★夜空に咲く花のように ☆
銘尾友朗様 主催 なろうな勇者達。夏・祭り企画作品です。(*^^*)
7月がもう終わりを迎えようとする、暑い日差しの中、 夏休みに入ったばかりの 本間 健太は、16歳の夏休みをエンジョイする筈だった。
健太が夏休みの為に集めた雑誌には至る所に赤丸がされていたが、その雑誌は健太の部屋の勉強机の上に無造作に投げ捨てられていた。
そう、俺、本間 健太の夏休みの計画は無惨に消え去ったのだ……
早い話、いきなり爺ちゃんから電話があり、8月にある花火大会まで爺ちゃんと婆ちゃんの家に行く事になったのだ。
爺ちゃんの家は“ ど ”が付くほどの田舎で電車を乗り継ぎローカル線に乗り換えなければ辿り着けない……
両親は共働きなので一足先に俺だけで、向かう事になったのだ。
「なんで、こうなるかな……俺の夏休みがお釈迦になっちまった」
爺ちゃん達は大好きだ。
数年前まで毎年冬になると、里帰りと言いながら家族三人で爺ちゃんの家に行っていた。
しかし父さんが脱サラして本屋を始めてからは中々帰ることが出来なくなってしまっていた。
母さんも父さんが遣りたいならと呑気に店の手伝いとパートをしている始末だった。
そんなこんなで、俺が夏に爺ちゃんの家に行くのは久々な気がした。
随分昔に夏にも来たことがあったが、何故か来なくなったのだ。
理由が思い出せないのは、かなり昔の事だからなのか、覚えてないからなのか忘れてしまったが、とりあえず久々な事にはかわらなかった。
そして、電車からローカル線に移動する。
ローカル線の車内は天井に扇風機が二ヶ所、クーラーなどは付いていない。
やけに蒸し暑い車内には俺の他に四人ほどの乗客がいるだけであり、四駅しかない終点が俺の目指す【奈路雨が丘】である。
名前はあれだが、昔、山にある湖は巨大な穴で“奈落路”と呼ばれていたらしいが其所に膨大な雨水が溜まり湖に成ったと言うあり得ない伝承からついた名前らしい。
そんなワケわからない伝承ではあるが観光に来る人もいると言うことで未だにローカル線が残されているのが現状だ。
「次は終点……奈路雨が丘、奈路雨が丘、皆さまお忘れ物のないようにお願い致します」
アナウンスが流れ駅に着くと俺の他には女の子が一人降りていく。
そんな中、女の子の座っていた席にスマホが置いたままになっているのを見つけた。
俺はとりあえず、それを持ち駅のホームに出ると車両は折り返し下の駅に向かっていく。
下で待機する時間があるので、次の電車到着は、一時間半後になる。
とりあえず、駅員さんにスマホを届けようと思った俺の前には無人駅の看板が目に入ってきた。
「まじかよ! どうするかな、1時間半待つか?」
辺りを見渡すが駅の前には自動販売機が1台あるだけで他にコンビニらしき物はおろか、建物すらない。
一部が駐車場になっているだけであとは只の案内板とタクシーの電話番号の書かれたバスの停留場がポツンとたっているだけであった。
時刻表を観れば、2時間に1本しかも40分前にバスが来ていた。
どちらにしても身動きが取れなくなってしまっていた。
そして最悪なのは財布の中身が1万7000円と1円玉が数枚しかないことだった。
自動販売機は電子マネーの使えない以前に旧型のコインで買うタイプの物だった。
「ハァ、マジについてないぞ、俺……」
暑い夏の日差しが容赦なく照りつける駅のホームに一人ポツンといる自分が情けなくなる。
30分程過ぎた頃に自転車が1台駅の駐輪場に止まった。
「両替してもらえないかな、聞いてみるか」
俺の喉の乾きは既に限界だった。
目の前に自動販売機があるにも関わらず買えないと言う炎天下の拷問に30分も付き合ったのだから、両替位してくれと神に祈るような気持ちで駐輪場に行った。
「すみません、両替してもらえませんか?自販機、小銭だけしか使えなく……て」
其所にいたのは先程、車内にはいた女の子だった。
そして目の前の彼女は明らかに警戒していた。
「あ、あの、お金持ってきてないので、すみません!」
そう言うと直ぐに自転車に跨がった彼女に俺は急ぎスマホを取り出した。
「あ、えっと、これ!さっき忘れてたよね?」
その声に此方に振り向いた彼女は血相をかえて此方に来るとスマホを俺の手から受けとり焦った表情で俺に頭を下げると直ぐに居なくなってしまった。
「ハァ、まあ、仕方ないか」
溜め息混じりに俺は彼女の困っていた顔を思い出していた。
その表情からスマホを見たときの驚いた顔になる瞬間の表情に不覚にも少しだけ“ドキッ”としてしまった。
(自称 硬派な健太一生の不覚だ!)
