2度目の誘拐?
こうやって蓮と話しをするのは何度目だろう。
自分の部屋とは違い、きちんと整頓された蓮の部屋を見回すと、ヒカルは中央に配置されたローテーブルの前に腰を下ろした。
「なあ。ヒカルって最近あんまり喋らないよな」
「別にそんなことないと思うけど?」
「いや。上条が心配してた」
「へえ」
家に帰れば大抵リビングで結菜と蓮が仲良さそうにしている。だからキッチンで食事を済ませるとすぐに自室に入ることが多くなっていた。
蓮がここへ来てからは、二人を避けるように生活している。
「そりゃ嫌だよな。恋敵が同じ家で暮らしてるなんてな」
「…………」
「しつこいって言われるだろうけど、ヒカルはあいつに自分の気持ちを伝えないのか?まあ。俺が言うことじゃないけど」
「そうだな。お前に言われたくないよ」
「だよな」
お互いフッと微笑した。
「分かってるよ。蓮の言いたいことも分かってる。でも……俺はいいんだよ。これ以上結菜に悩み事を増やさせたくない。それに蓮だって今大変なんだろ?」
「会社のことは関係ない。そんなこと言ってたらいつまでも同じ事の繰り返しだ」
「だから俺はいいんだって。蓮がここに来てからは正直面白くないって思ってたよ。でも結菜のあの笑顔をみてたら……結菜が幸せならそれでいいかって思えてきたっていうか……俺は結菜が笑ってればそれでいいよ」
そう蓮に言いながらも、もう一人の自分は結菜を奪いたいと考えている。
たとえ結菜が悲しい思いをしたとしても自分だけのものにしたいとそう思っている……
あの笑顔が消えたとしても―――
「同じ環境で育ったからか?自分の事より人のことを考えるのってあいつに似てるよな。でもそれってヒカルらしくない」
「大丈夫だ。蓮が思ってるより俺。お人好しじゃないから」
結菜の笑顔を守りたいと思うのも自分。
めちゃくちゃにしてやりたいと思うのもまた自分。
いったいどっちが本当の自分なのだろうか……
結局答えなんか出せない。
そして前にも進むこともできない。
結菜に対しての気持ちはずっとこのままなんだとそう思った。
まるで、ゴールの見えない迷路のようにグルグルと同じ所を回っている。
立ち止まったままの自分―――
***
雑誌の取材を受けるため学校を早退したヒカルは控え室で着替えをしていた。その時、テーブルの上に置いてあった携帯電話のバイブの音が響いた。
『今日はヒカルの好きな煮込みハンバーグだよ。お仕事頑張ってね』
結菜からのメールだった。すぐに返信しようとしてふと手が止まる。
―――上条が心配してた
蓮の言葉を思い出すと、カメラ機能で自分を写し、それをメールに貼り付けて返信した。
結菜が今頃笑っているかと思うと嬉しくなる。
「やっぱそうだよな。笑顔が一番いいよな」
「何ですか?ヒカルさん」
「いや。独り言」
着替えを終えるとマネジャーの早見と一緒に控え室を後にした。
それから暫くしてからだ。
蓮からの電話が鳴ったのは……
聞いたこともない慌てふためいた蓮の声。
「か、上条がどこにもいない――――」
その言葉に幼かった頃の映像がフラッシュバックする。
結菜はまだ3歳だった。小さかった自分は何も出来ない。ただ待つしか出来なかった。
「ヒカル。バイバイ。ゆいな、いい子で待ってるからね」
そう言って朝、小さな手を振って幼稚園に行く自分を元気に見送ってくれた結菜……
それなのに、家に帰っても結菜の姿はなく、代わりに何十人もの大人達の姿で騒然としていた。
あれは一月の寒い日だった――――
あの時の感情が舞い戻ってくる。結菜がこのままいなくなってしまうんじゃないかという恐怖を抱えながらの三日間。
誘拐された結菜が無事に戻ってくるまでの時間は生きた心地がしなかった。
「蓮!結菜が居ないって?」
「教室で待ってるはずだったんだ。なのに居ない」
「家は?」
「今向かってる」
蓮の走る息遣いが聞こえる。
蓮が慌てていると言うことは、結菜の携帯電話も繋がらないのだろう。
「分かった。俺も今すぐ帰るから」
撮影の合間に抜け出し「知りませんよ!」と怒り心頭の早見に車を出してもらい、超特急で家に向かう車の中で広海に電話をした。
結菜が誘拐されたかもしれないというのに冷静な自分に驚く。
一頻り広海に説明をすると、仕様がないわねと穴を開けた仕事のお詫びに行くと言って電話が切れた。
広海は結菜がいなくなったことについてはそんなに驚いていない。蓮と喧嘩でもしたぐらいに思っているのかもしれない。
そう思っていても、仕事を途中で放り出した自分を責めない広海に感謝していた。
突然居なくなったのはやはり誘拐?
