伝わる想い
「何から運ぶの?」
いつものように整頓された蓮の部屋に入ると、結菜は腕まくりをした。
部屋を見回しても、進藤と会社にこもっていたというだけあって、引っ越しの準備など一切出来てやしない。
これじゃ、今日中に間に合うのかどうかさえわからなかった。
「まあ。ちょっと座れば?」
悠長に蓮は部屋の端にある黒いソファーに座った。
「ちょっと蓮くん。そんなにのんびりじゃ引っ越しなんていつまで経っても終わらないよ」
終わらなければ、蓮はうちに来ることができない。今日から一緒にあの家で過ごすことが出来なくなる。
「そうだな。でも。ここに座って」
「……もう」
動きそうにない蓮に向かってあからさまに溜息を付きながら、仕方なく自分もソファーに腰を下ろした。
すっと整った顔。少し伸びた前髪が目にかかって鬱陶しそうだなとか、蓮を見ていると、一ヶ月も会わなかったのが嘘のように思えてくる。
今日からはずっと一緒。
きっと今、自分の顔はニヤついている。
「さっき、広海さんが言ってたことだけど、上条は進藤から何か聞いてる?」
「何かって?」
「その……俺の親父とお前の両親のこと……」
ドキッと心臓が跳ねた。そしてニヤついていた顔も一瞬にして緊張の表情に変わった。
蓮の言いたいことは、きっと自分の父親が私の両親を殺したんじゃないかってこと。
でもおかしい。蓮も違うと進藤から聞いている筈なのに……
「そのことだったら、聞いたよ……でももう過去の話しだから私達には関係ないよ。気にしないでって言っても無理かもしれないけど、蓮くんのお父さんが何かしたわけじゃないから……」
確かに両親は雨宮グループの裏の組織に殺されたのかもしれない。でも。それは蓮親子には関わりのないこと。関わりがあったとしても、助けてくれようと努力していてくれたのだから蓮の父親が悪いわけではない。
「そう言ってくれるのは正直有り難いけど……でもな。おまえんとこに行く前にはっきりと気持ちを聞いておきたいって思ったんだ」
「気持ちって?」
蓮はどことなく辛そうな顔で結菜と視線を合わせた。
「広海さんと今日話してただろ。雨宮グループの裏の組織のこと」
「あ。うん」
何となくだけど分かっていた。
「明日警察が一斉捜査に入る。今は雨宮グループと組織的に切れていると言っても、うちにも警察の捜査が及ぶと思う」
「……うん」
「親父も死んで、正直今の雨宮グループは崩壊寸前なんだ。そこに警察絡みの事件が起こったとしたらそれこそ崩落しかねない」
「…………」
-蓮くんはいったい
「もしそうなったら、俺には何も無くなってしまう」
「…………」
-何が言いたいんだろう……
――――何も無くなってしまう
そう言って俯いた蓮が小さく見えた。
「俺はお前の両親を殺した組織側の人間で……しかも、何も無くなってしまえば……そんな俺は……上条と一緒にいてもいいのかなっておも……」
言い終わる前に結菜は思わず蓮を抱きしめていた。
このまま蓮が、自分の手の届かないどこか遠くに行ってしまいそうな、そんな気がして……
「そんなこと言わないでよ!なによ。言ったじゃない。もう過去のことなんだよ。もう終わったことなんだよ。私が気にしてないのに、蓮くんが気にしてどうするの。蓮くんが忘れてくれなきゃ、私だって忘れられないよ」
「上条……」
「それに何!?何もないって!!私には蓮くんがいればそれだけで充分だけど!!っていうか、蓮くん以外何もいらないよ!!」
雨宮グループとか上条財閥とか、そんなものがあるから何もかも上手くいかない。いっそ何もかも無くなってしまえばいい。
「それに、そんな弱気なこと、蓮くんらしくない!!」
「俺らしく……か」
こんなに弱い蓮は初めて見た。
いつもは堂々としていて強い蓮。父親が亡くなった時でさえ気丈に振る舞って……
-あ
「蓮くん。お父さんが亡くなって泣いた?」
「は?」
蓮の驚いた顔が自分のすぐ前に現れた。
抱きしめていた手を解き、蓮の顔をその手で包んだ。
「泣けばいいんだよ。今日だけは許すから。……弱っちい蓮くんでもいいから。泣かないと前に進めないんだよ。そんな時だってあるよ」