そんな事を考えていると、また駐輪場に物音がした。
そして行ってみるとさっきの彼女が息を切らせながら其所に立っていた。
俺に袋から取り出したラムネを手渡してきた。
「え、いいの?」
俺はとりあえず受け取るとラムネを開けようとしたが、上手くビー玉が落ちなかった。
「かして、やってあげるから」
そう言われ情けないことに女の子にラムネを開けてもらった。
あかなかった理由は瓶と栓の間にある留め具を外していなかった為であった。
「ラムネ飲んだこと無いの?」
不思議そうに俺に尋ねる彼女に素直にペットボトルのラムネしか飲んだ事ないと伝えると“クスクス”と笑われた。
そんな笑う顔に俺の心臓の鼓動は何時もの3割増しになっていた。
成り行きでベンチに座り二人でラムネを飲んでいる。まるでアニメの1シーンのような時間がゆっくりと過ぎていく。
「あなた?此処ら辺の人じゃないよね、観光しにわざわざこの町に来たの?」
そう聞かれ、爺ちゃんの家に花火大会の日まで遊びに来たと伝えた。
「そうなんだ、最近は観光に来る人も減ったから観光なら、うちの店に来て欲しかったのに残念」
彼女の家は定食屋さんらしく、最近は近所の人ばかりで観光客は全く来ないらしい。
そう言われると急に腹がすいてくるのが人間と言うもので……
「あのさ、近いの? 」
「え、何が? 」
不思議そうに俺を見る彼女を見て、俺は主語が抜けていることに気付いた。
「あ、ごめん。君の家さ、定食屋さんなんだろ?腹空いたから、よかったら食べに行きたいんだけど、近い?」
そう言われると少し困った顔をする彼女。
やはり、社交辞令みたいな物だったのかと俺は思い笑って誤魔化そうと考えたのだが。
彼女は自転車に跨がると「歩くと40分は掛かるから乗って。自転車なら二人でも20分もあれば着くから」
そう言われ乗ろうとしたが流石に会ったばかりの女の子の後ろに掴まるのには気が引ける……
「あのさ、俺が漕ぐから道案内してよ?」
「いやいや、悪いから大丈夫だよ!それに私、体力には自信あるから任せて」
俺、本間 健太は人生初の女の子の後ろに座ると言う状況を経験した。
駅を出て少し行くとだだっ広いひまわり畑があり、その先に大きな下り坂があった。
「あそこ降りるのか!」
余りに急な下り坂に俺は驚いたがスピードを緩めることなく自転車は下り坂を進んでいく。
むしろ加速していく自転車から見る風景は俺が住んでる町では見ることは絶対に出来ない光景だった。
坂の下には緑豊かな田んぼが一面に広がり凄まじい蛙の鳴き声と蝉の声が俺を出迎えた。
そして更に自転車は加速していく……むしろ早すぎる気がする。
「そろそろブレーキかけないか?早すぎる気がするんだけど」
「あはは、それがさ……ブレーキ壊れたみたいで止まらないんだよね」
…… マジか!
そして下にガードレールが見えてくる!
「まずいよ!止まらないよーー!」
俺は咄嗟に足でブレーキを掛けながら彼女を掴み抱き締めるようにして坂を降る自転車のから地面目掛け転がった。
凄い痛かったし、直ぐには止まれなかったが、坂の下に転がった自転車はガードレールにぶつかり下まで真っ逆さまに落下していった。
“ガチャンッ”と鈍い音が聞こえた瞬間に俺は血の気が引いた。
そして起き上がると俺は全身擦り傷だらけで鼻まで擦りむいている始末だった。
彼女は奇跡的に無傷だった。
「大丈夫!何処か折れたりしてない」
彼女が俺を心配してくれるのは凄く嬉しいが俺はアニメ見たく格好よくはいかないんだなと、改めて痛みと共に現実の虚しさを自覚した。
「自転車ごめんな、咄嗟だったから方向までかえられなかった」
自転車の事を謝る俺に彼女はハンカチを取り出すと擦りむいた鼻から出る血を拭き取った。
「本当なら私達もペッちゃんこだったんだよ?自転車は買い直せるから大丈夫、それより本当に大丈夫?」
少しその場で休み、どうするか悩んでいると下側からサイレンが聞こえ、1台のパトカーが俺達の前にやって来た。
ガードレール下に自転車が落ちてきたのを見た人が慌てて駐在さんに電話をしたのだ。
駐在さんは電話でいきなり自転車が坂の上から落ちてきたと聞き、交通事故だと思い慌ててやって来たのだ。
「成美ちゃんじゃないか、大丈夫か!怪我人はいるか」
パトカーから慌てて出てきた駐在さんは全身擦り傷だらけの俺を見て慌てていた。
何があったのかを聞かれ素直に話すと何故か俺まで拳骨を食らった。
痛くはなかったが、初対面のしかも駐在のおっちゃんに拳骨を食らうなど、俺の人生の中であり得ないことだった。
だが、良いこともあった。彼女こと、伊塚 成美の名前を知ることが出来た。
普通に聞けば良かったのだろうが……実を言うと恋愛経験0の俺は女の子に名前を聞けた試しがなかった。
世間で言うところの彼女いない歴=年齢と言う奴だった。
そんな俺が女の子の名前を知ることが出来たのだから、棚ぼたの様な気もするがよしとしたい。
駐在さんがパトカーで俺と成美を彼女の家まで送ってくれた。
下に落下した自転車は残念ながら完全にお釈迦だった。
自転車の残害をパトカーに積み込むと駐在さんが鼻唄を歌いながら運転していく。
後部座席に乗せられた俺と成美は無言のままだったが、駐在のおっちゃんが俺と成美の関係を聞いてきた。
「そう言えば?成美ちゃんのお母さんが彼氏いないって言ってたが二人は恋人同士か?」
いきなりの発言に成美が動揺していた、流石にそうなるよなっと俺は思いながら駐在のおっちゃんに感謝した。
「か、彼氏じゃないから!偶然、色々あって、成り行きでこうなったの……」
「あはは、そうかそうか、だが無傷だったのは良かったな嫁入り前の娘が顔に傷なんかつけたら大変だからな、少年に感謝しないとだな、成美ちゃん」
そう言われ成美が顔を赤くした。
駐在さんに聞こえないように俺に成美は「あ、ありがとう」と照れくさそうに言った。
「がはは、青春だな」
駐在のおっちゃんはそう言いながら笑っていた。
気づけば町中に入っていく。パトカーは小さな定食屋の前に停車した。
「ほら、二人ともついたぞ!気を付けて降りなさい、あと少年よ、本当に病院行かなくて大丈夫か?」
「大丈夫です。ありがとうございました」
僕達を降ろした駐在さんが成美の母に事情を話すと成美の母は慌てて外に飛び出してきた。
成美を心配するかと思ったが成美の母は成美の頭に強めの拳骨を食らわせたのだ!
