敵か味方か
結菜の苦痛の表情に満足したのか池沢はまたどこかに消えていった。
「ユイちゃん大丈夫?」
紫苑に池沢に折られた手を触られると、また痛みが増した。人さし指は見る見るうちに赤くなり、隣の指と比べると倍ほど腫れ上がっていた。
「なんとか……」
まだ意識はある。あれほど殴る蹴るの暴力を虐げられ、指も折られたけれど、かろうじて心まではまだ折れてはいなかった。
心配そうに隣に居る紫苑に少しだけ希望を持っている。自分に義郎のことや池沢のことを話してくれる紫苑が本当に変わってくれるんじゃないのかと期待していた。
「ここまでやるなんて思わなかったから……ごめんね。ユイちゃん」
「ううん。紫苑……こっちこそゴメンね」
きっと紫苑が受けた心の傷より自分の身体の傷はたいしたことではないのだろう。
「こんな時に、どうしてユイちゃんが謝るのさ。もう……なんだよ」
紫苑は俯くと、伸びた前髪が顔を隠した。それでも重力に逆らえず流れてきた涙が頬を伝わっていた。
「私のお爺さまが紫苑をここまで傷つけたことは事実だから。それはどうやったって変わらない。だから……」
「違うんだ」
「え……?」
涙を拭うこともせず、紫苑は顔を上げると結菜と目を合わせた。紫苑の目の涙腺からどんどん涙が溢れてくるのが見える。
「本当に謝らないといけないのは僕の方なんだ。ユイちゃんに酷いことをしたのは僕の父親……なのに僕までユイちゃんにこんなことして」
「どういうこと?紫苑のお父さんが私に酷いことって……」
自分は紫苑の父親を知らない。会ったこともない人に酷いことをされたと言われても意味が分からない。
「3歳のユイちゃんを誘拐したのは僕の父さんなんだ」
「そんな……うそでしょ……」
「ホントだよ。もちろん最初は信じられなかった。でも……それは事実だったんだ。僕の父さんが君を誘拐するように仕組んだのに、自分が追い込まれるとユイちゃんのおじいさんに助けを求めたなんて……お笑いだよ。僕の父さんの死は自業自得だったんだ。ユイちゃんには自分のおじいさんが僕の父さんを死に追いやったと思わせたまま消えてもらうつもりでいた……」
紫苑はもう一度小さく「ごめんね」と呟くと結菜の手を握った。
「紫苑……」
悲しんでいる紫苑に自分は何もしてあげられない。
「こんなことしたってどうしようもないって分かってる。でも、最後に自分を引き取ってくれた志摩子さんに何か恩返しがしたかったんだ」
「うん……」
「バカなのは僕の方だ。そんなどうしようもない父親の為に復讐しようとしてたなんて」
紫苑の目は嘘をついていないと確信できる。本当は心の優しい子なのに過去にあった心の傷でほんの少しだけ歪んでしまっただけ。
「ユイちゃん。ここから逃げよう。池沢はここにひーちゃんと蓮くんをおびき出すつもりだよ。それで……」
「やっぱり裏切ったか」
振り返ると池沢が拳銃を持って立っていた。
「違うの。紫苑は裏切ってなんて」
「もういいんだ。ユイちゃん」
「紫苑……」
紫苑は腕を擦って涙を拭い池沢を睨んだ。
「まあいいさ。紫苑がその気なら無理矢理言うことを聞かせるまでだ」
池沢は紫苑に銃口を向けた。
「紫苑を撃つの……!?」
「さあ。それは紫苑次第だな」
止めさせようにも身体を動かすと至るところから悲鳴があがる。起きあがっているのもやっとだった。
暫く紫苑と池沢のにらみ合いが続いた。
「池沢さん。もうすぐ到着します」
「ああ分かった」
池沢が連れてきた男の一人が報告のために現れた。一瞬池沢の集中が途切れた時を紫苑は見逃さなかった。
紫苑は池沢に掴みかかると一番に銃を奪おうと掴んだ。池沢も奪われまいと抵抗している。しかし決着はあっという間についた。
戦うことに慣れている紫苑の方が断然有利で、池沢は紫苑によってあっけなく床に沈められた。
「これはユイちゃんの分!」
紫苑はそう言い倒れている池沢の腹に思い切り蹴りを入れた。その後池沢は吐きそうなほどに咳き込んだ。
