軟派な彼
肩には蓮の腕、寄り添うように結菜に近づいている蓮の身体、そして息がかかるほどの至近距離に蓮の顔がある……
−これはいったい、どういうこと?
想定外の展開に、未だ思考は止まっているが、身体は反応しているらしく、顔に熱を帯びてくる。蓮の触れている部分もやけに熱い。
「そうですか」
あまりのことに、対面している強面男の存在を忘れてしまうところだった。
男は品定めをするように、結菜を上から下へと目を走らせると、再び口を開いた。
「いつの間に好みが変わられたのか知りませんが……本当に彼女でしょうかね?」
男は疑い深い声を蓮に向ける。
「おっさん。俺がウソをついているとでも言いたいのか?」
そう言うと、結菜は更に蓮の方へと引き寄せられた。
「いえ。そうではありませんが、今までの女性とはタイプが違うなと……」
「証拠を見せろと?」
「いいえ。そこまでは申しませんが……」
「何が言いたい」
男が探りを入れるように話しかけている。蓮はそれに堂々と答える。
いつばれるのかと、結菜は、はらはらしながらことの成り行きを見ていた。
「お嬢さんのお名前は?」
突然自分に話しを振られ、焦る結菜。全身から冷や汗が出てきそうだ。
「か、上条……結菜です」
なんとか答えることができ、男の顔を見ると、サングラスの奥の目が一瞬見開いたような気がした。
「名前なんか聞いてどうする。何度言ってもこの話、俺はぜってー受けない!分かったらとっとと失せろ!」
−そうだった。蓮くんが組に入るなんて、なにがなんでも阻止しないと!
「あの……これは、蓮くんだけの問題じゃないと思います。そうなったら、蓮くんのご両親は悲しむと思いますよ?私ももちろん反対です!蓮くんのことは諦めて下さい。お願いします」
ここはもう、頼み込むしかない。
結菜は丁寧にそう言うと頭を深く下げた。
男は「頭を上げて下さい」と優しく言うと、
「分かりました。今回は諦めましょう」と、男が来た方へあっさり帰って行った。
男の姿が完全に見えなくなると、緊張していた全身の力が抜け、結菜は脱力したようにその場にへたり込んだ。
「悪かったな。変なことに巻き込んで」
蓮が結菜を立たそうと、手を差し出す。しかし、結菜には、その手を取る力さえ今は残っていなかった。
「でも、よかった。帰ってくれて……」
結菜は座り込んだままホッと息を吐く。
「ところで、上条はどうして知ってたんだ?」
立ち上がらない結菜に合わせ、蓮も腰を屈めた。
「え?前に純平くんから聞いたことがあって。でもそれって、冗談かと思ってた」
「純平に?俺、誰にも言った覚えないけど」
でも、なんで彼女がいれば組に入らなくてもいいのだろうか……?
冷静になって考えれば沸々と疑問がわいてくる。
「なんでだろ?」
「あれで、諦めてくれるとは思わないけど、暫くは大丈夫そうだな。しっかし、俺のためにあそこまで言ってくれて、サンキューな」
「当たり前でしょ!誰だって嫌だよ。毎日一緒にお弁当を食べている人がヤクザになるなんて……」
「……は?」
「え?」
「ヤクザって?」
「だって、さっきの人……そうでしょ?」
蓮の顔の表情が一瞬固まり、それがじわじわと溶けていったかと思うと、大声をあげて笑い出した。こんな蓮を見るのはもちろん初めてだが、今はそんなことを思っている余裕はない。
「ちょっと、なに?」
「い、いや。はははははっ。腹いてー。なんかおかしいなと思ってたら……まさか。ははっ。そんなことになってたなんて」
結菜には蓮がなぜ笑っているのかさっぱり意味が分からない。
「もう。知らない!」
いつまでも笑いっぱなしの蓮に呆れて、結菜は立ち上がるとパンツについた砂を払い落とした。
見たいと思っていた蓮の笑顔。目の前には笑っている蓮がいる―――
って、こんな笑いが見たかったんじゃない。あの時のドキドキを返してほしい。
