兄貴面
蓮にクラブで会った翌日。ヒカルは仕事での移動中に偶然街中で蓮と里沙を見かけた。昨夜と同じように、里沙が蓮にピッタリと寄り添い腕を絡めていて、蓮はそれを嫌そうに不機嫌な顔を貼り付けていた。
「早見。ちょっと車停めて」
「え?ここにですか!?」
急ぎでもなかったのに、運転していた早見は渋々車を路肩に停めた。
車を降りたヒカルは真っ直ぐに蓮に向かって歩いていく。すれ違う人たちが何人かがヒカルに気づき振り返っていた。
「よう。また会ったな」
「…………」
ヒカルの存在に気づくと、蓮は不機嫌な顔を更に強調するように眉間のシワを深くした。
「今日は二人仲良くデートかな?」
もちろん、嫌味でいってやった。ケイの企みで今こうして里沙が蓮の隣にいるのだろう。
一言二言交わした時点で、既に周りに人が集まりかけていた。これ以上多くなると厄介なことになりかねない。
「ここじゃ話せないからこっちへ」
そう言うと、ヒカルは停めてあった車に二人を連れて戻ってきた。
自分だけではない。とにかく蓮も目立つのだ。
二人を後部座席に乗せ、自分は助手席に乗ると、早見に車を出すように指示をした。
「あの……どこへ行くのかしら」
「里沙ちゃんは、黙って乗ってろよ。自分のために……な」
「あの……はい」
意外と察しのいい子だ。蓮と関係が何もないとばらされるのは困ると里沙は口を噤んだ。
「なあ。蓮は結菜の居所知らねえ?」
バックミラーで見ていた蓮の不機嫌な顔が一瞬変化した。
「帰ってないのか?」
「ああ。連絡もつかねえんだ」
「…………」
蓮は考え込むように口に手を当てた。
「知ってんのか?」
「…………」
話しかけても、何かを思い出しているように蓮は下を向いたままだった。
「あの……」
たまらず、里沙が口を開いた。
「何か知ってるのか?」
「はい。レンの家の前に居ましたよぉ。上条先輩」
「いつ?」
「お昼前だったかなぁ。一緒に行きますぅ?って誘ったけど、用事があるからって断られちゃって」
−一緒にって……三人でってことか!?
悪意があるのかないのか、里沙は平気な顔でさらりと話した。
「へえ。蓮は結菜よりこっちのお嬢ちゃんを選んだってことか?」
「はあ?」
この嫌味にはさすがに反応を見せた。
「だってそうだろ。結菜は二日前から家に帰ってないんだ。そんなことも知らないのかよ。あ〜あ。お前なんかに結菜を任せるんじゃなかったよ」
「なんだと!」
後ろから声を荒げた蓮に腕を掴まれた。
「ちょっと待ってよぉ!だいたい、上条先輩は紫苑と付き合ってるんでしょ?だったら、レンは悪くないわ」
喧嘩腰になった蓮を里沙は慌てて庇った。
1日目の夜は蓮と一緒にいたことは知っている。ケイの話しによれば、蓮は酔っていて結菜と一緒に夜を過ごしたことは覚えていないらしい。
−何てヤツだ……
結菜の気持ちを思うと、蓮に対する腹立たしさが倍増した。
「結菜が紫苑と付き合ってるからって、蓮もこのお嬢ちゃんと付き合ってんのか?へぇ〜。お前が結菜を想う気持ちってその程度だったのか」
蓮を責めても仕方ないことぐらい分かっている。でも、責めずにはいられない。結菜はどんな気持ちで蓮と別れたのか……悲しいことに分かってしまうから。
「レンを責めないでよ!だいたい、上条先輩が先にレンを裏切ったんでしょ?レンは何も悪くない!」
「黙れ……」
自分を庇った里沙に蓮は冷たく言い放った。しかし里沙だって黙ってはいない。
「レン。リサはね……リサはホントにレンのことが好きなの。だから、上条先輩に振り回されるレンを見たくなかった。だから紫苑に頼んで……」
「紫苑……?」
里沙は自分の言ったことに気づきハッとした表情をした。
「あ〜あ。せっかく黙っていてやったのにな。しっかし、やっぱ紫苑ってヤツが絡んでたのか。おまえには、全部吐いてもらうから覚悟しとけ」
前を向いたままのヒカルがそう言うと、里沙は今にも泣きそうな顔を両手で隠した。
「あいつ……」
里沙からの話しを黙って聞いていた蓮は低い声で呟いた。
「それで?紫苑が蓮と結菜を本当に別れさせるように仕組んだまでは大体分かったけど。最終的に紫苑が企んでるってことってなんだ?」
「そこまでは分からないわ……ただ。紫苑は上条先輩と結婚するって話していたのを聞いたことはあるけどぉ。リサが知ってるのはそれだけよ」
「結婚!?」
どこまで話しが飛躍するのだろう。頭の中で整理してみる。
紫苑は結菜に近づくためにマユを誘拐したり結菜を襲わせたりと、姑息な手段を使って結菜に自分を信用させた。そして結菜と蓮が離れた途端に、態度を急変させると脅しをかけてきた。それはきっと蓮と別れて自分と付き合わなければ、友達や兄貴の命は保証しないとかなんとか言われたに違いない。
それには覚えがある。照明が落下してきた事故。あれは恐らく紫苑の仕業だろう……
そこまでして、結菜と一緒に居たかったのだろうか?
