立ちはだかる難関
あんなに会いたかった蓮とヒカルがいる。
現れた二人の姿に、この場所までの困難さが思い浮かんだ。
「上条っ――――」
蓮の声が聞こえると池沢は蓮に銃口を向けた。
-やめて!!
結菜は目を固く閉じて池沢が蓮を撃たないように心の中で念じた。
すぐにその銃口は自分に向けられたけれど怖くはない。蓮が撃たれるかもしれないという恐怖より全然いい。
「やめろ!お前の望みはなんだ!?」
蓮の後ろから冷静なヒカルの声が聞こえた。
「望み?そうだな……お前と雨宮とそれから……こいつを殺ることかな」
池沢は銃口を結菜の顳にあてた。
それには蓮が反応した。
「ふざけんな!上条は関係ないだろ!!俺らのことを恨んでるなら俺とヒカルだけで充分だ。上条を離せ」
「嫌だね」
池沢は紫苑に合図して結菜を連れて移動させた。
紫苑と倉庫の端にあった階段を上る。古びている錆びた鉄の階段を一歩一歩紫苑に支えられながら上った。
不安な表情で紫苑を見ると「大丈夫」と励ましてくれる。きっと紫苑も自分と同じようにどうしたらいいのか考えているのだろう。
重い身体をほとんど紫苑に預けるように階段を上りきると、そこから三人を見下ろすことが出来た。
そして。同じ位置の違う場所で銃を持ち、こちらを狙っている池沢の仲間がいた。
「分かるよね。君たちが変な動きをすれば、上条結菜はすぐに撃たれる」
「お前はいったい何がしたい。俺たちに恨みがあるんだろ?こんな回りくどいことしやがって……」
冷静だと思っていたヒカルの声が震えている。
「言ったよね?復讐だって」
池沢の憎らしい笑い声が響いた。
そして池沢の顔からふっと笑みが消えると、今度はジャケットのポケットからナイフを取り出し、そのナイフを蓮とヒカルの方へ放った。
いったい池沢は何を考えているのだろう。そのナイフ対ピストルで喧嘩を始めようとしているのだろうか……
「何のつもりだ?」
「雨宮。そのナイフを拾えよ。それで……ヒカルを殺れ」
-なっ――――そ、そんな……
「…………」
「殺らないの?じゃ、代わりに上条結菜を殺っちゃうよ?」
池沢はさっき結菜達が上った階段をあがってくると、これ見よがしに拳銃を結菜に向けた。
これが池沢の計画……!?
そんなこと蓮が選べるわけがない。
結菜を殺すと池沢に言われ、蓮は床に投げられたナイフを拾った。
「ダメ!!ダメだよ!蓮くん!!」
そう叫んでも、粘着テープが邪魔をして思いはそこまで届かない。
ナイフを握った蓮はその刃先をヒカルに向けた。
「蓮……ヤルなら一発でやれ。痛いのは一瞬で……な」
「分かった」
蓮がヒカルに向かって歩き、抱き合うように密着した。
-嘘……でしょ?
ずるりとヒカルの足が崩れると、苦しそうにお腹を押さえて倒れていった。
そこには血の海が広がっていく―――
暫く立ちつくしていた蓮が振り返った。
「これでいいか!お前はこれで満足なんだろ!?早く上条を離せよ!」
今、自分の見た出来事が信じられず、結菜は呆然としていた。
「あ~あ。君の婚約者がお兄さんを殺しちゃったね。これで君たちの結婚もナシ……ホント幸せなんてあっけないもんだね」
結菜の口を塞いでいたテープを池沢がいっきに剥がした。
「やだ……どうして。ヒカル……ヒカルっ!!!!」
紫苑が掴んでいた腕を振りほどくと、結菜は二階の手すりから身を乗り出すようにヒカルの名を呼んだ。
下にいる倒れたヒカルはぴくりとも動かない。
結菜は泣きじゃくりながら階段に向かった。しかし、すぐに池沢に遮られた。
「おっと。下へは行かせないよ」
池沢が涙で顔に張り付いた結菜の髪を指で避けた。
「なんで?ヒカルは死ななきゃいけないほどあなたに酷いことしたの?」
「さあ……どうだったかな。もうそんなことどうだっていいんだよ。僕の望みは君たちを不幸にすることだから」
「もうこれで充分でしょ。もう……もう」
結菜はその場で泣き崩れた。
「紫苑。雨宮を拘束してここに連れてこい」
これ以上何をしようというのだろう……
蓮にヒカルを殺させ、そして今度はどうしようというのだろうか。
「上条……」
紫苑に連れられてきた蓮は、泣き崩れている結菜の前を通り過ぎていった。
蓮だって心を痛めている。でも、蓮の気持ちまで察して言葉をかける余裕なんて今の自分にはなかった。
そんな二人に池沢は容赦なく難関を突きつける。
「今のところ生き残った二人には、これからの人生を選ばせてあげよう。まず一つはこのままここから出て、後悔と悲しみに暮れながら生きていくのか。それともここで死を選ぶのか……僕のお薦めは死を選ぶことだけどね。人を殺しちゃって幸せにはなれないでしょ?それも婚約者の兄を。ねえ、雨宮くん。上条さんも何の躊躇もなくお兄さんを殺しちゃたこの人と一緒にはいられないでしょ?」
