オムライスを頬張りながら省吾は笑っている。
結菜は省吾の向かい側に座った。
「あのね。さっきの人は蓮くんの従兄弟なんだ」
「そう。蓮くんの話し?」
「うん……蓮くんね。来週からアメリカに行っちゃうんだって」
明るく言っているつもりでも、またじわりと涙が滲んでくる。
OMURASUの奥さんがオーダーを取りに来ると、結菜はオレンジジュースだけ頼んだ。
「お腹空いてないの?」
「疲れてるのかな。最近食欲ないんだ」
「この間も調子悪そうだったよね。一度うちの病院に診察においでよ」
「ありがと。でも、大丈夫だよ」
身体が怠いのは色んなことを考えすぎているせいで、食欲がないのは一人で食べるご飯は美味しくないから。
だから、病院に行くほどでもない。
省吾がオムライスを食べている姿を見て、結菜は思い出していた。
前にもこんな事があった。
あれは蓮が父親に会いに病院に行ったときのこと。
偶然省吾と会い、近くの洋食屋でこうやって同じように向かい合って座った。
あの時、省吾はハンバーグを食べていて、自分はオレンジジュースを飲んでいた。
変わらないな。
変わらないことにホッとする。
「何?何が面白いの?」
自分を見て笑っている結菜を見て、省吾は困惑している。
「先輩。よく食べるなって思って」
「ホントは一口欲しいんでしょ?仕方ないな。はい」
「や。いいよ。そんなつもりで言ったんじゃなくって……」
困っている結菜を見て、今度は省吾が笑っていた。
省吾と一緒にいると、不思議と時間がゆっくりと流れている様な気がする。
何も考えず、ゆったりとした気分になれる。
「先輩。勉強大変?」
「大変とは思わないよ」
「先輩はどうしてそんなに頑張れるの?」
一度聞いてみたかった。
小児科医になりたいという目標があるにしても、どうして省吾はそんなにがむしゃらに頑張れるのだろう。
「そうだね。もちろん一人でも多くの子供の命を助けたいっていうのがあるからだけど……それは表向きな言葉で、本当は自分に自信をつけたいからかな」
「自信?」
「うん。僕は何も取り柄がないから、医者になることで自分に自信が持てるんじゃないかなって思うんだ」
そう言って省吾は恥ずかしそうに笑った。
「取り柄がないって……省吾先輩は取り柄だらけだと思うよ!」
「だらけって」
「優しいとこもそうだし、こうやって心配して来てくれるでしょ。それに真っ直ぐで純粋だし、それに……先輩はイケメンだし!」
結菜は興奮して言い放つと、省吾はブッと噴出した。
「先輩……?」
「ご、ごめん。結菜ちゃんに僕はそんな風にみえてんだって思ったら可笑しくって。僕はそんなに優しくもないし、純粋でもない。それに、もてないし」
「はは。そんなご謙遜を」
「本当だよ。自分が一番よく分かってる。だから、日々勉強」
優しそうな省吾の笑顔で癒される人はたくさんいるはず。
一番分かっていないのは自分なのに、そこがまた省吾の良いところなのだろう。
「結菜ちゃん。バイトは見付かった?」
「それがまだ……なかなか良いとこなくって。今日も探しに行ったんだけど全滅……」
「そっか。近くでどこかないか僕も探してみるよ」
ほら。こういう面倒見のいいところもある。
「ありがと」
高校生のバイトは本当に見付からない。
学校によっては禁止しているところもあるから、店側も慎重になるのだろう。
食事も済ませ、会計をしに行くとお店の奥さんがレジを打ちながら話しかけてきた。
「何度かいらしたことあるわよね。確か『OMURASU』の意味を聞いていった……」
「そうです。覚えていてくれてたんですね」
今日でここに来るのは三度目。一度目は高校生になってすぐぐらいに蓮に連れてきてもらった。あの時は駅前から公園に省吾と逃げて、そこで蓮とばったり会い、成り行きで奢ってもらうことになった。
懐かしい……
それからもう一度蓮と来た以来ここへは来ていなかった。
「バイト探してるの?」
「え?」
「ごめんなさい。話し聞こえちゃって。良かったらうちでバイトしないかなと思って」