蓮の事情
考えさせてと言ってから、映画の撮影に入り、忙しい日々の中、あれから菜穂に会うこともなかった。
そして、やっと仕事が一段落したある日。今度は嫌な奴と、街中でばったりと出会ってしまった。
「よう!結菜の兄貴じゃんか。おげんこ?」
「…………」
ヒカルは歩いていた足を止め、踵を返すと、慌てたケイが追いかけてきた。
「なんだよ〜つれないな。この前はそんなんじゃなかっただろ?」
この前……?
ああ。こいつと蓮に拉致されて、ホテルに連れて行かれた時のこと?
「あの時も、こんなんだったけど?」
ケイに向かって嫌味たっぷりに言ってやった。
「え〜。全然、まったく、違うじゃん。なんかさ。こうホッペが赤く染まってさ。可愛らしい好青年って感じがしたけど?」
「は?」
何のことか分からず、眉間にシワを寄せながらヒカルはニヤついているケイを見た。
こんなちゃらちゃらした奴の相手などしていられない。
「だからさ〜この前、結菜が熱だして寝てたときだよ」
「悪いけど、俺、あんたと話してる暇はないから」
こんな場所で話していたら、目立ってしょうがない。
それに、このケイという男も自分以上に目立っていそうだった。
ヒカルはケイと距離を置こうと進行方向に向かって足を進めた。
「へ〜そんなに忙しいんだ。ヒカルは知ってる?結菜が今、蓮と別れてんの」
そんなこと、ケイに言われなくても知っている。
ヒカルは振り返ることもなく、そのまま歩道を進み、角を曲がった。
「結菜が他の奴と付き合ってんのも、知ってんのかよ!」
街の雑音に混じり、ケイの声が聞こえると、ヒカルは足を止め振り返った。
ケイがヒカルの肩を抱え込むように首に腕をかけ、クラブに入るドアを開けた。
鬱陶しいケイの腕を何度も払い避けようとしてみても、逃がさないぞというように、がっちりと固定されたように置かれているケイの重い腕が外れる気配はなかった。
人々が蠢き、身体の芯に低音の音楽が鳴り響くホールを抜け、上にあがる階段を上ると、区切られたボックス席が並んでいた。
「他の奴と付き合ってるって、どういうことなんだよ」
「まあ。座れば?」
ボックス席の一つに通されると、ケイの腕がやっと外れ、下のホールを見下ろすようにソファーへと座った。ヒカルも、仕方なくケイの向かい側に腰を下ろした。
「それで?ここまで来たんだから、話せよ」
肘を突いてホールに目を向けているケイに苛々しながら、ヒカルは話しをするように促す。
「そんなに、急かすなよ。たぶん、今から面白いもんが見られるかも」
そんなことを言いながら、こっちを見るわけでもなく、ケイは楽しそうに踊っている人々の姿に視線を送っていた。
一向に話しをする気配がないケイに痺れを切らし、ヒカルは帰ろうとその場に立つと同時に、さっきまで見ていたホールが急に騒がしくなった。
「やっと来たかな」
ニヤリと笑うケイ。
ヒカルは一人を囲むように円が出来ている人々の輪の中心を見た。その人物が動く度に、人の輪も形を変えながら移動した。
「誰だ?」
音楽が鳴り響き、それに覆い被さるように女の甲高い声が上がる。
「芸能人のヒカルより、熱烈だろ?」
「は?」
確かにそうだった。自分が通った時には誰も気づかないほど無反応だったのに対し、人々の中心にいるあの人物はどれほどの著名人かと興味が沸いた。
「ケイ。あれ誰だ?」
「誰って……すぐに分かるさ」
答えを告げないまま、ケイは手を挙げ、お酒を注文すると、涼しげな顔でホールに眼を落とした。
「やっと到着か?人気者」
「うっせぇ……」
暫くすると、最高潮に不機嫌な顔をした蓮が姿を見せた。蓮はヒカルの存在に気づくと、片方の眉を上げた。
なぜもっと早く気付かなかったのだろう……
「たまにはこういう組み合わせもアリだろ?」
ケイが綺麗な色のカクテルを飲みながら、蓮に向かって楽しそうにそう言う。
「おまえ……結菜が他の男と付き合ってるって……いったいどういうことだよ」
ケイに無理矢理ここに連れられてきたことと、自分の知らない結菜のこと。そして、女の子たちに囲まれていた蓮を思い出し、一気にむかつきが最高潮に達した。
「まあ。まあ。三人が揃ったのも久しぶりだし、ここはひとつ、結菜についてゆっくりと語るってのはどうだ?」
「はあ?俺は別に話すことはねえよ……」
「蓮。いいから座れって」
不機嫌な顔を貼り付けたまま、蓮は仕方なくというようにケイの隣に座った。
「それでだ。蓮。兄貴の前で聞くのはなんだけど、昨日はどうだったんだ?」
「はあ?」
「だから、お前。オレのとこ泊まっただろ?」
「…………」
「オレからの誕生日プレゼントはどうだった?」
にやつきながら話すケイに、一瞬で蓮の顔色が変わった。
「…………俺。やっぱ、帰るわ」
そう言って蓮が立ち上がり、背を向けると、その動きが止まった。
二人は何の話しをしているのか全く分からないけど、自分から逃げようとする蓮を止め、ケイの言うように結菜について話しを聞いた方がいいとこの時はそう感じた。
「待てよ。蓮」
ヒカルがそう言っても、後ろを向いたままの蓮の背中は動かない。
「蓮。おまえ、ふざけるなよ」
すぐ近くにある蓮の肩を掴もうと立ち上がると、蓮の視線の方向から、一人の女の子が歩いてくるのが見えた。
カツン……カツン……
賑やかな音に紛れ、ヒールの音がやけに大きく聞こえる。
「なんでここに……」
蓮の声は、怒っているように、でも、どことなく怯えているように感じた。
「なんでって……」
そう言い、フフッと笑った女の子は、綺麗にメイクした艶々した唇の口許を上げ、無造作にアップしている髪は、幼いながらもなにか計算された女らしさが漂っていた。
ヒカルは一目見た瞬間、苦手なタイプだと直感した。
「あれ?もしかして、里沙か?」
ケイもここにいることを分かっていたかのように、里沙は驚きもせず、ニコリと微笑んで、ケイに軽く会釈をすると、蓮の傍に近寄り、当然のように腕を絡ませた。
「レン〜。あっちにリサの友達がきてるの。紹介したいから、来てくれるぅ?」
「…………」
「来てくれるよねぇ」
蓮は、甘えたように話す里沙の頼みを素直に聞くように、そして、強引な里沙の手を振りほどくことなく、そのまま里沙に引っ張られるようにその場を後にした。
「ケイ。あの女誰?」
普段では考えられない蓮の行動に、ケイも驚いているようで、ヒカルの問いにもすぐに答えることが出来ないようだった。
結菜と蓮―――
いったいどうなってしまっているのか……
「ケイ。知ってること全部教えろ」
二人のことを聞いたって結菜の兄貴である自分ではどうしようもない。
そんなことは分かっている。
でも、そうでもしないと、自分の気が収まらなかった。