本当の気持ち!?
ヒカルは机に向かい、最近恒例になった英語のヒアリングをするためにヘッドフォンを付けた。
耳には女の人の声で流暢な英会話が流れている。でも、今日はただ聞き流すだけで勉強する気は既に失せていた。
広海が考えていることも分からないでもないが、蓮がこの家にいるということは、あんな場面にこれから何度も遭遇するということ……
「ホント勘弁して……」
もやもやする気持ちがイライラに変わる。
-くそ。
ヒカルはヘッドフォンを外すとベッドに転がった。
目を閉じると瞼の裏には蓮と結菜のキスシーンが焼き付いていて余計に苛つく。ヒカルはベッドから起きあがると、部屋の中を見回した。
いつもなら散らかり放題のこの部屋も、結菜によって綺麗に片付けられていた。この夏休みは一日中家に居る結菜は、よほど暇を持て余していたらしい。
今日は珍しく仕事も休みで1日家にこもって寝溜めをしようと思っていたのに、広海に叩き起こされてしまったのだ。何事かと思ったら、蓮がうちに来るという話し……
-ったく。俺には関係ないってぇの!!
イライラも最高潮に達したとき、雨宮の家に荷物を取りに戻っていた蓮と結菜が帰ってきた。
蓮の部屋になった一階の角部屋にヒカルは偵察がてらに向かった。二人がまたいちゃついていないとも限らない。
「なになに。ヒカルも手伝ってくれるの?」
荷物を抱えた結菜と廊下で会うと、さっきの出来事はすっかり忘れた顔でそう言った。
「俺。箸より重い物は持てないから」
「よく言うよ。ケンカあんなに強えぇのに、なに軟弱なこと言ってんだ」
今度は後ろから、段ボールの箱を二つ積み重ね、前が見えない状態の蓮が段ボールの横からひょっこりと顔を出した。
-歓迎してねぇのに、なんで手伝えんだよ!!
ヒカルは心の中でそう悪態をつくと、下りてきたばかりの階段をまた上った。
「あ。後で話しいいか?」
後ろから階段に向けての蓮の声が聞こえると、ヒカルは無愛想に「ああ」とだけ答え、すぐに自室に入っていった。
話し……なんだろう。
ヒカルはまたベッドに転がると両手を首の後ろに回した。
話しなら自分だっていくらでもある。
-って言うか、話しがあるのはこっちの方だ!!
また心の中で蓮に文句を言った。
一階では蓮の荷物を運ぶ大きな物音が聞こえていたのに、暫くすると急に静かになった。
もしかして、また……
ヒカルは転がっていたベッドから飛び起きると足をフローリングにつけた。
そして……
苦笑した。
これから自分はずっとこうなのか?結菜が蓮と何をしているか気にするばかりして、唯一ゆっくり過ごせるはずのこの家で安らぐことすら出来なくなるのか?
蓮のせいで……
蓮の……
いや。違う。
それは予想できたはず。広海にこの話を聞いたときからこうなることは分かっていたはずだ。それでも自分は結菜を守ることを選んだのに……
「情けないな」
ヒカルはベッドに座ったまま顔を手で覆った。
「で?話しって?」
予告通り蓮がヒカルの部屋にやってきた。
「なんだ。今日は機嫌悪い」
訝しむような顔をした蓮にヒカルはまた話しの内容を催促した。
蓮の話しは紫苑の事だった。
紫苑は結菜と義郎の家に行ってから暫くして消息が分からなくなったらしい。父親の葬儀の後、紫苑の部屋に行ってみたがもう何日も帰っている様子はなかったそうだ。
「志摩子のところは?」
「そうかもしれないな」
さすがの蓮も志摩子の所までは探していないらしい。まあ、紫苑が志摩子のところに居るとすればすぐに分かる。
「紫苑を探してどうするつもりだ」
探し出して話し合ったところで、解る相手ではなさそうだが。
「約束させる。何をしてでも、あいつに手出ししないと約束させる」
そう話す真剣な眼の蓮が羨ましく思えた。
「そうだな。それが俺たちのやり方かもな」
「そうだろ?」
結菜のことは一番良く分かっているつもりだった。
結菜には蓮がいる。
何度自分にそう言い聞かせても、やっぱり認めようとしない自分もいることは確かで。
結菜のことは蓮に任せたはずなのに――――
また同じ事を繰り返すのか?
