友の存在
お腹周りのゆったりとした服を着たマユの隣に、当たり前のように純平がいる。
その後ろにはアッキーと話しながら歩く省吾。去年の誕生日にあげた紺色のマフラーと手袋を身につけてくれていた。
その二組の後ろ姿を眺めながら、結菜は綾と並んで歩いていた。
その日は少しだけ身体が怠かった。
慣れない一人暮らしで疲れているのか、それとも風邪でも引いただろうかと言うぐらいで、あまり気になるほどではない。
「結菜。ちょっと背伸びた?」
「え?そ、そうかな」
こうやって綾と歩くのも久しぶりだった。
モデルの仕事を始め、今やテレビでもよく観る綾は、一段と綺麗になった。すれ違う人の中には気づいている人もいるのだろう。それでなくても綾は目立つ。チラチラと綾に目をやる視線を鬱陶しいほどに感じていた。
「結菜はどうして蓮と別れたんだ?」
「うっ……」
あの好奇心旺盛なマユですら気を遣ってかしなかった質問。
「嫌いになったからか?それとも結菜フラれた?」
「…………ううっ」
綺麗な顔できついことをさらりと言う。
「それ。私も聞きたい」
アッキーたちの前を歩いていたマユが後ろを振り返ると瞳をらんらんとさせた。
「面白がるなよ」
さすがは純平。マユのことをよく分かっている。
「二人のことだから、そっとしといてあげれば?」
前を歩く省吾がそう言った。
いいぞ。塚原兄弟。
「二人の別れに私たちが関係してるかもしれなくても、省吾さんは放っておけるの?」
「どういう意味?」
「だから、また誰かに『雨宮蓮と別れなければ友達がどうなってもいいのか』って脅されてたりしてないかってこと」
「結菜ちゃん。そんなことがあったの?」
今度は心配そうな省吾の顔が振り返った。
ああ……
どうしてこんな話しになるんだろ。
「そんなことないから安心して」
嘘をつくことしか出来ないなんて、友達として失格だ……
それでも結菜は笑って見せた。
「ユイ。もしそうなら今すぐ雨宮蓮のとこに連れてくからね。考えてみて。もし、私がユイの為にこの子と純平を諦めるって言ったら、あんたは私を許せるの?」
腰に手を当てて仁王立ちをしている妊婦のマユに凄まれると、ちょっと迫力がある。
「そ、そんなの許せるはずないよ……」
「でしょ~!同じ事よ!もしそうなら考え直して、今すぐに雨宮蓮のとこに行ってよね!!」
「…………」
嘘をつき続けるのは難しい。
真っ正面から向かって来られたら、きっと正直者が勝つことに決まっている。
「蓮のことまだ好きなんだろ?」
口を閉ざして話しを聞いていた綾も思わず口に出す。
「……もう終わったことだから」
嘘つきは、そんな言い訳しか浮かばない。
着物で初詣に向かうカップル。手を繋いだ小さな子供連れの夫婦。
横切る人達がみんな幸せそうに見えて、胸の中がもやもやする。
自分は蓮と一緒にいてはいけない。
二人でいたら、蓮だってあんな笑顔で笑えなくなる……
「もういいじゃない。結菜ちゃんがいいって言ってるんだから、この話はもう終わりっ」
行こ。と省吾は結菜の手を引いて、尋問の輪の中から救ってくれた。
「先輩……ありがと」
「ん?何」
「ううん。何でもない」
笑った省吾の顔は、出会った頃と変わっていない。笑ってくれる人が傍にいるだけで安心した。
お参りを済ませ、みんなでおみくじを引く。
マユや綾はもう何事もなかったかのように、自分が引いたおみくじで騒いでいた。
結菜も受け取った紙を開くとそこには『大吉』と書いてある。
「おおっ。ユイ。大吉」
アッキーが覗き込んできた。
「待ち人……早く来る。だって」
『思う事が思うがままになしとげて
思う事なき家の内かな』
これってどういう意味だろ。
「なんか結菜ちゃんの良いことばかり書いてあるね」
今度は省吾が傍にいた。
「『目上の人の思いがけない引き立てで、心のままに調のい、家内仲良く暮らせます』だって」
そして下に目線を移した。
恋愛……
『誠意をつくして接せよ』か……
「そっか。結菜ちゃん大吉かいいな~僕は小吉」
「ホントだ。でも、これから良くなっていくって言うじゃない?大吉だと、これから下がる一方……」
そう考えると大吉ってあまり良くないのか?
