前に進むためのドア
「ねえ。さっきの広海さんの話しだけど……蓮くんはどうするつもり?」
今度は二人で話しをすると言った広海と進藤をリビングルームに残し、結菜は蓮と一緒に蓮の部屋にいた。
蓮は着替えのためにウォーキングクローゼットに入っていて、結菜は見えない蓮に話しかけた。
「同棲するってやつか?」
「ど、同棲って!?」
「何、赤くなってんだ。まあな。どうすっかな」
ズボンだけはき、Tシャツを着ながら出てきた蓮を見て目のやり場に困った結菜は、慌てて横を向いた。
やっぱり生まれ育った思い出のあるこの場所で暮らしたいって思うのは当たり前。蓮が決めかねているのも分かる。自分も両親が亡くなった時に、広海が自分たちを引き取ってくれると言ったことには嬉しい気持ちもあったけれど、両親と一緒に暮らしたあの家から離れることもまた寂しいと感じた覚えがあったから。
そう理解する気持ちとは反対に、蓮が自分とずっと一緒にいることが嫌なのではないのかとつい勘ぐってしまう。一緒に居たいのなら、あの場ですぐにでも広海に返事をしたのではないのか?
そんな矛盾する感情が交差していた。
「上条。なんか妄想してる?もしかしていやらしい……いてっ」
「もう!人が真剣に考えてるときに!」
結菜がソファーの上にあったクッションを蓮に投げると、そのクッションは突っ立っていた蓮に見事命中した。
もしかして誤魔化してる?
徐々に不安な気持ちになってきた。
「紫苑の事もあるしな。まあ。前向きに考えておくよ」
-前向きにか……
蓮の家からの帰り。結菜は肝心なことを思い出した。
「ねえ。広海さん。あんなこと蓮くんに言ったけど、絶対ヒカルは反対するよ」
忘れていたヒカルの存在……
例え蓮がうちに来ると言っても、あのヒカルが蓮と一緒に暮らすことを許すはずがない。
「ヒカルちゃん?やあね。そんな難関を突破しないで、蓮くんに『うちで暮らさない?』な~んて聞けるわけがないでしょ?」
「え!?それって?広海さんそれってヒカルが賛成してくれたってこと??」
「まあね。だって、ヒカルちゃんのアリンコみたいな小さな嫉妬より結菜ちゃんの命の方が優先でしょ」
それじゃ、後は蓮の返事を待つだけ……
蓮はどう答えをだすのだろう―――
***
数日経ったある日。
久しぶりに会うマユがファミレスの端に座って結菜の到着を待っていた。
マユとは、赤ちゃんが出来たのかもしれないと相談された以来、会っていなかった。
自分にも色んな事がありすぎて、こちらから連絡することもままならなかったのだ。
「ユイ。この間は怒鳴ってゴメンね」
「いいよ。こっちこそ、私から連絡出来なくてごめん」
純平ときちんと話しをしたのだろうか?
それより、マユのお腹の中に純平の赤ちゃんはいるのか……
もしいたとしたら?
あたふたとしている結菜とは違い、マユは落ち着き払っているように見えた。
「ユイ」
「はい」
話しが話しだけに、つい緊張してしまう。
「ユイ。私ね」
「うん」
「私。産むことにしたよ」
「へ?」
きっと今マヌケな顔をしていると思う。
でも。そんなことはどうでも良かった。
「だから、純平との赤ちゃん。ユイが純平に言ってくれたんでしょ?」
「…………」
「病院に行くのを嫌がってた私に、純平言ってくれたんだ。『赤ちゃんが出来てても出来てなくてもマユのことを好きな気持ちは変わらない』って。それに純平ったら、まだ分かんないのにもう子供の名前を考えてたりして……嬉しそうに話しする純平を信じて行ったんだ病院に。そしたら、やっぱりいたんだよね。赤ちゃん。ここに純平との小さな命が誕生してた」
そう言ってまだペチャンコのお腹に手を当てたマユの顔は幸せそうで、今まで見たことのない柔らかい表情をしていた。
「お、おめでとう……おめでとう!!なんかまだ信じられないけど。でも。マユは幸せなんだよね」
「うん」
本当はそんなことを聞かなくても、そのマユの笑顔が語っていた。
赤ちゃん……
純平とマユの赤ちゃん――――
「きっと可愛い赤ちゃんが生まれるんだろうな」
「純平なんか今から言ってるよ『女の子だったら絶対嫁にはやらん』って。これじゃ先が思いやられる」
二人は顔を見合わせて笑った。
幸せそうなマユ。
しかし、後で聞いたアッキーの話しに結菜は改めてマユと純平の強さを知った。
二人とも高校生。当然周囲からは反対され、両家の間で何度も話し合いが行われたそうだ。歳が歳だけに、そう簡単にはいかない。
二人はこの時ほど、早く大人になりたいと思ったことはないだろう。
いつまで経っても平行線の話し合いにも、純平とマユはお互いの両親に自分たちの想いを懇々と訴え続けた。
これから生まれてくる子供をどうやって育てていくのかという、ありふれた高校生活では想像も出来ないような話し合い。
二人は想いを根気強く訴えかけ、そしてついにその想いが通じ前へと進むことが出来た。
何かと戦っているのは自分だけではない。懸命に生きていれば尚更、人の気持ちとぶつかり、本当にこれでいいのか?と言う自分の気持ちともぶつかる。
前へ進めばそこにはいつも何かしらのドアがあって、そのドアを開けるための強さが必要になる。
マユと純平は、二人でそのドアを開くことが出来たのだ。
私も、蓮くんと同じドアを開くことが出来るだろうか……
父親が亡くなってからの蓮は忙しくしているのか学園にも姿を見せていない。
広海が言うには、会社の後継者である蓮に必要な事項を教える為に、進藤と共に雨宮グループの会社にこもっているらしい。
高校生にして、あんなに大きな会社を背負わされた重圧を蓮はどう感じているのだろう。
今。蓮もきっと戦っている。
あっという間に通り過ぎた夏休みも終わりを告げる頃。
チャイムが鳴り、急いで家の玄関を開けると、久しぶりに見る蓮がそこに立っていた。