「蓮。俺、年明けには日本を離れる。だから、その前に紫苑をなんとかしないと」
結菜のことばかりではいけない。自分の道を行く。そう決めて仕事も英会話も頑張ってきた。
「離れるって?」
「ハリウッドで俳優としてゼロから挑戦する。だから蓮。こっちで結菜のこと頼むな」
「…………」
「俺からも話しがあるんだけど」
日本を離れると聞いた蓮は黙ったままで、ヒカルはベッドの上でモヤモヤと考えていたことを蓮に言ってやろうと意気込んだ。
「へえ。話しってなんだよ」
何かを考えていた蓮が挑発的にそう言った。
それでも、怯む気はさらさら無い。
「まあ、当然だけど。ここにいる間は結菜に指一本触れるなよな!さっきみたいなことがあったら」
「あったら?」
「すぐに出て行ってもらうからな!!」
「…………」
どうだ!何も言い返せないだろ!?
「もちろん、結菜の部屋は立ち入り禁止!結菜にも蓮の部屋に入らないように後で言っておく」
「…………」
それは当然のことだ。念を押すように強めに発した言葉を蓮は黙って聞いていた。
「分かったら―――」
「そんなこと無理に決まってんだろ!てか、どうして兄貴のお前にそんなこと言われなきゃいけねぇんだ!」
「は?何言って」
ヒカルは蓮が言ったことに驚いていた。
この家に居たい蓮は、当然自分の言ったことに従うと高を括っていた。真っ向から反論するとは思ってもみなかったのだ。
「海外に行くってのもあいつと俺から逃げるのか?上条の隣に俺がいるのを見るのが辛くなったか?案外ヘタレだな。なあ。弱虫ヒカルちゃん」
蓮がニタリと笑った。
「な…………」
-こ、こいつ何言ってやがる!!
「当たりか。上条に自分の気持ちを伝えられないからって、俺にあたるんじゃねえよ」
蓮が言い終わる前にヒカルは蓮の胸倉を掴んでいた。
「おまえな。しつけぇんだよ!!結菜は妹だって何度も言ってんだろっ!それにな。ここを離れるのは逃げる為じゃねえ!自分の夢を叶えるためなんだよ!!」
胸倉を掴んでいる手に怒りが集中して震えていた。
「へぇ。夢ね。精々頑張れば?どっちみち俺は上条と結婚するつもりだから、この家で遠慮する気はないから」
「てめぇ」
ヒカルが振り上げた拳が蓮の頬に当たる寸前に蓮がそれを避けた。その瞬間、蓮の胸倉を掴んでいた手も外れた。
「まあ。お前があいつに対してのホントの気持ちを言えば考えてやらないこともないけどな」
そう言って蓮はまたニヤリと笑う。
-気にいらね……
余裕を無くしている自分に比べて余裕たっぷりの蓮が憎たらしい。
「本当の気持ちっていったいなんだよ」
自分でも自分が分からないのに……
「一つ教えてやろうか」
「なんだよ」
「前にヒカルが言ってたよな。上条とキスすることを想像してみたって。それで、出来ないからそう言う感情じゃないって思ったって……」
「ああ」
確かにそう言った。あれは蓮と派手にやり合ったとき。
蓮に追求されて一晩考えそして出した答えは、俺にとって結菜はやっぱり妹ということ。
「それは裏返せば、妹と思ってないってことだろ?」
「だから、なんでそうなる。大体、もし俺が結菜のことを本気で好きだって言ったら蓮はどうすんだよ」
「別に何も?」
何もしない?何もしないのに何故そんなことを聞くか……
「あーもう。お前の考えてることが分かんねぇ!」
そんなことを追求してどうするのだろう。
ヒカルは腹立たしい気持ちが少し薄れ、今度は蓮が自分に対して何をしたいのかという分析に気持ちがすり替わろうとしていた。
その何を考えているのか分からない蓮がフンと鼻息を漏らした。
「普通な。本気で妹だと思ってたら、そんなこと想像すらしねぇよ」
「そんなことはないだろ」
「いや。そうなんだよ。自分で気がつかないのか?」
呆れたように蓮はそう言った。
益々蓮が分からない……
「おまえは何が言いたい?どうしてそんなこと言うんだ」
蓮に洗脳されかかっているのか、沸々と自分でも分からない感情があることに気づく。
「本当の気持ちを言ってみろよ。言葉に出して言えば、気持ちなんか案外単純なものだ」
言葉に出す?本当の気持ちを……!?
本当の……結菜への気持ち―――
「俺は……俺は結菜が……」
どう想ってる?
「俺は……結菜のこと……」
自分は何を言おうとしてるのだろう―――
「愛してる―――――」