そして池沢の胸倉を掴んで起こすと、今度は顔を殴ろうと振りかぶった。
「やめて!もういいから……早くここからでよ」
もういい。
復讐の連鎖ほど無意味で虚しいものはない……
それよりも、今すぐにでも自分の無事な姿を蓮やヒカルに見せたかった。
紫苑が腕を掴んで立たせてくれる。支えられるとなんとか歩けそうだった。
一歩踏み出したその時――――
パ―――ンと胸に響く乾いた音が聞こえた。
倉庫の中を見回すと、池沢の子分の男が天井に向けた銃口から煙が出ている。
「そこ……から、動くなよ」
倒したはずの池沢がゆっくりと起きあがり紫苑に蹴られた腹を押さえながら立ち上がった。
「上条結菜。お前は甘いんだよ。やるならとことんやらなくちゃ」
「…………」
先程の取っ組み合いで転がっていた拳銃を拾うと池沢はニヤリと笑った。
「ほうらね。詰めが甘いでしょ?そんなんじゃここから逃げられないよ?」
完全にバカにしたように笑っている。
「撃つなら僕を撃てよ。それでもうお終いにしよう」
紫苑は庇うように拳銃を向けている二人から結菜の身を隠した。
「それがいい。そうしよう……って言うと思うか?これから面白いもんが見れるってのに」
「くそ―――」
「紫苑には計画通りに動いてもらうよ。じゃないと上条結菜を撃っちゃうからね。僕が狙ってなくても、あいつがいつも見張ってるから」
それが合図のようにもう一人の男がカチャリという冷たい音をさせ、いつでも撃てるよう準備した。
「こんなことして……あなただって後で困るんじゃない?」
きっと蓮とヒカルが助けに来てくれる。ここには味方をしてくれる紫苑だっている。人数だけ揃えただけの池沢には負けない――――
絶対に負けない。
「黙れ。お前がおかしな動きをすれば容赦なく紫苑を撃つ」
「そんな……」
「まあいずれにしてもみんなここで死ぬんだよ。死ななくても死んだように生きるか……」
-死んだように生きる?
「どういう意味?」
池沢は結菜の質問を嘲笑った。
「すぐに分かるさ。もうすぐここにヒカルと雨宮が来る。無事にここまで辿り着いたら、僕は二人に『絶望』というプレゼントをあげるよ」
「お前は……」
紫苑はこれから何が起こるのか分かっているように、悔しさで歯を食い縛った。
ヒカルと蓮がこいつらに負けるわけはない。
でも……
相手はピストルを持っている。もしもみんなに何かあったら……
結菜の胸に不安がよぎった。
また違う男が現れると、ヒカルと蓮が到着したことを知らせた。
「やっと来たか」
それからすぐに遠くで男達が騒いでいる声が聞こえてきた。
「蓮くん……ヒカル」
二人はここへ来ない方がいいのかもしれない。池沢が何を考えているのか分からないけれど、危険なことに違いない。
「来ちゃダメ――――っ!!!!」
結菜は根限り大きな声で叫んだ。
「大声出したって聞こえないよ。でも、黙っててほしいね」
池沢はそう言うと結菜の前にいる紫苑を押しのけ、粘着テープで結菜の口を塞いだ。
「紫苑。分かってるよな」
「…………」
「言う通りにしないとホントにやっちゃうよ?」
「……分かったよ。その代わり、もうユイちゃんに酷いことしないで」
「そんなこと約束できるかよ。こいつが無事でいるかどうかはお前次第だって言ったよな」
「…………」
「分かったらさっさと動けよ」
軍配は池沢にあがった。
紫苑は結菜の後ろに回ると、逃げないように結菜の両手を後ろで掴む。
-紫苑……
分かっている。こんなことをしているのは池沢に命令されたから。
でも。今、蓮とヒカルがここへ来たらきっとこう思うだろう。
『紫苑は敵』――――
自分は口を塞がれて何も話すことが出来ない。紫苑を敵だと思っている二人は攻撃をしてくる。ヒカルと蓮に知らせたくても、そんなことをする前に紫苑が池沢に撃たれでもしたら……
どうすればいいのだろう……
どうしたらみんなが無事でここから出ることが出来るのだろう。
答えが出せないままその時はやって来た。