告白
菜穂のマンションの前でヒカルの乗った車が停車した。
時間が合えばこうして時々母親に会いに来る。いつも行動を共にしているマネージャーの早見に安西菜穂が母親だと知られてからは余計に会いに来やすくなった。
同じ事務所と言うこともあって早見には菜穂のスケジュールが分かり、気を利かせてかお互いの予定が合う日を知らせてくれる。
「ヒカル。最近元気ない?」
部屋に入るなりキッチンから顔を覗かせた菜穂にそう言われ、ヒカルはムッとした顔でソファーに座った。
「別に……」
それだけ言って不満そうな顔を菜穂からプイッと背ける。
「子供みたいね」
菜穂がフフッと笑いキッチンに向かった。
「結菜が……」
遠ざかっていく菜穂についそう言いかけると、菜穂の足が止まり踵を返し、フライ返しを手に持ったままやけるような薄笑いを混じえた表情をして隣に座った。
「結菜ちゃんが?何?」
ヒカルを見る菜穂は明らかに好奇という目をしていた。
「やっぱ止めた」
広海からどういう風に聞いているのか知らないけど、下手なことを言って蓮の時のようにあっさりと自分の気持ちを知られるというのはまずい。
ただこうして菜穂に見られているだけでも、何もかも見透かされてしまいそうなそんな気がした。
「あら残念。でも、結菜ちゃんとは仲良くやってるんでしょ?あ。ヒロから聞いたわよ。今結菜ちゃんの婚約者……なんて言ったかしら。そうそう雨宮グループの御曹司。私がお邪魔したときに居た子よね?その子が一緒に暮らしてるんですって?」
「ああ」
ヒカルは素っ気なくそう答えた。
自分から言い出した事だけど、早くこの話を終えたかった。
「ヒカル。ヒカルは上条家で育ったことをどう思ってる?」
「どうって……別に」
菜穂からの唐突な質問に心の中では慌てていた。
「別にじゃないでしょ」
菜穂にそう言われると、結菜と蓮のことで苛ついていた気持ちが急激に加速した。
「自分が安心したいだけだろっ。『良かった』『幸せだった』って俺が言えば自分が子供を捨てた罪が少しでも軽くなるもんな」
それはただの八つ当たり……
「ヒカル……」
こんなことを言うつもりはなかった……
菜穂が自分を預けたことを今更どうこう言うつもりはない。上条家に預けてくれたお陰で結菜とずっと一緒に暮らしてこられたのだから……
たとえ兄妹としてでも……
「ごめん。今日は帰るよ」
家に帰っても自分の居場所がないように感じる。だからといってここにも自分の居場所はない。
自分は誰からも必要とされていない。
「待ってヒカル。ヒカルと色んな事をきちんと話したいのよ。ヒカルがハリウッドに行けばもうあまり会うことも出来なくなってしまう。今のうちに少しでも一緒の時間を過ごしたい。ヒカルは何を考えて、何を思っているのか……母親として知りたいと思うのはいけないことなの?」
花の刺繍が施されている高級そうなエプロンを纏っている菜穂を近くで何度も見ている。けれど現実味がない。こうして話していても菜穂が自分の母親だという認識が……ない。
どうしてだろう。
自分に向けられた菜穂の悲しそうな顔を見ても、その向こうに結菜の顔が浮かぶ。
-重症だな
ヒカルは溜息を付いた。
「母さん。俺。結菜のことが好きなんだ……」
***
電気の消えた結菜の部屋に入ると、カーテンの隙間から月明かりが漏れ、結菜の寝顔を照らしていた。
結菜を好きだと言った後、当然のように驚いた顔をした菜穂だったけど、その後は意外な反応だった。
蓮のように強引ではないけれど菜穂もまた結菜に気持ちを伝えるべきだと、遠回しにそう言ってきた。
何よりも、自分にそういう話しをしてくれたということが余程嬉しかったのだろう。いつもは冷静な菜穂が、自分の言葉一つで上機嫌に舞い上がっているところを見ると、少しは自分の母親なんだとそう思えてきた。
結菜に自分の気持ちを伝える?……
気持ちよさそうに眠っている結菜の横顔を見ると、今更ながらに自分の中に『好き』と言う気持ちがあるということを実感する。
手を伸ばすとすぐ傍に結菜が居て。それがずっと続くとそう思っていた。
少なくとも自分がこの家を出るまでは……
蓮が気持ちを伝えろと言ったときには、絶対に無理だとそう思った。でも何故だろう……今なら蓮が言っていたことが理解出来る。
伝えなければ前に進めない――――
進めないどころか、頭の中はそのことばかりで何も手につかない。
「結菜……」
「ん……」
ヒカルの呟いた声に反応して結菜が寝返りを打った。
今日も無事に1日が終わる。いつもこうして見つめるだけでホッとした。そう……見つめるだけで……
ヒカルは顔を結菜に近づけると、上を向いた結菜の唇に自分の唇を軽く押し当てた。
そして柔らかい感触が伝わるとすぐに唇を離した。
何も無かったかのように結菜は静かに寝息を立てながら眠っている。
-こんなんじゃ足りない。
今度は結菜の頬に手を当てた。
もっと触れたい。抱きしめたい。もっと……もっと。きっとそれは切りがない程に溢れてくる……
ヒカルは結菜から手を離すとその自分の手を力一杯握った。
結菜の部屋から出ると廊下に蓮が立っていた。
「なんだよ。お前もしかして結菜んとこ行くつもりじゃないだろうな」
今結菜にしたことを悟られないように、ヒカルは蓮に向かって挑発的にそう言った。
蓮はヒカルの言葉に不機嫌な表情に変わる。
「ヒカルだってどうだか。あいつに何かしたんじゃないだろうな」
ピクリと一瞬顔が引きつった。
「は?冗談。蓮じゃあるまいし。言っただろ?結菜の部屋には入るなって」
「それはヒカルが告ってからの話しだろ?そう言ったの覚えてないのか?」
呆れたように蓮は溜息を付いた。
「おまっ……ここで大きな声でそんなこと言うなよ。結菜が起きたらどうすんだ」
「それならそれで構わないけど?」
相変わらず上から物を言う態度にカチンとくる。
「入れよ」
結菜が起きてくると厄介だと、場所を蓮の部屋に移した。
「入れって。ここ俺の部屋」
呆れたようにヒカルの後に蓮が部屋に入った。