もう誰にも分からない
見上げた空はどこまでも澄んでいて、ヒカルがその空へと旅立っていった。
喪服を着た結菜は火葬場の屋根をぼんやりと見ている。
あの時の事は断片的に覚えている。
自分はずっと泣き叫んでいた。握っていたヒカルの手は温かいのに、何度呼びかけても二度とその目が開くことはなかった。
遠くに聞こえていたサイレンの音が近づくと、その音に被さるように頭上に舞い降りてきたヘリコプターから助けに来たケイがロープを伝って下りて来きた。泣き叫んでいる自分はヒカルから引き離されると、ケイと紫苑がヒカルを抱きかかえて一緒にヘリに乗った。
ヘリから見下ろした倉庫が小さくなっていく。そして、その倉庫は一瞬のうちに赤い炎で包まれた。それが最後の爆発だった――――
「結菜ちゃん。ここにいたの……」
広海が泣き腫らした顔で結菜の肩を抱くと、同じように空を見た。
ヒカルの人生は自分のせいで散々だったのではないだろうか。
我が儘で頑固な妹が傍にいて、ヒカルはいつもいつも振り回されていた。
ヒカルには夢があった。ハリウッドに行って役者として成功すること。その為に頑張っていたのを知っている。それなのに夢もこれからの人生も奪ったのはこの私……
「ヒロ」
菜穂が広海を捜しにやってきた。
昨夜も今日も散々泣いたのだろう。目は赤く化粧もしていない。いつも凛としている菜穂がやつれたように感じた。
それもみんな自分のせい……
「ごめんなさい……」
思わず二人に向かってそう言っていた。
ヒカルが二人の子供だと分かったのもつい最近のこと。この親子はこれからこれまでの時間を埋めていく矢先だったに違いない。
そう思うと胸が締め付けられる。
「あら。どうして謝るの?ヒカルちゃん、いい顔してたわよ。あなたを守れて満足したって顔してた」
無理に明るく言う広海の声が頭の上から聞こえる。
「ねえ。ちょっと二人で話しをしない?」
優しく微笑む菜穂の顔。
どうしてこの人達はこんな顔ができるのだろう。最愛の息子を亡くし、その原因を作った自分がいる。それなのにどうしてこんな優しい顔で話しかけてくれるのだろう。
結菜は菜穂の申し出に従うしかなかった。
二人になればきっと責められるだろう。責められても自分は菜穂を恨むことはない。責められて当然なのだから。
二人は建物の中にある誰も居ない控え室の長椅子に座った。
「ヒカルと最後に話したのがね。あなたのことなの」
「え……?」
菜穂は買ったコーヒーの缶を結菜に渡した。
その缶は温かい。
「あの子ったらあなたのことが好きだって母親の私に言うのよ」
おかしいでしょ?と菜穂はクスリと笑った。
「ヒカルには本当に良くしてもらいました。ヒカルは私が妹じゃないって初めから分かってたのに、こんなどうしようもない妹の面倒をみてくれた」
「結菜ちゃんだって知ってたでしょ?知っててヒカルに甘えてた……違う?」
「いいえ。そうです。甘えすぎてこんなことになってしまったのは事実です」
すみません。と結菜は小さく言い頭を下げた。
「私はあなたを責めてるんじゃないのよ。ヒカルはね。幸せだったんだなって……そう思って」
-幸せ?
俯いていた結菜は、菜穂の手の甲に涙が落ちるのを黙って見ていた。
「あの子は幸せだった。あなたが傍にいて幸せだって……そう言ったの。上条家に預けてくれてありがとうって……ヒカルにね。そう言われちゃった」
菜穂は泣きながら笑った。
そんな話しを聞いても自分の心の中は晴れないだろう。ヒカルが幸せだったかなんてきっと誰にも分からない。たとえ幸せだったとしてもこれからの人生を奪ってしまった自分には何も語れない。
ヒカルが最後に言った言葉を思い出す。
――――結菜。愛してる。
どんな気持ちでそう言ったのか聞きたくても、もう問いかける相手はいない。
もうどこにもヒカルはいないのだから……
***
階段をあがると自分の部屋に行くまでにヒカルの部屋がある。結菜はドアを開け部屋へと足を踏み入れた。
床にはヒカルが乱雑に脱いで丸まったままになった靴下が転がっている。机の上には参考書やノートが開きっぱなしになっていた。
いつもならそこのベッドで「あ?何?」と不機嫌そうに睨んでくる寝そべったヒカルがいた。
結菜はベッドに座るとそのまま寝転び顔を布団に押しつけた。
ヒカルの臭いがする……
眼を閉じるとそこにはヒカルがいるような錯覚がした。
「結菜ちゃ~ん」
その幻想を壊すように、相変わらずな広海の大声が階段の下から聞こえた。
「ねえ。最近蓮くんも忙しくって、結菜ちゃん寂しいでしょ?」
「そんなことないよ。子供じゃないんだから」
ヒカルを見送ってから暫く蓮は傍にいてくれた。でも蓮の父親が残した雨宮グループが大変なことになっているのは知っていた。だから蓮には「大丈夫だから」と突っぱねて進藤の元へと行かせた。
蓮とはもう一週間近く会っていない。
「蓮くんと連絡は取ってるの?」
椅子に座った広海は結菜が用意した夕食を口に運んだ。
「ううん」
結菜は頭を横に振る。
「そう……」
広海はそれ以上何も言わず静かに箸を動かした。
平日の夕方。
「ユイ。また来ちゃった」
そう言って制服姿のマユは遠慮無しに部屋へと入ってくる。マユの後からはいつものようにアッキーと純平が続けて入る。そして今日は純平の後に綾と省吾がいた。
「ユイの部屋だと狭いわね」
リビングに行かない?と、まるで自分の家のようにマユが率先して階段を下りていく。少し目立ってきたお腹を気にすることなく歩くものだから、純平が慌ててマユの後を追いかけていた。
「純平はマユの尻に敷かれるのは確実だな」
綾がそう言い省吾はフッと笑った。
ずっと学園を休んでいるのを気にしてか、こうやって時々尋ねてきてくれる。何を話すわけでもなく、ただこうやって顔を合わせてみんなが笑う顔を眺めている。
「蓮は?」
「今は自分の家に帰ってるよ」
「そっか。あいつんとこ大変そうだもんな」
純平がそう言うと、マユは「ちょっと!」と純平の脇腹を肘で突いた。
「別にいいよ」
みんなに気を遣われてると思うと居心地が悪くなる。そうでなくてもこれまでに散々と迷惑をかけてしまったのだから……
でも。やっぱり元気に笑っているみんなの顔を見ると嬉しい気持ちになる。
あの事件の当初は凄い数の報道陣が押し寄せてきた。今もまだ家の周りをウロウロとしているマスコミもいる。警察にも何度も呼ばれ事情を聞かれた。あの時、池沢を撃った紫苑はまだ警察署から帰ってきていない。今どうしているのかも分からなかった。