欲張りな私
ええっと……
ヒカルが蓮に詰め寄られパニクっている間。ヒカルの部屋の前にはもう一人、混乱している人がいた。
それは蓮がヒカルの部屋に行くと言った後、また喧嘩になるのではと心配で様子を伺いに来ていた結菜だった。
「そう言えば、上条がご飯何食べたいのかって聞いてた」
ドアの向こうから蓮の声が聞こえる。
もしかして、もうすぐ出てくる?
そう思っても、固まってしまった身体はなかなか言うことを聞かない。
そして無情にも目の前でドアが開き、出てきた蓮とバッチリと目が合うと誤魔化すように結菜は作り笑いをしてみせた。
初めは驚いた顔をした蓮も、状況を理解したのか冷静に口に人差し指を当て、黙ってと身振りをした。
何もなかった事にしよう。その方がいい……
蓮がドアを閉めようとしたとき、部屋の中からヒカルの声が響いた。結菜はそのヒカルの声に驚いて思わず廊下の壁にへばり付いた。
「何度も言ってけど、俺。結菜に告ったりしないからな」
「ああ。分かったよ。その代わり、あの話も知らねえ」
「…………」
話しが終わったのか、蓮は冷静にドアを閉めた。そしてまた目が合うと結菜は引きつった顔で笑いながら後退りをした。
もう誤魔化そうにも誤魔化すことは出来ない。こうなれば……
逃げるしかない!
結菜はそのまま自室に逃げ込んだ。
まだ頭の中が混乱している。
どう解釈してもさっきの二人の会話は、ヒカルが自分のことを好きだということ……
-まさか。そんな……
幼い頃からいつも傍にいたヒカルが。兄妹として育ってきたヒカルがそんなことを思っているなんて微塵も思わなかった。
それに……
『ハリウッドに行く』―――
どうしてヒカルは何も話してくれなかったのだろう。
-わかんないよ。
結菜は頭を抱えるとその場に座り込んだ。
「話し聞いてたんだな」
声の後にすでに部屋に入っていた蓮が一応という感じでドアをノックした。
「…………」
「別に責めてるわけじゃない。ただ……」
「ヒカル。ハリウッドに行くんだ……ここから居なくなるんだ」
寂しさが込み上げてくるとそれが涙となって溢れてきた。
「ヒカルが居なくなって寂しいか?俺が傍にいても寂しい?」
蓮は蹲っている結菜に近づくと自分もしゃがみ込んだ。
「ヒカルと蓮くんは違うよ。ヒカルが居なくなると寂しくないわけ無いじゃない。ずっと一緒に育ってきた家族だよ」
「家族か……」
いつものように蓮は結菜の頭に手を乗せると子供を宥めるように頭を撫でた。その優しさが心地良かった。
泣いてばかりいても仕方ない。
蓮は今日からこの家で暮らすのだから―――
結菜は蓮に気付かれないように大きく息を吸い込んだ。
「蓮くん。夕飯の買い物に付き合ってくれる?」
「ああ。」
この時はお互いヒカルの気持ちについては触れなかった。
夕食を済ませ、結菜と蓮はまだ残っていた引っ越しの後片付けをしていた。
「なあ。ヒカルのことだけど」
唐突に蓮が切り出した。
出来れば避けたいと思っていた話しだけれど、このまま放っておくのも気が引けていたところだった。
「上条はヒカルの話しを聞いてどう思った?」
「どうって?」
「どうって……そうだな。例えば『やっぱりそうだったんだ~』とか?『ヒカルの気持ちが嬉しかった~』とか?『考えてみれば、蓮くんよりヒカルの方が好きだったわ~』とか?」
蓮は胸の辺りで両手を組むと目を潤ませ冗談交じりにそう言った。
「…………」
まったくふざけている。
結菜は目を細め白い目で蓮を見ると、また片付けを再開した。
「って無視かよ!」
どう思ったかなんて正直分からなかった。
ヒカルを本当の兄ではないと知ったのは、両親が亡くなった後。10歳の時だった。それからも何も変わることなく過ごしてきたつもりだし、兄妹と思ってもそれ以外のことなんて考えたこともなかったから。
だから突然そんなことを言われ『どう思った?』と聞かれても、気持ちがどうかなんて自分でも分からない。
「分かんねえかな?お茶目な言い方をしないと、こんな話し出来ないって」
「なんか。ケイみたいに軽くてイヤなんだけど」
「お前は男心が分かってねえな」
「ハイハイ。どーせ私は男心なんてこれっぽっちも分かりませんよ!」
結菜はそう言いながらツンと横を向いた。
「ホント。分かってねえよ……やっと近づいたと思ったら、あっちこっちよそ見しやがって」
「何言ってんの?」
結菜は蓮を見ると首を傾けた。
「自覚がないのが一番たち悪りい。他の奴らだったらまだ余裕だけどな。ヒカルは俺の中で最強だから」
「蓮くん。いまいち話しが分からないんだけど」
「まあな。俺は『俺だけ』っていう上条の言葉を信じるしかないってことかな」
蓮はそう言うと段ボールを取りに立ち上がった。
――――私は蓮くんだけだから……
そう言ったのは嘘じゃない。
でも……
だからといって他の誰も要らないというわけでもない。友達も大事だし一緒に暮らしている広海だって自分にとっては大切な人だ。もちろんヒカルだってその大切な人の中に含まれる。その大切な人の中で誰が一番というわけでも無ければ、この人だけいれば良いとも思わない。
-それじゃ蓮くんは?
蓮は自分にとってどの位置に存在しているのだろう……
教科書を机の上に並べている蓮の後ろ姿を眺めながら、結菜はそんなことを考えていた。