どこか楽しそうに池沢はそう話した。
-こんなやつ……
「死を選ぶんだったら、一気に死ねるよう僕が手伝ってあげるよ」
答えはすぐに決まった―――
結菜は後ろで縛られた手を床についてよろつきながら立ち上がると、池沢を睨んだ。
「私はあなたを絶対に許さない……」
絶対に―――
手が使えなくたって足がある。結菜は池沢に向かって走るとそのまま体当たりした。
池沢をここから突き落とすつもりだったが、勢いが足りない。
「大変です!上条ヒカルが居ません!」
結菜が池沢を突き飛ばしたその時、男の一人がそう叫んだ。
それが合図のように、形成が変わった。
拘束されていたはずの蓮がロープを剥ぎ取ると、結菜によって倒れた池沢に掴みかかる。
離れたところでパン―――と銃声がすると、刺されて倒れたはずのヒカルが向こう側で拳銃を構えていた男と抗争していた。
「ヒカル……?」
「ユイちゃん。こっち」
何が何か分からないまま、紫苑によって安全な所へ誘導され邪魔だったロープが解かれた。
「どういうこと?」
「やだな。蓮くんがひーちゃんを殺すわけないでしょ。忘れたの?ひーちゃんは役者だよ?」
「お芝居だったってこと……?でも。だって血……そう。血が出てたじゃない!」
「あれは血のりが入った袋を仕込んでたんだよ。ほら。撮影でもよく使うでしょ?それには僕も驚いたけどね」
ヒカルが生きている。
池沢に命令され、紫苑が蓮の傍に行ったあの短い時間で自分は味方だと言い、それからの計画を伝えたのだと言う。池沢は蓮がヒカルのことを本当に殺したのだと思い、安心しきっていたのだろう。だから紫苑を蓮のところに行かせた。その一瞬の気の緩みが自分の首を絞めることになったのだ。
男を倒してピストルを掲げて笑っているヒカルが目に映る。
「は……なんだ。そっか。よ、良かった」
安心したら体中の力が抜けた。
「安心するのはまだ早いよ。池沢はここに爆弾を仕掛けてるんだ。早くここから出ないと」
「爆弾!?」
本当に次から次へと色んな事が巻き起こる。
蓮は自分が縛られていたロープで池沢を拘束すると結菜の方にやってきた。
「上条。大丈夫か……手、見せて」
涙で濡れた頬を温かい手で包まれ、優しい目をした蓮と視線が合わさる。
「蓮くん……ううっ―――」
色んな事を言いたかったけれど蓮の顔を見ると涙が溢れてきて言葉にならない。「私は大丈夫だよ」という一言すら言えなかった。
「ホント無事で良かった」
心配そうに結菜の腫れた手の指を確認した蓮は、嗚咽を漏らしながら泣いている結菜を胸に引き寄せ抱きしめた。
離れていたのはほんの十数時間のはずなのに、もう随分この温もりに触れていないような気がする。
「お取り込み中のとこ悪いけど、早くここからでないと、みんな粉々になっちゃうよ」
そうだった。池沢はこの倉庫に爆弾が仕掛けられていると言っていた。
「紫苑。爆弾ってどれくらいの威力だ?」
「さあ。僕には分からない。池沢が仕込んだものだから……でも、一刻も早く逃げた方がいい」
別の場所にいたヒカルも結菜達がいる所に合流すると無事だったことを喜ぶ暇もなく、今度は脱出するための話しに切り替わる。
ヒカルは縛られて身動きが取れなくなった池沢を見下ろすと顔に蹴りを入れた。そして蹴り飛ばした池沢に馬乗りになると胸倉を掴んだ。
「こいつだけはぜってー許さねぇ!」
それは蓮も結菜も同じ気持ちだった。
「ひーちゃん。そんなことしてる暇ないよ」
「喋らないとは言わせない。爆弾はいつ爆発する?」
「……そんなこと聞いたところでもうどうにもならない。みんなここからは出られない」
「どういうことだ!?」
血が滲んでいる口許を上げて池沢が笑った気がした。
「ここには出入り口は一つしかない。その出口を僕の仲間が外から塞いでいるからね。他の窓は高くてそこからは到底出られない。みんなここで死ぬしかないんだよ」
「てめぇ―――」
池沢に馬乗りになっているヒカルが拳を振り上げると、後ろから蓮がその拳を掴んだ。
「ヒカル。そいつを降伏させるのは後回しだ。ここから出るぞ」
蓮の肩越しから泣いている結菜と目が合うと、ヒカルは乗っていた池沢の身体からやっと離れた。
その時、突然大きな爆発音が倉庫の中いっぱいに鳴り響き、地面が揺れた。大きな地震のように立っていられないほどの揺れ。
そして上からはコンクリートの欠片が降ってきた。