俺は目の前の光景に驚き言葉を失った。
失ったと言うより思考が追い付いていなかった。
成美の母、伊塚 茜さんは、亡き旦那さんの定食屋さんを一人で切り盛りする肝っ玉母ちゃんだった。
駐在のおっちゃんに訳を聞いた茜さんは俺にご飯を食べていくように言ってくれた。
元々そのつもりだったので頂く事にした。
料理を待ってる間に成美が俺の傷を消毒してくれた。
「なんか、ごめんね、えっと名前まだ聞いてなかったね、私は伊塚 成美。貴方は?」
「俺は本間 健太」
「本間って?本間のお爺ちゃん所の孫なの!」
成美は爺ちゃんの事を知ってるようであった。
「そうだけど?爺ちゃんの事知ってるの?」
「むしろ、知らない人の方が少ないかな?もしかして、健太君、お爺ちゃんの事あまり知らないの?」
確かに俺は爺ちゃんの事を何も知らないかもしれない。
いや…… 知らなくはない、でも思い出せない……
「あのさ?爺ちゃんの事教えてよ!」
俺は成美にそう言うと成美の方をじっと見つめていた。
そんな時、座敷の襖が開けられる。何故か二人して反対方向を向いてしまった。
「御待たせ、悪いわね狭い座敷で……? なんか、お邪魔だったかしら?」
俺と成美は全力で首を左右に振った。其れを見て茜さんは、クスクスと何故か笑っていた。
そして、定食をテーブルに置くすぐに座敷を出ようとした。
「あ、不純異性行為はダメよ?成美は、まだ学生なんだからね、ごゆっくり」
「お母さんーー!」
そう言うと笑いながら茜さんは座敷をあとにした。
「まったくもう、ごめんね健太君」
僕は首を左右に振った、あんな事を言われたら、16才の俺は無意識に意識してしまう。
成美は気にもしてないようだが、情けないことに成美の顔を直視できなかった。
初めて逢ってから2時間で恋に堕ちる何て…… 俺はチャラいのかも知れない……
そんな自問自答が30秒ほど続いていた。
「オーイ!健太君、たべないの?冷めちゃうよ」
成美に名前を呼ばれ我にかえる。
そして、成美がメニューの説明をしてくれた。
其処には色とりどりの野菜料理が並んでいた。
メインに牡蠣フライが6個もついていた。
山の中だが下に降れば海まで車なら1時間程度であり小さな港には毎日新鮮な魚介類もはいる、そんな大地の恵み豊かな土地だと改めて感じた。
「トマトの塩漬けと、茄子の煮付けは夏バテ解消に、大根おろしは食欲不振に、それと漬物のらっきょうの甘酢漬けよ、関節痛とかに効くのよ」
そう言い成美が次々に説明をしてくれる。
ご飯は麦が入った麦ご飯で優しい味がしていた。
全てが夏にくる御客さん用に考えられたメニューであり、味付けも優しく疲れた体に元気をくれるようだった。
そうして食べていると、茜さんはが再度、座敷にやって来た。
「食べてるところ御免なさい、成美?これ味濃いかしら?」
「え ? 少し食べてみないとなんとも」
そう言うと成美は小鉢から一掴みそれを味見した。
「ん~少し濃いかな?」
成美がそう言うと茜さんやっぱりかと言う顔をした。
「なんなんですかそれ?」
「あら、ごめんなさい。御1つどうぞ」
健太は言われるままに箸で一掴みしてそれを口に運んだ。
「あ、そんなに食べたら!」
成美が何かを叫んでいたが、よく聞こえない。
そして急に健太の世界が回りだした。
「健太君!健太君ってば!」
「あらあら、大変」
健太の食べたのはアサリとワカメの酒蒸しだった。
毎日食べている成美と違い、健太には刺激が強すぎた。
そして夕方になり、酷い頭痛に襲われながら目が覚めた。
「何があったんだろ?頭いてぇ」
「よかった、健太君、お酒は駄目な人みたいね?」
成美はそう言うとお茶を入れてくれた。
お茶を飲み終わり、スマホを見ると着信が凄い件数になっていた。
そして、直ぐに健太は電話をかけた。
其れから10分もしないで爺ちゃんの軽トラが成美の家の前に止まった。
「茜ちゃん、悪いなぁ、うちの健太が世話になっちまって」
爺ちゃんの声がして俺は玄関に顔を出した。
「おお、健太。大きくなったな、電話番号きいて、かけたが繋がらんで、心配したぞ」
爺ちゃんはそう言う茜さんに頭を下げて御礼を言っていた。
「お別れだね、健太君」
成美のその言葉が少し寂しく感じた。
当たり前の事なのに、サヨナラしたくなかった。
(へたれな俺!今頑張らないでどうするんだよ)
俺は自分に渇を入れた。
そして、成美に連絡先を聞こうとした。
「それじゃあ、茜ちゃん、また来るよ、健太いくぞぅ!」
そう言われ、俺はやはり、へたれなままだった。
健太は軽トラに乗りこみ、素直に青春の儚さを感じていた。
そんな俺に向かって成美が走ってきたのだ。
「健太君!待って」
健太は夏の奇跡を期待した。
もしかして成美は俺の事が……