いや。まだそうだと決まったわけじゃない。
もしかすると蓮の勘違いかもしれない。
そう。まだ結菜が誰かに連れ去られたとは断定出来ない……
家の前で止まった車を降りると、ヒカルは急いで家の中に入った。
リビングに居ない蓮を探し回り、部屋でパソコンに向かっている蓮を見付けると、思わず胸倉に掴みかかった。
こんな時に呑気にそんなことをしている蓮にむかついた。
「待てよ。これを見ろよ」
そう言ってディスプレイに映し出された地図を見せられる。
「これが何だってんだよ」
慌てていた電話の向こうの蓮とは違って落ち着いていた。
「携帯は電源を切ってるから電波を受信出来なかった。でも、もう一つ上条に持たせた発信器があるんだ」
「発信器?」
「そう。あいつがいつも身につけてる婚約指輪の中に小型の発信器を仕掛けておいた」
「…………」
「こういうこともあるかと思って……」
蓮は気まずそうにチラリと自分を見た。
「別に怒ってねえよ。で?どうなんだよ。結菜は今どこにいるのかこれで分かるのか?」
蓮がパソコンを操作すると、地図上に赤い点滅が現れた。
「ここにあいつがいる。このスピードだと車か何かに乗ってるか……大丈夫だ。この家に向かってるよ」
蓮の説明にフゥと肩の力が抜けた。
そして二人でパソコンの画面を食い入るように見つめていた。
「でも。まだだな。無事な結菜の姿を見るまでは安心できない」
「そうだな」
赤い点滅が家に近づいた頃、蓮と二人で玄関の前で仁王立ちをして待ち構えていた。
帰ってきた結菜はどんな反応を見せるだろう……
「もうすぐだな」
蓮がそう呟いたとき、一台のバイクが止まった。
「バイク便でーす」
ヘルメットを被ったままの男に封筒を一つ渡される。
「ちょっと待て」
すぐに立ち去ろうとするバイク便の男を蓮が呼び止めた。
「蓮?」
「ヒカル。その中身見ろ。早く」
「あ?ああ」
蓮にそう言われ、分厚い封筒をビリビリに破き中身を取り出した。
「……こ、これ」
「やっぱりな」
中から出てきたのは一枚のディスクとチェーンのついた指輪……
それは間違いなく結菜がいつも身につけていた蓮から貰った指輪だった。
「これどこで受け取った?!答えろよ!!」
バイク便の男に掴みかかりヘルメットを剥ぎ取った。見たことのない男。
「誰に頼まれた?」
蓮も怒りを抑えきれないように男に詰め寄った。二人の形相にバイク便の男は完全に怯えている。
「え?あの……自分はえっと……あの」
「どこで誰にここに持ってくるように言われたか答えろって言ってんだよ!それとも何か?お前は結菜を連れ去った仲間じゃないだろうな?!」
「つ、つ、連れ去った?そんなことし、知りませんっ。これは……そう。そうです。コウナン学園の傍で受け取るように会社から指示されて……僕はただ仕事をしただけですっ。本当なんです」
気の弱そうな男は半泣きになりながらそう言った。この様子だと嘘では無いようだ。
いったい誰が―――
「紫苑か?」
バイク便の男は逃げるようにバイクにまたがると消えていった。
「やっぱり上条は……」
それ以上は考えたくはなかった。
結菜の頬に触れた手で、送られてきたディスクと指輪を握りしめた。