「お互い、いいように考えないとね」
「そ、そうだよね」
省吾と顔を見合わせて笑った。
「結菜ちゃん顔色悪い?」
それは初詣からの帰り道。並んで歩いていた省吾からの指摘だった。
「菜穂さんのおせち、食べ過ぎちゃったかな?」
身体が怠くて気分も悪い。
「風邪?熱はある?」
省吾は躊躇いもなく、すっと手を結菜のおでこに乗せた。
「だ、大丈夫だよ。熱はないと思う」
「そう?顔が赤いから、家に帰ったらすぐに熱を計った方がいいよ」
たぶん顔が赤いのは目の前に居る人の行動でと思われる。
そんなことは言えるはずもなく、結菜は「うん」とだけ返事をした。
省吾は医者のたまご。だから、こんなことなんともないのに……
意識している方がどうにかしている。
きっと今の自分は優しさに飢えている。
蓮と別れて、思った以上の打撃を受けていた……
ああ……
情けないな。
「そう言えば、ユイ最近家にいないこと多いよね」
この前も家に寄ったんだよ。とマユが眉間にシワを寄せた。
「あ……」
一人暮らしのことを伝えるのをすっかり忘れていた。
本当なら言わないつもりだったのに、そんなことをしたものなら、またマユに何を勘ぐられるかわからない。
「何?もしかして、もういい人がいるんじゃないでしょうね!?その人と逢ってるとか」
「そうなの!?」
マユの冗談に省吾が目を大きくして結菜に言った。
「そんなことあるわけないよ。もう先輩もマユの言ったことにいちいち反応してたらこれから身が持たないよ」
考えてみれば、省吾はマユの義理の兄。これからずっと義理の兄妹として付き合っていくわけで……
大変だなこれは。
「じゃ。どうしていないのよ」
「それは……」
仕方なく、一人暮らしを始めたことをみんなに話した。
「えええっ。早く言ってくれれば、この前純平とケンカしたとき結菜の部屋に行ったのに」
「それが嫌だから、結菜言いたくなかったんだろ?」
綾のナイスなフォロー。
「なによ。そうなの?ユイ!」
「ん……そうかも」
「ええーーーっ」
綾と結菜の反撃に、マユは撃沈。省吾も純平もアッキーもブッと吹き出していた。
いつもマユにやられっぱなしだから、これぐらいは何ともない。
でも、やっぱりマユは転んでもタダでは起きなかった。
「そのユイの一人暮らししてるとこに、これからみんなで押しかけるってのは、どう?省吾さん」
どうしてか、マユは省吾にお伺いを立てていた。
「う、うん。でも、結菜ちゃんなんだか体調がわる」
「ユイ。省吾さんも行きたいって!」
-だから、何で省吾先輩なのよ?
「あたしも行きたい。ねえ。綾だって行ってみたいよね」
「まあな」
アッキーと綾もマユに加わる。
「じゃ。決まりだね。ユイほら。ほげっとしてないで案内しなさいよ」
こうやって、いつの間にかマユのペースに巻き込まれている。
別にいいんだけどね。
それから賑やかな団体を我が家に招待した。
「ホントにここに住んでるの?」とか「わっ床が抜けそう」とか「せまっ」とかとか。
許容範囲内だけれど、言いたい放題言って嵐は過ぎ去っていった。
その日もまだ広海の家に泊まるつもりだったから、成り行きで省吾に送ってもらっていた。
「ここって、あのオムライス屋さんに近いよね」
「うん。そうだね」
『OMURASU』のずっと先にはあの丘がある。どうせ一人で暮らすのなら、少しでもその近くに居たくてあのアパートに決めた。それに、古いけれどその分家賃も安かったから。
「今日は疲れたでしょ。熱はないみたいだけど、帰ったらゆっくり休んで」
「そうする。ありがと」
久しぶりにみんなで集まって改めて思ったことがある。
やっぱり、今のこの幸せを壊す権利は自分にはない。
だから、本当にこれで良かったと心から思える。
蓮くん。
蓮くんは今何をしてる?
何を考えてる?
時々私のことも思い出してくれてるのかな。
そして結菜は空を見上げた。
蓮くん。
今日は……
星が綺麗だよ。