脅してまでして、結菜と結婚をしたかったのだろうか?
何故だ……
里沙を車から降ろすと、静まり返る車内で早見が申し訳なさそうに口を開いた。
「あの……ヒカルさん。そろそろ行かないと次の仕事に間に合わないです」
そうだった。
仕事の移動中だったことを思い出すと、バックミラーで後部座席に座っている蓮をチラリと盗み見た。
「ここでいい。降ろしてくれ」
今まで何かを考え込んでいた蓮と鏡越しに目があった。
「蓮。結菜のところに行くのか?」
「…………」
「お前に一言だけ言っておく。絶対に結菜を傷つけるな。あいつを泣かせるな。幸せにしろ。それから……あいつの笑顔を守ってやってくれ……」
フッと息が漏れる音が聞こえた。
「一言じゃないじゃん」
「うるせえ!これでもまだ、たんねえよ!!」
「兄貴面して……」
蓮が笑っている気配がした。
「は?オレはあいつの兄貴だ!ったく。こんなヤツに結菜を任せるなんかあり得ねぇっつーの!!いいか蓮。結菜に何かあったらオレは絶対お前を許さねぇ。命をかけてもあいつのことを守れ。これは結菜の兄としての命令だからな。この命令は絶対だからな!じゃないと結菜と一緒になんかさせねぇっつーの!!」
興奮してヒカルは前方を蹴飛ばすと、運転席にいた早見に怒鳴られた。
後ろでは蓮が声を殺して笑っている。
「分かったよ。その命令。聞き入れた」
車を降り、歩いて去っていく蓮の後ろ姿が自分の眼に頼もしく映った。
もうそろそろ、結菜の兄としての、自分の役目も終わりそうだ……
真夏が近づく夕暮れ時―――
ヒカルを乗せた車はテレビ局に向かうために信号待ちをしている。目の前には、横断歩道を渡っている人々の姿が見えた。行き交うたくさんの人達。こんなに大勢の人々がいるのに、誰一人同じ人はいない。
隣にいる早見も、自分という人間も……蓮もまた一人として同じ人間はいない。
そして、結菜も―――
そんなことを考えながら、ぼうっと過ぎ去る人々を眺めていると鞄の中に入れてあった携帯電話が鳴った。
ヒカルは表示してある名前を確認すると、少し躊躇しながら携帯電話を開いた。
「ヒカル?」
「ああ」
「今日。仕事が終わったらうちで食事でもしないかなと思って……今日は仕事が早く終わりそうなのよ。たまにはいいでしょ?話したいこともたくさんあるし……ねえ。ヒカル」
「分かったよ。仕事が終わったら電話するよ……
母さん……」
丁度いい機会だ。
宙ぶらりんになっていた自分の気持ちに決着を付けるために、いままで避けていた母親と会ってみよう。
携帯電話を鞄に戻すと、隣で早見が驚いているのにも気づかず、ヒカルは手を挙げて大きく伸びをした。