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襲撃。

話の切りの為文章が短いです。

1524年(大永4年) 讃岐国 宇多津 ~ 周防国 御手洗湾沖 。(16~27日目)


綾小路 有興 7歳。


風待ち潮待ちの為予定通りに出向できず、数日の間宇多津に足止めされました。

その後待ちわびた風に乗り塩飽島しわくじまが連なる備讃瀬戸びさんせとを真っすぐ西へ行きます。

前世で言う所の塩飽諸島しわくしょとう即ち塩飽島は、島々が多く隠れる場所に適している為に塩飽水軍と言う海賊衆の根拠地ともなっている。

讃岐国を領国とする細川氏は塩飽の島々に城を築き、備讃瀬戸と水軍衆の支配を強めてきました。

その為僕たちと同じように宇多津の細川氏守護館に寄って交通の便宜を図ってもらう商人で宇多津が賑わう訳です。

そして塩飽島の島々を抜けると大海原の燧灘ひうちなだを更に西へ進みます。

燧灘の西の端には芸予諸島げいよしょとうがあり、安芸国と伊予国の間にある今回の航海たびの最大の難所だそうです。

僕でも名前を知っている村上水軍むらかみすいぐん

村上水軍と一口で言っても大まかに三つの水軍があるそうで、僕達が向かっているのはその中の燧灘からの船の窓口になっている因島いんのしまへ向かっているらしい。

窓口と聞いて、


「もしかして水軍衆で役割分担をしているの?」


と天王寺屋の若旦那に聞いたら本当にその通りだったので驚きました。

先ず、何故?

水軍と言う商売が成り立つのかと言うと、そこが航海の難所だからと言うのです。

若旦那に聞いて初めて知ったのだけど、海と言うのはつまりなだです。

灘の中にある海峡の事を瀬戸せと又はと言います。

瀬とはそのまま川を意味するので、潮の満ち引きによって海に高低差が付き高い海域から低い海域に流れ込む、その流れの早いさまを瀬と言い、川のような出入り口と言う事で瀬戸と呼ぶのかもしれませんね。

なので明石海峡のような幅が広い海峡は瀬戸ではないようです。

その為瀬戸のある場所では古くから優れた船頭が力を持ち水先案内や海運などで頭角を現しました。

その謝礼が既得権益となると海賊の始まりらしいのですね。

海路に沢山の島々があり海流も複雑で通行上の難所となる、ここ芸予諸島の因島いんのしま弓削島ゆげしま長崎瀬戸ながさきせとを管理するのが因島村上氏らしいです。

そして大島おおしま~伯方島の船折ふなおりの瀬戸と大三島おおみしま~伯方島の屈曲の多い鼻栗はなぐりの瀬戸を管理するのが能島のしま村上氏。

伊予国の東の燧灘と西の斎灘いつきなだを分ける高縄半島たかなわはんとう~大島の来島瀬戸くるしませとを管理する来島村上氏。

つまり芸予諸島の東側を南北に支配するのが村上三水軍となります。

彼らの海賊行為は凄まじく通行料を払わなければ遣明船も朝鮮からの使節も襲います。

ただし通行料を芸予諸島の海賊に支払い水先案内人を乗せれば、東の海賊に払おうと西の海賊に払おうとどちらでも安全に通過できるそうです。

前世で僕も「海賊王に俺はなる!」とか叫んで3億ベリーの懸賞金を掛けられましたが、彼らの懸賞金はもっと凄そうですね。

因みに水軍としての腕は来島村上氏が頭一つ上だそうです。

なんでも来島瀬戸は内海うちうみで一番の難所だそうで、一に来島、二に鳴門なると、三と下って馬関瀬戸ばかんせとと言う言葉があるそうです。


さて、船は因島の南にある弓削島の上弓削の港に入り水先案内人を雇う。

その価、銭1貫文。

値段は船の櫓の数で決まるらしい。

50年ほど前の朝鮮の使節は7貫文も支払ったらしい。

値段の交渉は慣れたものなのか、問題なく進んだのに行先が問題になった。

ここより北の尾道を治める木梨杉原氏と沼田の小早川家が先日小競り合いを起こし、小早川氏と仲の良い因島村上氏も因島の北にある向島むこうじまと木梨杉原氏と同盟にある尾道の間の尾道水道を抑える宇賀島水軍うがじますいぐんと対立しているとの事。

しかも、沼田の小早川氏や因島村上氏の盟主的な存在である大内氏は、尼子に内応して反旗を翻した友田氏が籠る桜尾城を現在包囲しているとの話で備後国と安芸国の沿岸を通るのは危険だと言う。

その為一旦南へ進み、来島瀬戸を抜けて西伊予周りで周防国へ行く事を勧められました。

天王寺屋の若旦那もお師匠さまも好き好んで戦場いくさばに近寄りたいとは思わないので、勧められるままに南へ舵を切り来島へ向かいました。

大航海なゲームをすると一度は耳にする来島。

その名を冠する島を初めて目にした時、目を疑いました。

何故なら南北400m東西100m程の小さな小島だったからです。

その小島に精々50m程の小さな山がありその上に立派とは言えない城があります。

いや、砦ですね。

島に居る人間よりも天王寺丸に乗っている人間の方が多かったかもしれません。

因島の水先案内人が大声で怒鳴り島からも声が帰って来ると、来島を横目に来島瀬戸を抜け高縄半島を大きく迂回して斎灘に入りました。

そして湯築ゆづき三津みつに泊まります。

湯築の名の通りここは温泉があります。

万葉の頃より名を馳せる道後温泉です。

余りにも有名なので郡の名前まで温泉郡と言います。

天王寺屋の若旦那にそう言われた時はからかわれているのだと思いました。

今の伊予国の守護は河野弾正少弼こうのだんじょうのしょうひつ殿ですが、守護所を湯築城に置いた気持ちは良く判ります。

しかし、お堀も無いお城って何でしょうね?

お城と言う名前の屋敷でした。

ここで水先案内人とは契約終了です。

なんと割の良いバイトなんでしょう?

数日のお仕事の割にはずいぶん高給取りでした。

まぁ~そんな事は忘れて温泉を楽しみリフレッシュした所で更に伊予灘を西に進みます。

そして周防灘に入って御手洗湾みたらいわん沖を西に進んでいた時に事件が起こりました。

向こうからやって来た何隻もの軍船が突如襲い掛かって来たのです。

矢盾で護られた軍船と違い天王寺丸にそんなものは有りません。

何とか逃れようと櫂走と帆走を交互に逃走します。

軍船は矢を放ちながら追いすがります。

その時、突然何かが上から落ちてきて僕は意識を失いました。












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