「スマホ、置きっぱだよ、忘れたらダメでしょ!」
俺の中で音をたてて期待の文字は粉々に砕けた。
「そうじゃ、成美ちゃん、無理ならいいんじゃが、夏祭りなんだがもしよかったら、健太も一緒に連れてって遣ってくれんかねぇ?」
爺ちゃんの予想外の一言、そして成美は……
「いいですよ。ただ、うちの場合祭りの日は外で飲み物売るんで、出掛けるの遅くなりますよ?」
「そうか、それじゃあ、健太の事まで頼むのは悪いなぁ」
「成美ちゃんがよければ!俺、手伝いも含めて一緒に祭りいきたい」
勢いで言ってしまった。
普通なら死亡フラグ級の発言だった。
しかし成美は笑っていた。
「少し待ってて、お母さんに話してきます」
そう言うと成美は急ぎ店の中に入っていった。
そして直ぐに茜さんを連れて成美が戻ってきた。
「本間のおじいちゃん、本当にいいの?大切な御孫さんとの時間無くなっちゃうわよ?」
「茜ちゃんが大丈夫なら構わんよ、それに健太も遣る気みたいだしなぁ」
「なら、お願いするわ。明日は宜しくね健太君」
「はい!此方こそよろしく御願いします。」
そして最後に成美が紙を手渡してきた。
「成美ちゃん、これは?」
「明日来る前に電話して、途中まで迎えにいってあげるから」
そう言われ紙を開くと電話番号とメールアドレスが書かれていた。
「ありがとう!後でメールするね」
こうして俺の慌ただしい1日が終わりを告げた。
そして爺ちゃんの家に到着して直ぐに、ご飯をの時間になる。18時に夕食を食べ19時には風呂に入り、20時には全ての電気が消える。
何故、爺ちゃん達はこんな時間に寝れるんだろう、そして健太はスマホに成美から貰ったメールアドレスを打ち込み、深呼吸をしてから送信ボタンを押した。
返事は直ぐに戻ってきた。
健太は期待に胸を膨らませて画面を確認した。
其処には、“メッセージエラー”の文字が表示されていた。
悲しすぎた…… 健太の心が本日二回目の音をたてて砕けた瞬間だった。
とりあえず、電話を掛けようか迷ったが電話しようとする指が止まった。
「ふぅ、いきなり電話はないな」
電話番号だけ登録して、その日は眠る事にした。
中々寝付けなかったが無理矢理眼を瞑り夏布団を頭から被る。
その日寝付くまでの間頭の中に“メッセージエラー”のメッセージと成美の顔が交差していた。
気づけば朝になり、結局、寝れたのは2、3時間であった。
朝御飯を食べ終わると婆ちゃんが心配してくれた。
「健ちゃん、具合悪いのかい?顔色がよくないよ」
「大丈夫だよ、婆ちゃん。祭りが楽しみで中々寝れなかったんだよ」
婆ちゃんに心配を掛けないようにそう答えると、健太は財布、スマホを持ち外に出た。
出掛ける際に婆ちゃんと爺ちゃんからお小遣いの入ったポチ袋を渡された。
中身を開けたい気持ちもあったが、我慢した。
そして成美の家までの一本道をひたすらに歩きだした。
歩き始めて20分程が過ぎた辺りで目の前から深々と麦わら帽子を被ったワンピース姿の女性が歩いてくるのが見えた。
「確かに暑いもんな、俺も麦わら帽子、借りてくればよかったな……」
そんな事を思いながら、歩いていく。
すると女性が俺の目の前で止まった。
そして麦わら帽子をとると、成美が現れた。
余りに深く麦わら帽子を被っていたのでギリギリまで気づけなかったのだ。
「おはよう、成美ちゃん」
健太が普通に挨拶すると成美は少し不機嫌そうに頷いた。
そして二人は無言のまま歩き出した。
気まずい雰囲気…… 息が詰まりそうな沈黙。
そんな沈黙を破ったのは成美だった。
「連絡……する気無いならさ、あんな事言わないで、期待してた訳じゃないけどさ」
健太は素直に言おうか少し迷った。
電話だって出来た筈だ……つまり、俺の勇気の問題だった筈だ。
「ごめんね、実はさ、電話しようとしたけど、いきなり電話するのは駄目だなと思ってやめたんだ」
成美は不思議そうに健太の顔を見る。
「メアド書いたじゃない?」
「メッセージエラーで、返ってきたんだよね、ははは」
健太は苦笑いをしながら成美から貰った紙を見せた。
成美はそれを確認すると書き間違いがあるのを確認した。
「健太君、ごめん……私の書き間違いだわ」
「あはは、よくあるから大丈夫だよ。しかしよかった」
「何がよかったの?」
成美の質問に健太はニコニコしながら答えた。
「ほら、成美ちゃん怒ってたじゃん?つまり嫌われてないって事かなってさ」
そう言うと成美は麦わら帽子をまた深くかぶり直した。
「バカ……」
そんな照れ隠しをする成美の態度に俺は凄くドキドキした。
それからの時間はあっという間だった。
商店街を丸々祭りに使うため入り口にある成美の家では毎年、缶ジュースやビール等を氷たっぷりのビニールプールに入れて販売していた。
