それぞれの可能性
食事もほどほどに、終始ワインを飲んでいたケイは、乗ってきた車を人に任せ、夜の町を二人並んで歩いていた。
「ケイ。さっきの話しだけど……」
「親の事故のことか?ウソじゃないかもって言ったのは、その可能性もあるってことだよ」
可能性……
確かに可能性はあるとは思うけれど、だからと言って、蓮の父親が両親を―――という発想は、やっぱりどこか現実離れしている。
「結菜がそうじゃないって思いたい気持ちも分かるけどな。でも、もしそれが本当だとしても、お前は蓮のことを嫌いになんかなれないだろ?もう過去のことだ。今更そんなことを掘り返してどうする」
「だって。ホントのことを知りたいって思うよ。隠されれば隠されるほど、その先にはもっと何かがあるんじゃないのかって思っちゃうよ」
「知ることが正しいことばかりじゃないかもな。事実によっては結菜や結菜の周りの奴らが傷つくかもしれない。その中で、一番傷つくのは蓮かもしれないしな」
いつか言われた志摩子の言葉とダブって聞こえた。
志摩子はあの時から知っていたのだろう。だから、今のうちに蓮と別れろと言った……
「もしかして、蓮くんはこのことを……」
「ああ。気付いてるよ。ただ、確証がないだけ。蓮が父親のことをあんなに必死に探しているのは、このことを確かめたかったからだろうな。もちろん、心配してないわけじゃないけど、父親に会ってその疑惑を晴らしたかったんじゃないかな。
結菜の為に……な」
見上げたらケイが寂しそうに微笑した。
「そっか……」
蓮は知っていた。
紫苑から聞いたあの瞬間に、一瞬だけどよぎったことは気のせいなんかじゃなかった。
何かを言いかけて止める蓮の仕草は、父親の裏組織のことや、このことを言いたかったのではないだろうか。
「それに、蓮が里沙と遊んでたって、文句言えないだろ?結菜だって、紫苑って奴と付き合ってんだから。なあ。そうじゃねぇ?」
今度はいつものように意地悪そうにケイは笑った。
そうだよね……
自分のことは棚に上げて、蓮の事ばかり責めていた。
ケイに会って話したことで、自分の中でフラフラと揺らいでいた気持ちが吹っ切れた気がした。
「私。紫苑と話してくる。蓮くんと離れることが一番良い方法だって思った私が間違ってたよ。話しても分かってくれる相手じゃないかもしれないけど、このままじゃ自分が納得できない」
それには問題は山積みだ。
ヒカルのことでまた紫苑に脅されるかもしれない。マユたちにまた何か仕掛けられるかもしれない……
でも。もうこれ以上蓮と離れていることなんてできなかった。
両親のことは、紫苑と話してから、またそれから考えればいい。
「そっか……」
家の前まで来ると、頑張れよ。と、片手を上げて去っていくケイの背中が見えなくなるまで見送った。
なんだか、久しぶりに帰ってきた我が家に、今夜も明かりは灯ってはいない。
携帯電話にヒカルからの着信が何度かあったけれど、いろいろあって、折り返しの連絡もしていなかった。
−きっと心配しているだろうな。
「今、お帰りですか」
玄関を開け、暗い家の中に入ろうとしたところで、突然、後ろから誰かに呼び止められた。
もうすっかり気が緩み、警戒心の欠片も無かった結菜は、飛び上がるほどに驚いた。
気配もなく、突然現れた人物―――
後ろを振り返る前に誰が呼び止めたかは脳裏に浮かんだ。
その男の声には聞き覚えがある。
「結菜さん……お久しぶりです」
「進藤さん!」
***
進藤が運転する車の助手席に乗せられ、どこに行くのか行き先も告げられないまま、車は夜の都心を走っていた。
横にいるのは蓮があれほど探していた進藤で、ハンドルを握っているこの男は、蓮の父親のことも知っているに違いない。
「進藤さん。今までどこに……」
結菜の言葉を遮るように、カチカチとウインカーの音がして、二人の乗った車は大きな建物の中に吸い込まれていった。
車を降りて見上げた建物は――――
「ここって。病院……?」
「結菜さん。こちらへ」
病院に何があると言うのだろうか。
結菜は警戒するように進藤の後ろを歩いた。
黒いスーツを着た進藤は、そんな結菜を気にすることなく、病院の薄暗い廊下を淡々と歩いている。
「どこに行くのか知らないけど、私に会いに来たってことは、蓮くんのお父さんも無事ってことよね?」
どうしても、それだけは確認しておきたかった。蓮は事実を知るためだけに父親を捜していたのではないと思うから。自分の父親だ。ケイの言ったように、心配していないわけはない。
結菜の問いかけに進藤が足を止めた。
そのまま何も話そうとしない進藤の背中が、悲しそうに見える。
「もしかして……蓮くんに何かあったの?」
いい知れない不安がよぎった。
今日、蓮は里沙と一緒にいる。そこで何かが会ったのかもしれない。
「いえ……行きましょうか」
後ろを振り返ることなく、進藤は病室の奥まで進んでいった。
『特別室』
そうプレートに書かれてある病室の前で進藤はやっと後ろを振り向いた。
「どうぞお入り下さい」
スライドさせたドアは音もなく開き、結菜は進藤の前を通って部屋の中へと入っていった。
ここに何があるというのだろうか。
日本にいた進藤のことを早く蓮に知らせてあげたかった。それにはまず、進藤がどこにいたのか、何の目的があって雲隠れしていたのか。そして、蓮の父親は無事なのか知る必要がある。
その為には、進藤の要求通りに行動してみようとそう思っていた。
部屋に入ると、静まり返った病室の中央にはベッドが置かれ、一人の男性がそのベッドで横になっていた。
布団の上に乗せている腕は骨の上に皮が被さっているだけとも思える細さで、顔も頬骨が浮き上がり、やせ細っていて覇気がない。一目見て、重い病気だということが窺えた。
「進藤さん……」
見たこともないこの男の人を前にして、どうしていいのか分からず、進藤を呼んだ。
何の為に進藤は自分をここに連れてきたのかも、まったく分からない。
ドアの側にいた進藤は、ベッドの脇までくると寝ていた男性の耳元で何かを話し、リモコンを操作して、ベッドの上半身を起こした。
そして、ゆっくりと男の人の目が開いた。
「あなたが結菜……メイによく似ている……」
掠れた低い声は誰かの声に似ていた。
「母を知っているの?」
「ああ……」
絞り出すような弱々しい声を聞くと、これ以上喋らない方がいいのではないのかと思い、また進藤に目を向けた。
進藤は強面の顔をほんの少し緩ませると、結菜に向かって頷いた。
「結菜さん。こちらは雨宮グループの会長。蓮さんの父親です」
「え……」
蓮の父親――――?
ベッドに身を任せるようにかろうじて起きあがっている蓮の父親は、見ているだけでも痛々しい。
きっと一人ではもう歩けないだろう。きっと一人ではもう起きあがることすらできないのだろう……
きっともう……
自分が見ているこの場面を、蓮が見たらどう思うだろう……?
変わり果てた父親を見て蓮はどんな言葉をかけるのだろうか……
そんな事ばかりが頭に浮かんでは消え、いつの間にか頬に涙が伝わっていた。