「悪い…ちゃんと説明するから」
いなくなると思ったのか、蓮は結菜の腕を掴むと上目遣いでそう言った。
―――反則だ。
今までとは全く違う優しい顔。眉間のシワもない。そしてなにより、その整いすぎた容貌。その顔でそんな目をされると……文句の一つも言えないではないか。
「お見合いだよ。要は、政略結婚だな」
「政略結婚――?」
「どこの誰だか分からない奴と結婚って、今の世の中ありえないだろ?しかも、高一で。まだ結婚できる歳じゃないのに」
「結婚……させられそうなんだ?」
ある意味ヤクザより凄いかも。
「断固阻止してやる」
蓮は結菜の腕を掴んだまま立ち上がると、その腕を自分の方へ引き寄せた。結菜は蓮の身体へ吸い込まれるように、堅い胸板に顔が埋まった。
「ちょと!何するのよ!」
流されそうになりながらも、ハッと我に返り、結菜は蓮の胸板を突き飛ばした。
「何って。お礼の抱擁を……それより、キスの方が良かった?」
「………………」
−こ、この男は……
握った手が怒りのあまり震え出す。
「嫌?おかしいな、みんな喜ぶのに……もしかして、キス以上?」
結菜の中で、プツリと何かが切れた。
黙っているのをいいことに、懲りもせず蓮は結菜に触れようと手を伸ばす。その手を今度は結菜から掴むと手首を勢いよく回転させた。蓮はウッと言う声を出しながら同時に膝がガックっと折れ、その場に跪く格好になった。
「なっ――」
こんなところで、祖父義郎の教えが役に立とうとは……
−『心も身体も強くなれ』
それは義郎の口癖だった。自分の身は自分で守れ。強くなければ自分も守れないし、守りたい人も守れない。そう言って結菜とヒカルに護身術や柔道に剣道など、ありとあらゆる武術を教えてくれた。強くなければ上条家では生きていけないと大袈裟なことを言いながら……
「最低―――」
結菜は腰に手を当て上から睨むように、蓮を見た。蓮は、未だ呆気に取られている顔をしている。
「それが、恩人にすることなの?」
「……………」
「今までの蓮くんは何だったのよ――!」
−あの無口で眉間にシワのある、滅多に笑わない蓮くんは何処へ行ったの?
「お、お前……なにするんだよ」
蓮は痛てーと言いながら立ち上がり、手首をさすった。
「いつもの蓮くんの方が、余っ程いいよ!」
「お前は、俺の何を知っている?」
「何って……」
「近頃の女子高生ってしつこいんだよ。一度甘い顔をしてしまうと付け上がる。毎日平穏に暮らすために演じてんの。誰も近寄ってこないためにね。いい男だと苦労するんだよ」
蓮はニッと悪戯っぽく口の端を上げて笑った。
−なっなっ。この二重人格男!
結菜は信じられないと言った顔をして、一歩後退りをした。
「もう、やられたくはないから、手なんか出さねーよ」
「当たり前よ!」
この男に手なんぞ出されてたまるものか。
「ところで、お礼は何がいい?こう見えても義理堅いもんで」
「お礼なんていいわよ」
ぎゅるるるるる―――
そう言ったと同時に結菜のお腹が鳴った。
「分かった。ご飯食べに行こ」
蓮の顔が笑っている。
−恥ずかしい……だって、朝から何も食べていないんだもん。仕方がないよ。
自分の中で言い訳をしてみる。きっと今顔が真っ赤だ。
「何が食べたい?」
「あ、いやーその……」
お礼はいいと言っておきながら、今更そんなことは言えないような。
「別に恥ずかしがらなくてもいいじゃん。俺と上条の仲だろ?」
どんな仲だ!と、また心の中だけでツッコミを入れる。でも、ここは一つ奢られるのも良いかもしれない。
「えっと。じゃあオムライス……で」
「OK。オムライスね」
良いお店を知っていると蓮が言い、結菜はその後をついていく。でも……何か忘れているような―――
「あっ!!」
「今度は何?」
「――――省吾先輩……忘れてた……」