朝から夕方まで健太は荷物運びや氷の削り出しを手伝った。
1つ解ったのは氷を砕くのが予想以上に大変だった。
小さすぎてはいけないしデカ過ぎてもいけないと言う超難易度クエストだった。
お昼は交替でひやむぎを食べた。
水が違うのだろうか?自宅で食べるそれとは、まるで違っていた。
付け合わせにミョウガとシソやニンジンと玉葱のかき揚げがあったのも嬉しかった。
ミョウガの天ぷらは大人の味だったが成美が美味しそうに食べるのを見るとどうしても食べたくなる。
結果、大人の味に泣かされた。
その顔を見て成美は腹を抱えて笑っていた。
3時半を過ぎた頃、茜さんが俺と成美に祭りに行くように言ってくれた。
「健太君?少し見ててもらえるかしら、成美の着替え手伝ってくるわ、何かあったら呼んでね」
そう言われ店番をすること15分、その間も暑い事もあり飲み物は次々に売れていく。
そんな中ラムネが切れそうなので在庫を取りに店の中に入ると丁度階段から成美が降りてきた。
俺は見とれてしまっていた。
成美は水玉の絵柄に濃い青の浴衣に身を包み髪の毛を上に結っていた。
「ふふふっ、どうよ健太君!うちの成美は可愛いでしょ?」
「は、はい!凄い可愛いです」
自信満々にそう訪ねる茜さんは僕の反応を見て笑っていた。
「もう、お母さん、やめてよね!まったく、健太君も余りお母さんに合わせないのよ」
「いや、マジに可愛い!」
成美は少し頬を赤くしながら、外に出ていってしまった。
「怒らせちゃったかな?」
そんな俺の肩を茜さんが “ポン” と叩いた。
「あれで嬉しいんだよ、あの娘。昨日いきなり浴衣を着たいって言ってきてね、まあ、朝やっぱり着ないって言われて心配したけど、出しっぱにしててよかったわ」
その言葉に健太まで顔面が真っ赤になっていた。
そんな二人を茜は手を振り見送った。
「成美ちゃん、あのさ 友達とかよかったの?」
「いいの、いいの、みんな夏祭りには来ないから、昔は皆で来たけど最近は旅行とか、高校が別になると皆、部活とかもあって中々ね」
確かに祭りに来ているのは町の人ばかりだし若い人の姿は疎らだった。
しかし、そんな事を考える時間が惜しいくらいに成美の浴衣姿は健太の心を掴んで離さなかった。
縁日の提灯に照らされ鮮やかに写し出される水玉と淡い青の浴衣を纏った成美に健太は見とれていた。
「オーイ?健太君、聞いてるの?」
「え、な、なに?」
「もう、聞いてなかったのね、ひどいなぁ」
成美の浴衣姿に見とれていて健太は上の空であり、成美の質問が聞こえていなかった。
健太自身そんな事があるとは、想像もしていなかったが、初めて健太は人に“見とれる”と言う本当の意味を知った。
「健太君?“金魚すくい”とか好き?」
いきなりの金魚すくいの誘いに少し戸惑ったがポイントを稼げると考えてしまった。
自慢じゃないが金魚すくいなら、何度かしたことがあり、最高記録は6匹。
「成美ちゃん。金魚すくいなら負けないよ!俺、金魚すくい得意だからね」
「ふーん?ならどっちが沢山すくえるか勝負しようか、負けた方が林檎アメを奢るのよ」
そう言い浴衣の袖を捲りあげると成美は楽しそうにその場にしゃがんだ。
健太も隣にしゃがみ、お店の人に二人合わせて600円を手渡した。
健太は直ぐに金魚を2匹すくい勝ち誇ったように笑ったが、成美も合わせるように2匹すくいあげた。
次々にすくい、気付けば互いに5匹づつすくっていた。
「成美ちゃん、スゴいな、金魚すくい得意なの?」
「まあね。健太君もやるわね。ビックリだよ」
そう言い6匹目にチャレンジした時、健太の網に出目金が突撃してきたのだ!そして破けた……。
「あーー!やぶけた」
健太は、まさかの突撃に声をあげて驚いた。
其れを見て成美も店の人も笑っていた。
「あはは。中々ないよ出目金が体当たりなんてさ、健太君の驚いた顔も笑えるよ」
結局、成美は、金魚を7匹すくいやめた。
そのあと、金魚をお店の人に返した。
二人とももって帰れないからだった。
成美の家には既に金魚が沢山いてこれ以上、金魚を増やすと茜さんに怒られると言う理由だった。
健太は遊びに来ている為、単純に持って帰れなかった。
お店の人も笑いながら金魚を受け取ってくれた。
代わりに金魚のキーホルダーを僕達にくれた。
5匹までしか持って帰れない決まりになっていたので5匹以上とった人に渡す為の物だった。
二人で縁日の中を歩きながら林檎アメをかじる。
甘酸っぱい林檎アメは、まるで今の健太の気持ちそのままだった。
「成美ちゃん、あのさ!」
健太は勇気を振り絞った。
多分人生の中で此処まで緊張したのは初めてだろう と 言うぐらいに鼓動が高鳴っていた。
そんな時、空に花火が舞い上がったのだ!