結菜は自分の胸に包み込むように蓮を抱きしめた。
泣いてすっきりすれば、いつもの蓮に戻ってくれる、そう信じて……
「…………ぶっ」
長い沈黙の後。胸の辺りで何かが吹き出す音がした。
「蓮くん……?」
「お前。ドラマの見過ぎだろ。そんなこと言われて泣けるかっつーの」
くくくっと肩を揺らして蓮は笑っている。
「もう!!心配してるのに。何よ!!」
結菜は蓮から身体を離すと、頬を膨らませて怒った。
「悪い。でも……良かったよ。上条の気持ちがよく分かって」
「え?」
「俺のことそんなに好きなんだ」
悪戯っぽく笑う蓮はもういつもの蓮のようだった。
「そんなの……」
結菜は頬を真っ赤にして顔を逸らした。
そんなの今更確認しなくても分かっているのに……
蓮はいじわるだとそう思っても、笑っている蓮を前に嬉しさがこみ上げてくる。
「俺以外は何にもいらないって、俺ってかなり愛されてるな」
「恥ずかしいから、もうそれ以上言わないでよ。そ、それに。私は蓮くんだけだって知ってるくせに」
自分で言っておいて益々顔が赤くなった。
でもそれは本音。蓮がいなければ自分こそ何も無い……
「そっか。上条は俺だけなんだ」
いつものように頭のてっぺんに蓮の手が乗ると、横では蓮がフッと笑った気配がした。
その笑顔が見たくて、逸らした顔を蓮に向けた。
――――ズルイ……
自分だけに想いを告げてさせて、心臓が壊れそうなほどドキドキさせて……
「れ、蓮くんはどう思ってるの?」
この自分に向けられた優しい蓮の笑顔を見れば答えなんて分かっている。
でも……
その答えを聞くことがこんなに不安だなんて思いもしなかった。
蓮もこんな気持ちだったのかもしれない――――
ううん。今の自分なんかより、もっとずっと怖かったに違いない。
「俺は……」
「……うん」
蓮の綺麗な唇が次に動くのはまだかと、固唾を呑んで待っていた。
「なんか、悔しい。だから教えてやんな~い」
-は?
「もう!!なんでよ!」
蓮は怒っている結菜を見て、笑いながらソファーから立ち上がると引っ越しの準備を始めた。
「早くしないと日が暮れっぞ」
「…………」
分かってはいたが、どこまでも勝手な男だ。
蓮がベッドの上に放り投げた服を段ボールに詰めながら結菜は溜息をついた。
次々と運び出される荷物を見ていると、本当に蓮がうちに来るのかと実感してきた。
甘い生活は当分無理だろうけれど、蓮が傍にいてくれる。もう独りじゃない……
最後の段ボールを運び終えると、もう一度部屋を見渡した。
ここであった色んな出来事を思い出す。
初めてこの部屋に来たときは、不覚にもあのソファーで眠ってしまった。少しだけこの家に住んだ時には、進藤の目を盗んでこの部屋に忍び込んだこともある……
あの頃は蓮とよくケンカしてたっけ。
懐かしい思い出――――
「上条?」
「あ。うん。すぐ行くよ」
迎えに来た蓮の後ろを歩いていると、蓮が急に立ち止まった。
「何?」
蓮が振り返ると、結菜は背の高い蓮を不思議そうに見上げた。
「帰ったらヒカルがいるよな」
「そうだね。今日は仕事休みって言ってたから1日家に居るんじゃない?」
「だったら……」
蓮はそう言うと結菜に近づいてきた。
「え?」
何が何だか分からず、結菜は後退りすると、すぐに壁が邪魔をした。
「あの時の続き」
「は?え?何??ひゃ」
蓮は結菜を簡単に抱きかかえると、引っ越しには持って行かないベッドの上に運んだ。
「ちょ……蓮くん?下で車が待ってるよ」
「少しぐらいは大丈夫」
「え?あの。でも。誰か来たら困るっていうか……引っ越しが終わら」
「ちょっと黙れよ」
そう言ってまだ喋っている結菜の口を蓮の唇が塞いだ。
「ん……」
軽く重ねるだけのキスがどんどんエスカレートしていく。
そして、蓮を感じる度に、バクバクと心臓がうるさいほど高鳴っていった。
そのキスは蓮が自分を求めているようで……単純に嬉しくなる。
ずっと一緒だから――――
蓮の熱いキスがそう言っているように感じた。