殺意が芽生える瞬間
バイク便の男から受け取ったディスクと結菜がいつも身につけていた指輪を握ったまま玄関先で暫く呆然としていた。それは蓮も同じで、ついさっきまで居なくなった結菜が帰ってくると心の中では期待していたのに……
「考えたところで無意味だな。とにかく何か手がかりを見付けないと」
蓮の部屋に戻り、送られてきたディスクをパソコンに挿入した。
パソコンの画面に教室のような景色が映し出される。どうやら廊下から教室の中を撮影したもののようだ。その教室の中に窓の外を眺めている女子生徒の後ろ姿が映った。
「結菜……」
自分の持っている携帯電話を見た結菜の横顔は微笑んでいた。
『楽しそうだね』
スピーカーから男の声が聞こえた。
「やっぱり紫苑か」
『……紫苑』
パソコンの中にいる結菜は怯えた声で紫苑の名前を呼ぶ……
少しずつ近づいていく紫苑に後退りをする結菜。紫苑は後ろ手に何か持っていて結菜にそれを押しつけると結菜の膝がガクッと崩れた。
「上条!!くそっ紫苑の奴」
意識がなくなった結菜を紫苑が抱えたところで映像が途切れた。
「なんなんだよ……これ」
まるでフィクション映画の1シーンのような場面。
「やっぱり紫苑が上条を……でもどうしてだ。なんでこんなもの送ってくるんだ?」
「挑戦状……か」
結菜を誘拐した。お前らに見付けられるか?―――
そうでも言いたいのだろうか。
今すぐにでも助けに行きたい。でも手がかりはなにもない。
その時玄関のドアが開く音が聞こえた。
「結菜!?」
そう言うより早く二人は部屋を飛び出していた。
「んもう。ヒカルちゃんたら仕事放り出すなんて。こんなこと二度とないようにしてもらわなくちゃ困るわ!!あら?二人で慌てて。私が帰ってくるのがそんなに待ち遠しかったのかしら?」
やっだ~と言って広海は手をヒラヒラさせながら二人の間をすり抜けてリビングに入っていった。
「広海!!」
「あら?結菜ちゃんは帰ってないの?私、今日のご飯楽しみにしてたのに」
着替えてくるわねとマイペースな広海の行く手を塞ぐとリビングに押し戻した。
「結菜が居なくなったって言ったよな!紫苑に誘拐されちまったんだ。どこにいるのかもわからないんだよ!」
事の重大さに今すぐに気づいてほしくて思わず泣きそうになった。
「それ本当なの?蓮くん」
「……はい」
これまでのことを説明し、蓮の部屋からディスクを持って来ると、リビングにあるテレビにそれを映し出した。
その映像が終わらないうちに広海は携帯電話でどこかに連絡をし始めた。何軒かの電話を済ますと広海はヒカルの肩を叩いた。
「結菜ちゃんはきっと大丈夫よ」
「どこにいるのかも分かんねんだぞ。なのに何が大丈夫だっ」
あの時とは違う。何も出来なかったガキの頃とは違うと思っていたのに、今の自分も結局は何も出来ない。結菜を守れない。そんな自分にも苛ついていた。
「ヒカル。とにかく手がかりを見付けよう」
そう言って蓮はもう一度あの映像をテレビに流した。
何度も何度も再生を繰り返し、時には巻き戻しをして映像の中の微かな手がかりを探した。
「何か分かったのか?」
何度観てもテレビの中には同じ映像が流れるだけ。
「なあ。ここ」
「それがどうした」
「ここで不自然に画面が揺れるだろ」
それは紫苑が結菜を抱えた直後の場面。確かにテレビの中の映像全体が動いている。
「たまたまデッキが動いたか。それとも……」
「紫苑以外の奴が動かした……そう言いたいのか?」
「ああ。だとしたら、紫苑には仲間がいる」
仲間……
それはいったいどこのどいつだろう。
蓮も広海と同じように電話をしていた。相手はケイと進藤。ケイはすぐに状況が分かると、仲間達と一緒に繁華街を中心に結菜の行方を捜してくれている。そして進藤は……
「蓮さん。グループの状況が分かっているのですか!?今すぐにでも蓮さんにはここにきて頂かないと……」
進藤の大声が受話器から漏れていた。そして蓮は諦めたのか途中で進藤との電話を切った。