「あ、始まっちゃった!健太君、此方急いで!」
成美はそう言うと健太の手を引き神社まで走り出した。
その間も空に花火が上がり続けていた。
神社の階段に二人で座り。
空に咲く花火を見ていた。
「たまやーー!」
成美が楽しそうに叫ぶ。
「かじやーー!」
健太も笑いながら叫んだ。
二人は花火が次々に空に舞い上がるのを見ながら夏の夜を確りと感じていた。
そして、7時をまわった頃に成美のスマホに電話が掛かってきた。
茜さんからだった。
電話を終えた成美と健太は花火が舞い上がる空の下を二人でゆっくりと歩いていた。
「今日はありがとうね、健太君が一緒に来てくれて本当に楽しかったよ」
そう言い笑う成美はとても可愛かった。
「俺も凄く楽しかった。ありがとうね」
楽しい筈の時間は終わりを迎えようとしていた。
二人の口数は、だんだんと減っていく。
そして、成美の家の前に到着した。
まだ帰る人も疎らな祭りの入り口に立つ二人をただ、花火の光が遠く照らしていた。
「それじゃあ、またね、今日はありがとう……すっごく!楽しかったよ」
そう言い笑う成美。
「あ、な、成美ちゃん……」
健太は声が震えた。
言いたい言葉と言ったら終わるのではないかと言う不安に押し潰されそうになっていた。
しかし言わなくちゃ一生後悔する!健太はそう思った。
「俺、成美ちゃんが好きです!」
言ってしまった…… すべてを賭けた一発勝負。
成美は、ただ黙ったままだった。
健太は、全てが終わったと感じた。
友達で要れたなら、チャンスがあったかもしれない…… もう少し仲良くなってから言うべきだった。
色々な後悔が健太の中に溢れていた。
「嬉しいよ……健太君の気持ち、凄く嬉しい……でも、無理だよ」
そう言う成美は悲しそうに笑っていた。
「だよね…… 逢ったばかりなのにさ俺、バカだよね……」
「健太君は、帰っちゃうんだよ。そしたら簡単には会えないしさ、きっと側に居てくれる娘が現れたら私なんか、いらなくなっちゃうよ」
成美はそう言い、また笑った。
「ないよ、だってこんなにドキドキしたの初めてだもん」
健太も笑った。
泣きたい気持ちを全力で押し潰した。
今泣いたら、本当にカッコ悪いじゃないか、成美ちゃんは笑ってるんだ!泣きそうな顔しながら俺も笑った。
最後くらい格好つけたっていいよね、惚れた女の子の前で振られて無くなんて辛すぎるじゃんか。
「健太君、やっぱり変わってるね?」
「自称 硬派の健太だからね」
「硬派の健太なのに、逢って2日目の私に告白するの?あはは。硬派じゃないぞ?」
返す言葉もない……
「少し考えさせて……いきなり返事できないよ」
その言葉に健太は驚いた。
そして、飛び跳ねて喜んだ。
「やったーー!」
「ちょっと!私は考えるって言ったのよ」
そんな時、店の中から茜さんが顔を出した。
「話は済んだわね?さあ、中に入って枝豆茹でたから」
成美は顔を真っ赤にしていた。
健太も固まったまま開いた口がふさがらなかった。
店の扉は網戸になっており、茜さんに丸聞こえだった。
そして、成美が着替えに部屋に行っている時に茜さんに言われた一言は忘れられない物だった。
「あの娘、ハッキリしてるから振られなかったなら大丈夫よ、確りね健太君。私の期待を裏切らないように!良いわね」
そして、茜さんは缶ビール、俺と成美はラムネを飲みながら花火が終わるまで楽しい時間を満喫した。
「花火って、やっぱり綺麗だよね。健太君のお爺ちゃんの花火が空に上がってるなんて凄いよね」
成美のその言葉に俺は初めて爺ちゃんが花火職人だと知った。
そして、何故、夏に来なくなったのかも思い出した。
爺ちゃんが祭りの日は花火の頭になる為、俺は小さい頃、祭りに行けないとただを捏ねて爺ちゃんと婆ちゃんを困らせた。
其れから爺ちゃん達は俺との時間を作るために冬に呼んでくれるようになったのだった。
「爺ちゃんが作った花火がこんなに綺麗なんて知らなかった」
「健太君、花火大会まで要るなら一緒にいく?」
「うん、絶対いく!」
俺は笑いながら即答した。
そして花火大会の夜まではあっという間に過ぎていった。
夏祭りの後、俺は婆ちゃんに電話をして歩いて帰ると伝えた。
そして茜さんに挨拶をして、店を出た。
成美が店の外まで出てきてくれた。
「成美ちゃん。花火大会楽しみにしてるね」
「もう、健太君、ニヤニヤし過ぎだよ」
