ヒカル
爆風で崩れた天井から、空に昇った太陽の光線が倉庫の中に優しく降り注いでいた。それに反射するように白い煙が上がるのが見えた。辺りには焦げ臭い臭いが充満している。
ヒカルは池沢に撃たれた腹に手を当てた。真っ赤な血が手のひらにべたりと付いている。後ろには結菜がいる。今、自分が倒れてしまえば、池沢は間違いなく今度こそ結菜を撃つだろう……
そんなことはさせない。
ヒカルは意識が朦朧とする中、両手を広げて結菜の盾になった。
「ヒカル……お前……」
池沢はもう一度撃とうと銃を構えた。そして銃声が響くと自分ではなく池沢が倒れた。
池沢を撃った紫苑と目が合う。倒れた池沢は目を見開いたままでもう動くことはなかった。それを確認してからすうっと意識が薄れていった。
「……ル!ヒカル!!嘘でしょ……ねえ。お願いだから目を開けて!!」
結菜の泣きじゃくる声で意識がうっすらと戻ってきた。
「ゆ……い…な」
「ヒカル!!」
もうすぐ池沢の仕掛けた爆弾が爆発する。
「はやく……にげ……ろ」
「やだよ!ヒカルと一緒に行く!」
朦朧とする意識の中、自分を心配して泣いている結菜の顔に手を伸ばした。その手は結菜の温かい手に包まれた。
出会った時にはあんなに小さかった結菜……
――「おじいちゃま!ヒカルを泣かせたら、ゆいながゆるさないからっ!」
その紅葉のような小さな手を広げて自分を守ろうとしてくれた。
お転婆で甘えん坊でそして気が強い。そのくせ泣き虫で……あの頃の結菜のことなら何でも知っている。いつも一緒にいたあの頃。何度同じ布団で眠り、何度新しい朝を迎えただろう。
どうしてかな……
昔のことばかり思い出す。
「蓮……いるか?」
「ああ」
「結菜を連れて……ここから出ろ。俺の……ことは…置いていけ」
「そんなこと出来るわけないでしょ!」
そうだな。結菜がそんなこと出来るわけがない。それを分かっているから蓮に頼んでいる。あいつはそうしてくれるはずだ。なぜなら結菜のことを誰よりも大切に想っているから。自分と同じように結菜の笑顔が大好きだから……
「行くぞ。上条」
「いや!!行くなら蓮くんだけで行って。お願いだから……お願い」
腕を掴んで無理矢理立たせようとする蓮の手を結菜は振りほどいた。
「ゆ……い…な」
「ヒカル。大丈夫だよ。きっとみんな無事にここから出られるから」
こう言い出したら誰の言うことも聞かない。結菜は頑固だ……それも知っている。
「聞いて…くれ。結菜……俺は……俺は」
言葉が出ない。それだけ意識が混濁している。呼吸をするのも辛くなってきた。
もう時間がない――――
「蓮……たの……む」
「いや――――っ!私はここにいる!ヒカル!!」
まるで小さな駄々っ子ように結菜は泣いた。
自分が居なくなってもきっと時間は同じように過ぎていくだろう。
結菜には蓮がいる。これから先もきっと笑顔でいられる……
悲しいのは今だけだから。
「泣くな……結菜……俺はいつでも傍に……いるから。だから……だから結菜は……笑え。悲しかったり辛かったり……そしたら……空をみて…わら……え。俺はそこに……い……るか…ら……」
「ヒカル?」
やり残したことは沢山ある。こんなことならあれもしておけばよかった。我慢しないでこれもしておけばよかった……後悔しない生き方なんかあるのだろうか。時間が足りない。結菜に伝えたいことは山ほどあるのに。こんな時、うまく言葉に出すことができない。
ただ、最後にどうしても伝えたかったこと。
それは――――
「結菜……あい…し……てる……」
ずっとずっとこれから先もずっと……
愛してる―――――
結菜が包んでいたヒカルの手の力が抜け、ヒカルはゆっくりと眼を閉じた。
出会った頃の、小さな結菜が笑顔で俺を呼んでいる。
「ヒカルっ」
「ゆいな。ヒカルじゃないよ。お兄ちゃんでしょ?幼稚園のみんなはお兄ちゃんのことを名前で呼ばないんだよ」
小さな俺が怒ったようにそう言った。
結菜が「ヒカル」って呼ぶ度にいつも友達にからかわれていたんだ。
だから「お兄ちゃん」ってそう呼んで欲しかった。
「いいもん。ゆいなは、よーちえん行ってないもん。だから、ヒカルのことはヒカルって呼ぶんだもん」
幼い結菜はほっぺを膨らませ、今にも泣きそうな顔になっていく。
ああ。また始まった。
俺はそう思いながらも結菜の頭を撫でて宥めた。
結菜の涙には弱い。
俺は小さく溜息を付いて、それからこう言った。
「いいよ。ヒカルって呼んでも。ゆいなは特別だから」
本当はそう呼ぶ結菜の声が心地良かった。
「『とくべつ』ってなに?」
そう結菜に聞かれて俺は言葉に詰まった。
特別ってどう説明すればいいんだろう……
答えを待っている結菜のワクワクした顔が俺の顔を覗き込んでいる。
だから俺は笑顔でこう答えた。
「『とくべつ』は、大好きってことだよ」
そしたら結菜も笑顔で言ったんだ。
「だいすき?ゆいなも、ヒカル、だいすきだよ」
――――大好きだよ。