「大丈夫なのかよ」
「今は上条のことが一番だろ」
それはそうだろう。現に自分だって仕事を放り出してここにいるのだから。今は何があっても結菜を探し出すことが先決だ。
「くそっ。進藤に頼めないのは痛いな」
蓮が顔を歪めた。
広海がプレイヤーからディスクを抜くと、机の上に置いてあった車の鍵を掴んだ。
「これ警察に持って行くわ。あと、私の知り合いにも結菜ちゃんを探して貰うよう頼んだから、あなた達はここにいなさい」
「じっとなんかしてられっかよ」
だからって何も出来ない自分が歯がゆい。
「そう思うのも分かるけどね。ヒカルちゃんも蓮くんも、あなたたちは今動かない方がいいわ。ここにこれが送られてきたってことは、次にもまた何かこの家に情報がくる可能性がある。だから、二人はここにいなさい」
広海はそう言い残し、リビングを出ていった。
結菜は今どこにいるのだろう。無事でいるのか……
時間が経過する度、不安だけが募っていく。
広海が警察署に行ってから数分後。
また玄関のチャイムが鳴った。
そして―――
またしてもバイク便の男から受け取った封筒。先程とは違う男だったけど、その男にも同じように詰め寄ったところで結局は何の進展もなかった。
「なんか嫌な予感がするのは俺だけか?」
封筒の中に入っていたさっきと同じ種類のディスクを手にそんなことを感じた。
「これが手がかりか……それとも」
蓮も自分と同じように何かを感じている様子でプレイヤーにそのディスクを入れた。
そこに映っていたのは一人の男。黒縁のメガネをかけたその男は椅子に座っている。見たところどこにでもいる大して特徴のない男だった。
「誰だ?」
「こ、こいつ……」
蓮は知っているように前に乗り出すように画面を見た。
そして男はゆっくりと喋り始めた。
『久しぶりだね。上条ヒカルに雨宮蓮……二人にとって、とても大切な上条結菜を誘拐させてもらったよ。これから僕たちの復讐が始まる――――まずは挨拶代わりに僕たちが本気だっていう証拠でもお見せしようかな』
男の異様な眼に、ゴクリと乾いた喉を唾が通りすぎていく。
男が椅子から立ち上がり部屋のような所から移動した。映像は男の後ろ姿と建物の様子を捉えていた。古びた廃材が所狭しと置かれていてそこを縫うように移動している。場所が変わると今度は機材や木材が積まれた空間に出た。
そして……
「結菜!!」
結菜の姿が映ると思わずテレビに食らいつくように前へ出る。
足と腕を縛られた結菜の前にさっきの男がしゃがむと手を顎に置き結菜の顔を上げた。
「上条……」
結菜の口許は血が滲んで腫れている。周りには何人もの男達の姿が見えた。
画面中央に見えた結菜の眼が強く男を睨むとその男によって頬をぶたれた。
「結菜っ――――」
いくらこの場で叫んだところで画面の向こう側には届かない。そんなことは分かっていても叫ばずにはいられなかった。これが何かの番組の企画で「はいドッキリでした」と、どこからかレポーターが現れてくれないだろうか。それとも夢であってほしいなんて現実から遠ざかったとしても結菜に起こった出来事はきっと変わらない。
今、テレビの中で起こっていることは普段自分が演じている作り物ではなくリアル……
男は手出しできない結菜を何度も暴力で攻撃する。それを凝視しては見ていられなかった。
そして……
ぐったりとした結菜の縄を紫苑が解き、メガネの男が近づくと動かない結菜の顔を蹴り飛ばした。
「こいつ!ぶっ殺してやる!!」
もう。充分だろ。
自分に恨みがあるのならこの俺にその恨みを向ければいい。どうして結菜なんだ。
どうして……
込み上げてくる思いで気管が狭まり息苦しくなる。ぐっと唇を噛み締めても熱いものが頬を次々と伝わってきた。
『ああああああああっ――――――』
テレビのスピーカーから聞こえた結菜の叫び声が鼓膜を貫いた。
その時、蓮とヒカルは一瞬何が起こったのか理解すら出来ずにいた。