「仕方ないじゃん、嬉しいんだからさ?俺さ初めてなんだ。こんなに楽しい夏休み」
素直に笑うと成美は呆れた顔をしていた。
そして少し歩いて別れる瞬間がきた。
「それじゃあ、また連絡するね」
「あ、あの健太君……本気で私と付き合う気なの?」
「ん?当たり前じゃん!俺、成美ちゃんに惚れたから」
「……バカ、そんなに楽しそうに笑われたら、恥ずかしいし……私も……」
「え?」
「なんでもない、健太君、また連絡するね!」
そう言うと成美は走って行った。
そして爺ちゃん家について、風呂に入る。
風呂から上がり部屋に戻るとスマホにメールのマークが着いていた。
メールを開く。
『健太君、私も好きです。遠距離とか無理かなって悩んだけど、やる前から諦めるのも変だよね?だから素直になることにしました。
健太君。浮気したら泣いちゃうからね?』
「や、やった!夢じゃないよな」
健太は人生初の彼女が出来た。
その日からは毎日連絡を取り合い。
健太と成美は花火大会の日までを二人で笑って過ごしていた。
そんな二人を茜さんや爺ちゃん、婆ちゃんは、笑いながら暖かく見守ってくれていた。
そして花火大会の日の夜、健太と成美はあの神社から健太の爺ちゃんが作った花火を見上げていた。
空に花開く花火が二人を照らし星空が広がる夜の空はより鮮やかに色付いていく。
「健太君……明日には帰っちゃうんだよね」
「明日には母さん達が迎えに来るからね」
「私ね……こんなに悲しいなんて思わなかったよ、離れたくないよ……何でかな、わかってたのにさ、寂しいよ……」
今にも泣きそうな顔をする成美を花火の光が照らし出す。
余りに綺麗に照らされる成美の頬に涙が流れた。
「毎日連絡する。冬休みも、春休みも、来年の夏休みも、成美ちゃんに逢いにくる」
「約束だよ、嘘ついたら、私いっぱい泣くからね」
「うん、約束する。俺は成美ちゃんを笑わせるためにまた来るよ」
こうして花火の舞い上がる夜は終わりを告げ。
健太は爺ちゃんと婆ちゃんに別れを告げ、帰ることになった。
最後に茜さんに挨拶をし、成美にもお別れを言うことにした。
「成美ちゃんまた連絡するからね。冬休みまで直ぐだから待っててね」
「約束だよ、待ってるからね!」
そして健太の夏が終わった。
其れから俺は高校卒業後、調理師学校に行き、調理師免許を取得した。
辛いときには金魚のキーホルダーと成美の写真を見て頑張った。
高校卒業迄の2年の間、健太は成美に会いに行っていた。
しかし互いに受験の季節になると状況も変わっていた。
健太は調理師を目指し、成美は栄養士を目指していた。
似ているようでまるで違う道を歩むことを決めた二人は次第に連絡も少なくなっていった。
健太は少し不安を感じながらも毎日を料理と勉強に費やした。
しかし、ある日を境に成美からの連絡はピタリと無くなったのだ。
それから2週間程が過ぎていた。
健太はどうするべきか悩んでいた。
本当ならば今すぐに成美に会いたい、会って話をして……ちゃんと気持ちを聞きたい。
健太が悩む程、成美と健太の心の距離は離れていた訳ではないが、健太からすれば不安で押し潰されそうになるほど成美の存在は大きい物になっていた。
健太は成美に会いに行こうと決めた。
バイト先に電話をして、無理を言い三連休を貰う事が出来た。
健太は取りあえずの手荷物だけを持ち出掛けようとしていた。
しかし、家の呼び鈴がなり、外から「宅配便でーす」と言う声が聞こえた。
健太は宅配なんか頼んだだろうかと悩むもを頼んだことをすっかり忘れていたのだろうと考え、家を出る前に来てくれてよかったと思う自分と間が悪いなと思っている自分がいるに気づいた。
そして、宅配物を受け取るために玄関を開けた。
普段見ない宅配業者だった。
バイク便を思わせるキャップを深々とかぶり、繋ぎ姿。
そして小さな段ボールを1つ持っていた。
「お名前をフルネームで、あと此処に印鑑をお願いします」
俺は急いでいた事もあり、即座に名前と印鑑を押した。
そして段ボールを受け取ろうとしたが、あることに気づいた。
宅配の人の声だ、成美に似ていた。
そして健太は直ぐに宅配の人の顔を見ると成美の怒った顔が其処にはあった。
「な、成美ちゃん!なんで」
予想外の成美の襲来に健太は嬉しい反面驚きを隠せなかった。
「彼女がノリで宅配屋さんとして来たら普通、直ぐ気付くでしょ!健太君の鈍感!」
成美はそう言うが先ずそんな状況になるなんて考えたこともなかった。
「ご、ごめん、実は成美ちゃんから連絡がないからさ、一回そっちに行こうと思ってたんだ」
「ごめんね、健太君をビックリさせたくて、黙ってたの、実は普通自動二輪車免許の合宿に行ってたの。勿論女の子のみの合宿だからね!」
「それなら、メールくらい返してよ、心配したよ」
「それが、家にスマホ忘れててさ、朝早くて車の中で寝てたから無いのに気付いたのお昼過ぎだったのよね」
そう話す成美は健太を驚かせようと合宿に参加し健太の元に来る前日に試験に合格していたのだ。
一度連絡をしようか悩むもビックリさせたいと言う気持ちが強くなり、成美は茜さんのバイクを借りると、そのまま健太の元まで走ってきたのだ。
「あと、健太君?書類はちゃんと見てからサインしないと危ないわよ?見てみなさい!健太君のサインした書類よ」
それは市役所で貰える婚姻届けであった。
健太はまたもや、成美に驚かされた。
そんな健太を見て成美は楽しそうに笑っていた。
「なら。結婚しよっか、成美ちゃん!」
俺はそう言うと真顔で婚姻届けを手に取った。
「え?えぇぇぇぇぇ、健太君、いきなりどうしたの、熱でもあるの?」
健太の真顔での発言に成美は少し焦った反面、嬉しくもあった。
健太はハッキリ言えば積極性にかける性格であり、いつも成美がリードしていたからだ。
「今すぐ返事は無理だろうけど!俺は成美ちゃんが、成美が大好きだから!」
その時、成美は 本間 健太という人間が思ってた以上に不器用で、それでも本当に真っ直ぐで、自分の事がいっぱい大好きなんだと確り感じた。
「健太君、そう言うのは、指輪と一緒に言うものよ」
そう言い笑う成美の顔を見て健太も笑った。
「わかったよ。その時はいい返事を期待してるよ、成美ちゃん」
そんな二人は6年後、一緒に定食屋の切り盛りをしている。
成美が考えたメニューを健太が作る。
その頃には、茜は二人に店を任せながら接客などをして、御客さんと笑って話し込む日もあった。
それは単純に二人の事を茜が信頼している証であり、健太に厨房を預けられると確信したからだ。
其れから更に1年後の暑い夏の昼下がり。
成美と健太が出逢った夏から7年が過ぎていた。
健太はその日も厨房にたっていた。
三日前から、成美は病院に入院している。
茜さんは、成美の様子を見に病院に向かっている為、代わりに俺が厨房を預かっている。
そんな店内の御客は駐在さん一人、最近のお気に入りはスタミナ炒めであり、何時ものようにフライパンに油をひくと一気に強火でフライパンを暖める。
真夏の厨房にフライパンと食材が炒められる音が響いている中に1本の電話が鳴り響いた。
丁度料理が完成し電話をとった。
そして俺は、その場で涙を流していた。
「どうした、健ちゃん?なんかあったんか!」
駐在さんが慌てて健太に近寄る。
「今、病院から連絡があって、無事に産まれたって。俺、父親になったよ」
それは病院にいた茜さんからであり、急に御産が始まりあっという間に出産したと言う連絡だった。
「そいつはいけない!直ぐに行かなくちゃじゃないか」
駐在さんに言われ、直ぐに店に鍵をかける。
そしてパトカーで駐在さんが送ってくれたのだ。
そして俺は成美の元に急いだ。
病室の扉を開ける。
そこには笑顔の茜さんとベットに子供を抱く成美の姿があった。
「健太君、来てくれたのね。少し遅かったわね?初めての抱っこはお母さんに取られちゃったわよ。早く消毒して抱っこしてあげて」
そう言い笑う成美の顔を見てホッとしたそして初めて逢う娘を手に抱いた瞬間、嬉しくて仕方なかった。
自分の手の中に小さな命がちゃんと鼓動している。
父親になったんだと改めて自覚した。
「名前、どうしようか?健太君が決めるのよ!お父さんとしての初仕事何だから確りね」
「もう、決めてるよ。この子は希美だ」
そして1週間後。
成美と希美は家に無事に帰ってきた。
茜さんは完全にお婆ちゃんをしている。
爺ちゃんと婆ちゃんが慌てて孫を見に来てその日は大変だった。
そして来年の夏には親子3代で爺ちゃんが上げる花火を見るだろう。
小さな夏休みの出来事から始まった俺の人生は、まだまだ色鮮やかに変わっていく。
今年の夏は、まだ始まったばかりなのだから。